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勝手に目利き
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安藤 梢の<<書評>>


明日の記憶
明日の記憶
【光文社】
荻原浩
定価 1,575円(税込)
2004/10
ISBN-4334924468
評価:AA
 若年性アルツハイマー。その響きを聞いただけで目を背けたくなるような病気の重さを丁寧に見つめている。記憶をなくしていく恐怖などこの本を読むまでは考えたこともなかった。ご飯を食べたことを忘れてしまう短期記憶の喪失に始まり、大切な人や思い出をなくし、自分自身をなくし、体が生きることを忘れてしまう。主人公が自分の記憶にすがりつくように紙にメモを取り続ける姿は痛々しくて読むのもつらい。ふと思い出せなくなったときの焦りや恐怖が、あまりにリアルで息苦しくなるほどである。少しずつ人の名前を忘れ、道を忘れ、漢字を忘れていく段階が日記という形ではっきりと現れていく。自分が誰だか分かっているうちは、記憶をなくしたくなくてもがくのだが、実際に自分が誰かも分からなくなってしまうと既にそれを悲しいとは思わなくなる。そのことだけが救いである。そして自分の中に記憶できない分、人の記憶の中に残っていく。あまりに哀しくて美しいラストシーンに涙が出る。今年一番の作品だった。

真夜中の五分前
【新潮社】
本多孝好
定価 1,260円(税込)
2004/10
ISBN-4104716014
ISBN-4104716022
評価:B
 時計の針を5分戻し、その閉じ込められた時間の隙間に生きる僕。この物語、何かをなくした人ばかりが出てくる。大事な何かをなくしても、ただ淡々と時間は流れ日常に飲み込まれていく。その流れに追いつけない心の行き場所がこの5分間という、世界と自分とを隔てる時間なのだろう。誰かを失った自分を受け止めるのはとても難しい。
 この話の中でひときわ異彩を放つのが一卵性双生児のかすみとゆかりである。全く同じ遺伝子を持つ二人は他人からの名付けによって始めて自分が誰かを認識する。本当の双子がどうなのかは分からないが、自分と全く同じ遺伝子を持つ誰かが存在したら、確かに自分の存在意味など簡単に見失ってしまうだろう。自分を存在させるものは、ただ他者との関係の中にのみ見つけられる。センスのいい会話にさらさらと流れるような文章はとてもうまいのだが、読んだ端から消えていってしまうような心許なさも感じる。

みんな元気。
みんな元気。
【新潮社】
舞城王太郎
定価 1,470円(税込)
2004/10
ISBN-4104580023
評価:A
 相変らずの口語調の文章(とにかく読みにくい)にはいまだに抵抗があるが、その軽い文体の隙間から何か核心をつくものが見え隠れしているようで、侮れない。この人の文章は嫌がっていると勿体ないかもしれないな、と少しばかり考えが変わった。まるで子供のようにぐいぐいと伸びる自由な想像力にはただただ驚くばかりである。全く抑圧されていない。読んでいる方としては、ついていくのがやっとである。まず始めの一行からして突拍子もない。固定観念にしっかりと根を張っている一般人の思考など軽々と飛び越えていく。
 人が生きていくことは常に選択し続けていくことで、常に他の全ての選択を殺している、そのことをリアルに具象化し思い知らせてくれた作品である。ただ、長い長い独白を聞いているようなたらたらと続く文章には途中で挫折しそうになる。

香港の甘い豆腐
香港の甘い豆腐
【理論社】
大島真寿美
定価 1,575円(税込)
2004/10
ISBN-4652077475
評価:C
 日本でくすぶっていた高校生の女の子が、夏休みに父親のいる香港で暮らすうちに自分の存在理由を見つけていくという話。と、こう書くとよくあるありふれた話なのだが、そのありふれた感じがこの作品のよさだと思う。とても身近に感じる。香港という国の持つエネルギーがギラギラと生々しく、それでいて美しく描かれている。違う言葉を使っていながらも通じ合っていくその過程の喜びや、伝えたいという気持ちの塊がきちんと表わされている。言葉に頼らない感情の表現(声のトーンや表情)があって初めて、言葉を伝えるということの意味があるのだろう。「お茶飲む?」という簡単な言葉ですら、日本の複雑さの中では様々な気遣いや意味を孕み使いにくい。使った言葉がそのままの意味で受け止められるというのは、実はすごく大切なことなのだと気付かされた。主人公の彩美は全く知らない世界に身を置くことで、自分で決める、という生き方を見つけていく。

