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勝手に目利き
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藤本 有紀の<<書評>>


火の粉

火の粉
【幻冬舎文庫】
雫井 脩介
定価 800円(税込)
2004/8
ISBN-434440551X

評価:A−
 バウムクーヘンはお菓子屋さんで買ってきておいしくいただくのが正解であるという気になる。手作りの菓子で客をもてなそうというに、バウムクーヘンは手間がかかり過ぎる。親切の押し売りが病的に煮詰まったような武内という人物の内面を伝えるのに、バウムクーヘンというのは巧い。
 雪見が思わず手を上げたくなるような幼い娘・まどかのわがままぶりと、叩いたことを痛烈に後悔させるような無邪気さの描き方がすごい。「コアラ、コアラ」とコアラ型の菓子をねだり、「ピンポーン、たっきゅうびんでーす」とピンポンごっこをしたりするまどかのせりふは印象に残る。小さい子供とごっこ遊びもいいか、と柄にもないことを思ったりしてしまった(私は本屋さんごっこがいい)。
 主役から脇役まで手を抜かない人物描写の見事さに、冤罪ものらしいスリルが加わり、ページを繰る手は止まらない。

ぶたぶた日記

ぶたぶた日記
【光文社文庫】
矢崎 在美
定価 500円(税込)
2004/8
ISBN-4334737293

評価:B
 バレーボールぐらいの大きさのぶたのぬいぐるみ、山崎ぶたぶたが主人公の大人向け“群像”ファンタジー。カルチャースクールの『日記エッセイを書こう』という講座を受講する、ぶたぶたを除いた5人と講師ひとりのドラマが全6回の講座に合わせて語られる。だから群像なのです。
 ぶたぶたは人間の妻子ある中年男性である。ぬいぐるみに人格? と最初はだれでも信じられないが、ぶたぶたを認めることのできる者の悩みは確実に軽くなる。非常に寓話的だし毒気はないし、例えていうなら「仲良し家族の家にいるような居心地の悪さ」のようなものを感じるのではないかと心配したが、そうでもないではないか。今まで気付かなかったが、好きなのだろうか私は、寓話(たぶん教訓が好きなんだと思うけど)。
 ダイエット体験記ではないのでご注意を。

海猫

海猫(上・下)
【新潮文庫】
谷村 志穂
定価 540円(税込)
定価 580円(税込)
2004/9

ISBN-4101132518
SBN-4101132526

評価:B
 1/4ロシア人の血が流れる薫が嫁いだ南茅部は昆布漁の村だ。夫婦で一艘の船に乗り漁をする。人形のように美しい薫だが、美貌を鼻にかけることも悪女めいた振る舞いも一切せず、むしろ外見の美しさなど意識の外に閉め出してきたかのように生きてきた。そんな薫が新婚初夜に男を受け入れ感じた開放感、同時にぴくりと目覚めた性、夫・邦一の粗野な愛し方が独特の官能を伴って読者をくすぐる。船の上での仲違いも、夫婦であれば肉体の結びつきですぐに修復できるはずだというのは漁村でずっといわれていることだが、ふたりの蜜月がそう長くは続かないであろうことは予感される。邦一の焦燥が、兄嫁である薫に惹き付けられた広次の存在が、女の運命を平凡な幸せとは逆の方向に向かわせる。
 何かというと寿司をつまみたばこを吸い、びしっと着物を着込んだ母・タミの人生があまりに昭和の女のステレオタイプだからだろうか、第三章は面白みに欠けるが、谷村が性愛を描く筆致は本当にそそる。

真昼の花

真昼の花
【新潮文庫】
角田 光代
定価 420円(税込)
2004/8
ISBN-4101058229

評価:B
 冴えない女を書かせたら角田をおいて他にない、といっても過言ではない。所持金を使い果たしても旅先に居座る女の話「真昼の花」において、「私は本当に困ってみたかっただけなのだ」と主人公は認める。バックパッカーとは多かれ少なかれこの女と同じなのではないだろうか。邦貨にして10円を出し惜しみながら貧乏旅行を続けたところで、旅行者であるということ自体がぜいたくであるといわれれば認めざるを得ないはずだ。この10円の節約に清貧さは感じられず、煎じ詰めていうなら、欧米人の旅行スタイルを模倣したところで日本人にそれは定着しない(背嚢旅行者なんていわないわけだし)ということ。特に日本円と通貨の差が大きい東南アジアを旅するバックパッカーにはこの矛盾がつきまとう。主人公の告白はそれをうまく表現している。
 読者としてフラストレーションのたまる部分もある。例えば「格闘技めいたセックス」という表現。書くならちゃんと描写してほしい。ラストはあまりに『シェルタリング・スカイ』的である。