gift
gift
【集英社】
古川日出男
定価 1,365円(税込)
2004/10
ISBN-4087747212
評価:B
 1つ1つの話が短く、さらっと惹き込まれたかと思うとふっと終わってしまう。何だか儚い19の物語である。まとめて読んでしまうには勿体ない。全く違った話が集まっているのに、共通の透明感とほんの少しなげやりな空気が漂う。もう少し続きを読みたいという絶妙のタイミングで物語りは終わる。現実の世界をどこか皮肉ったような非現実を持ち込み収拾がつかないままに、読者はその途方もない世界に放り出されてしまう。しかし最後の言葉がピシリと決まり、全体をうまくまとめている。
 おすすめは、11話目「光の速度で祈ってる」。叔父夫婦が猫の子供を産むという話。人が猫を産むという突飛な発想も、ごく自然な流れですんなり受け入れてしまう。予想外の展開の後、結末は少しせつない。

空の中
空の中
【メディアワークス】
有川浩
定価 1,680円(税込)
2004/11
ISBN-4840228248
評価:B
 突然、空が落ちてきたらどうなるだろう。正確には落ちてきたのは空ではなく、白い巨大な物体なのだが。しかも生きている。どこまでも果てしなく続いていると思っていた空の中に、生き物が存在していたら……、そんな設定の上に物語りは成り立っている。始めは、未知との遭遇というようなかんじなのかと思ったら、予想以上に細部まで丁寧に描かれていて、現実的である。何より登場人物がとても魅力的(多少かっこよく描き過ぎな気もするが)。しつこいくらいに繰り返される「白鯨」(未知の生物)との討論は、自分でも無意識に使っていた言葉を再定義されていくようで面白い。感覚であやふやに使ってしまっている言葉や概念の説明はなんと手間の掛かることだろう。理屈をこねくりまわしているような遅々として進まない交渉の中にも、読ませる工夫がされている。
 一度犯した過ちを償うにはどうしたらいいのか。大人と子供の視点からその答えが見つかる。

くらやみの速さはどれくらい
くらやみの速さはどれくらい
【早川書房】
エリザベス・ムーン
定価 2,100円(税込)
2004/10
ISBN-4152086033
評価:C
 自閉症が幼児期に治せるようになった近未来、その治療法の発見よりも前に生まれた最後の自閉症者たちの話。ノーマル(健常者)な人々が無意識のうちにしている行為(例えば、人の表情や声色を読んで相手の真意を汲み取ること)が自閉症者にとっては困難である。自閉症者の視点から、言葉を発するまでの思考の流れを細かく追って描かれている。障害を持っているというよりは、コミュニケーションに関して人よりも少し慎重でまっすぐなだけなのだと気付かされる。ただ、丁寧に描かれているが故に持って回ったような文章は読みづらい。人との関わりの中で、少しずつ意識が外へと向いていく過程はよく分かる。知らないことを知りたいという向上心から出た結論はしかし、あっけない結末へとつながる。自分の人格を捨ててまでノーマルになるということにどんな得があるのだろうか。

いつか、どこかで
いつか、どこかで
【新潮社】
アニータ・シュリーヴ
定価 1,995円(税込)
2004/10
ISBN-4105900420
評価:C
 純愛小説、そう呼ぶにはためらってしまう。ただ現実に疲れてしまった中年の男女が、子供の頃の恋愛に逃避しているように見えてしまうのはひねくれているのだろうか。会社がうまくいかないことや、夫婦生活がうまくいかないことから昔の恋人(はたしてそう呼べる関係だったのかも分からないが)に逃げているとしか思えない。子供時代に好きになった人に若い頃の自分を映し出して惹かれていくという自分勝手な恋愛は端から見ていてもあまりいいものではない。お互いの家族を犠牲にしていくことで、精神的にどんどん追い詰められていくような圧迫感が漂う。そしてその果てにあるものは・・。
 少年少女の恋愛と中年の男女の恋愛が折り重なって描かれる縦の軸を主体に、さらに現実の二つの家庭という横の軸も加わる。少年の回想と中年の現実、浮気の正当性を証明するかのように執拗に子供時代の純愛を思い出していく過程は見ていて苦しいものがある。