ダーク・レディ

ダーク・レディ(上下)
【新潮文庫】
R・N・バタースン
定価 各700円(税込)
2004/8
ISBN-4102160159
ISBN-4102160167

評価:A
 亜硝酸アミルが出てきた時点で事件の性格は自ずと知れる。登場人物の言を借りるなら「おかま向けの薬局を開業できそうな」大量の催淫剤が残されていたのは弁護士・ノヴァクの部屋。ステラ・マーズにとって、昔の恋人の不名誉極まりない最期は、たとえそれが屈折した愛の記憶であったとしてもショッキングな事件だった。これに先んじて、黒人娼婦と大型公共事業・スティールトン2000球場建設を監督する白人男性の全裸死体が発見されていた。検察庁殺人課課長のマーズは、次期市長を争う黒人地方検事ブライトを支える立場から真相解明を課される。
 タイトルは、その仕事ぶりから“ダーク・レディ”と呼ばれるステラが“非フェア・レディ”であり、ポーランド人移民労働者の子孫として“ワルシャワ”に育った非アングロサクソンであることを強くアピールする。襟の色の違いは肌の色だけによるものではなく、階級差は今なおアメリカ人の間に根を張るという。「成功ではなく成就を、野心ではなく夢を」という主張、何より「清濁合わせ飲む」という態度に殴打が加えられているのが感じられるはずだ。

終わりなき孤独

終わりなき孤独
【ハヤカワ文庫HM】
G.P.ペレケーノス
定価 1,155円(税込)
2004/8
ISBN-4151706593

評価:B
 ワシントンDCで探偵事務所を営むデレク。人種差別と貧困から、黒人の子供たちは麻薬や売春と隣り合わせ。子供にとっては相当タフな環境だ。そんな町の状況を憂うデレクは、少年フットボールチームのコーチをする。チームのメンバー・ジョーに風体の悪い叔父がいるのに気付いていながら、ジョーを守れなかったという痛恨の思いがデレクを動かす。子供に対しては「まっすぐに生きなきゃいかんよ」といっておきながら、デレク自身はマッサージパーラー通いを奇妙な理屈で正当化してきた。が、男としてやっと覚悟を決めたところにアル・グリーンの甘ーい歌声が流れ……、おしゃれでしょう。音楽あり、車あり、フットボールあり、セックスありのハードボイルド探偵小説(結構オーソドックス)。
 2002年の作品の文庫オリジナルという新鮮さもあって、描かれる黒人風俗がフレッシュ。一例、ジョージという名前は時代遅れ。じゃあかっこいいのは、ジョシュアとか? ジェローム?

犬と歩けば恋におちる

犬と歩けば恋におちる
【文春文庫】
レスリー・シュヌール
定価 810円(税込)
2004/8
ISBN-4167661713

評価:B
  カバーを見てください。帯の上を犬たちがトコトコ歩いているように見える。おなかの垂れた犬なんか地面(いや、帯)に着きそうで、かわいい。
 定番のラブコメである。ニーナは離婚歴あり(ということは結婚もしていたわけ)、過去のキャリアは捨ててきたという設定だ。親友に代わってやっているドッグ・ウォーキングの仕事は、雨の日も二日酔いの日も、足のムダ毛を剃る気の起こらない日も休みなし。自慢の“大学Tシャツ”コレクションから選んだ一枚と短パン、黒ブーツ姿で今日も散歩に行く。カクカクシカジカで恋も仕事も成功するわけだ、もちろん。三十路の女のラブ&サクセスストーリーは大ヒット先行作品があるだけに厳しい目を向けがち。そのうえ私は「ちょっとこんなの初めて」という話を好むほうなので、NYと犬ではいまひとつ乗れない。これがアルゼンチンとリャマだったらすごく興味深い(それはクレストだろうか)。それでも、フラッシュダンスを見てTシャツを切った経験のあるものとして随所で共感もした。好みが分かれると思うのは、短い文をつないだ文章と体言止めの多そうな文体か。