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松井 ゆかり

松井 ゆかりの<<書評>>



アナン、

アナン、
【講談社文庫】
飯田譲治/梓河人
上巻 定価730円(税込)
下巻 定価770円(税込)
2006年2月
ISBN-4062753138
ISBN-4062753146

評価:★★★★
 飯田譲治という異才の名は知っていたが(梓さんのことは不勉強で存じませんでした、すみません)、ドラマは見たことがなかった(そもそも「古畑任三郎」以外はドラマというものをほとんどまったく見ないので)。だから、特別な才能を持った子どもが主人公のファンタジーだという帯や解説などの謳い文句から多少の先入観を抱いてしまったことをお許しいただきたい。
 他人の告白を聞き、自らが生み出すモザイクによって人々の心を癒す、奇跡の少年アナン。このような物語においては、主人公の人物造形にいかに説得力を持たせることができるかが鍵だろう。それはリアリティとは関係ない。アナンという存在がどれだけ強く人々の心に訴えかけるか…。そしてそれは心温まる形で成功している。
 しかしながら、どうしても気になることがひとつ。題名の「アナン、」の「、」は、藤岡弘、の「、」と同じ意味なのだろうか。

熊の場所

熊の場所
【講談社文庫】
舞城王太郎
定価819円(税込)
2005年12月
ISBN-4062753316

評価:★★★★
 舞城王太郎。こんな風に私の心を千々に乱れさせる作家は他にいない。
 好きか嫌いかという二者択一で語ることが難しい。もし好きかと聞かれても頷くことはできない。目を背けたくなるような暴力にあふれているからだ。しかし、嫌いかと問われればまた迷う。作品のあちこちに見られる健全さや真っ当さやナイーブさが妙に心を捉えて離さないからだ。
 猫殺しのまー君との奇妙な交流を綴る表題作。題名にもなっている「バット男」というあだ名の情緒不安定な人物の死をめぐる喪失の物語。そして、自分の将来を切り開くべくとある行為を恋人に対して続けた智与子の傷心を描いた「ピコーン!」。どの作品においても、世界は暴力や悪意に満ち、主人公や他の登場人物たちは痛手を負う。しかし、同時に不思議な希望に彩られてもいる。
 ほんとは舞城作品には全否定あるいは全肯定のいずれかこそがふさわしいのだと思う。そう言いながら、自分の評価は星4つ。中庸な自分が歯がゆい。

レイクサイド

レイクサイド
【文春文庫】
東野圭吾
定価520円(税込)
2006年2月
ISBN-4167110105

評価:★★★★
 東野圭吾は「白夜行」のように登場人物の心理描写を排して書かれた作品に真価がある、というのはある意味真実であるが、一方「時生」のように登場人物の台詞のひとつひとつから心情が胸に迫ってくる作品もまた素晴らしいと思う。
 「レイクサイド」では、子どもの中学受験に狂騒する親たちの姿が皮肉たっぷりに描かれている。私も別に受験受験と騒ぎ立てる親を否定しているわけではない。それも子を思うが故のことであろうから。しかしながら、この小説の親たちはやはりたがを外している。失敗しないことではなく、失敗を乗り越えることが大切なのだと教えるのが親の勤めであろうに(自戒含む)。
 それでも(結末の主人公のとった行動が正しかったかどうか、いまだ判断に迷うが)、これもひとつのハッピーエンドなのだろう。もしかして、東野圭吾は人情派?

噂


【新潮文庫】
荻原浩
定価660円(税込)
2006年3月
ISBN-4101230323

評価:★★★★
 いつの世にも口裂け女などの都市伝説は有効である。これほどの情報化社会になっても、というか、情報化社会だからこそ、と言うべきか。
 陰惨な連続殺人事件、売れるためなら何でもありの広告業界、おどろおどろしい噂話といった殺伐とした題材がてんこ盛りだが、事件を追う子持ちヤモメのコンビがいい。かたや巡査部長の中年男、かたや若くして警部補の立場にある美人刑事。お互いに尊敬の念を持ち、信頼関係を築き上げていく様子が微笑ましい。それぞれの子どもに対する愛情も心温まるものだ。
 それだけに、「衝撃のラスト一行」にはいきなり横っ面を張られたような思いがする。後味の良さを犠牲にして最後の最後にひっくり返る物語は、都市伝説よりもこわいのは人間(もしくは荻原浩という作家)であるということをまざまざと見せつけてくれる。

生きいそぎ

生きいそぎ
【集英社文庫】
志水辰夫
定価580円(税込)
2006年2月
ISBN-4087460126

評価:★★★
 この本でひとつがっかりしたことがある。中身ではなく、著者近影。志水辰夫ってこんないい男なの?俳優の高橋幸治を甘くしたような感じ。中年男の悲哀も、このような色男が書いていたとあっては感興も半減だ。借金だのの金銭問題のいざこざならともかく、女性関係については「もてて困る」くらいの悩みしかなさそうではないか。
 …という与太話はさておき、オチのある話を書く作家というイメージがなかったので、この短編集は意外な思いで読んだ(個人的にはあまり無理に落とそうとしていない作品の方が好みだが)。しかもいくつかの作品にはオカルト風味も。しかし、もともと志水さんは冒険小説やミステリー作家として世に出た人だったのだ。私が不勉強だっただけで、以前からのファンにとっては最近の志水作品の方が驚きなのかもしれない。今後はさらにまた違った作風の小説を書いていかれるとのこと。やはり志水辰夫という作家はくたびれた中年どころの騒ぎではないのであった。

陽気なギャングが地球を回す

陽気なギャングが地球を回す
【祥伝社文庫】
伊坂幸太郎
定価660円(税込)
2006年2月
ISBN-4396332688

評価:★★★★★
 ロマンはどこだ。
 (ろまん【ロマン】1.文学用語でロマンスと同義。伝奇的な物語。2.夢や冒険に満ちた事柄。
  ―はどこだ【ロマンはどこだ】銀行強盗に押し入る際の合図の言葉。)

 以前NHKBS「週刊ブックレビュー」のミステリー特集で、北上次郎・関口苑生両氏が「年間ベスト9に『重力ピエロ』と『陽気なギャングが地球を回す』のどちらを入れるか」で激論を戦わせていた。北上さんが『重力〜』派で、関口さんが『陽気な〜』派。結局ベスト9入りしたのは『重力〜』だったが、私は断然関口さんに一票だ(「重力〜』ももちろん好きだが)。当時の残念さも含め、ここで強力に推させていただきたい。

 ロマンはどこだ。
 ロマンは伊坂作品の中にある。


繋がれた明日

繋がれた明日
【朝日文庫】
真保裕一
定価720円(税込)
2006年2月
ISBN-4022643595

評価:★★★★
 ある夏の日、自分の恋人にしつこく言い寄っていた男をはずみで殺してしまった主人公隆太。
 隆太は繰り返し自らに問う、「悪いのは自分だけなのか?」と。どんなに卑劣な人間であっても、死なせてしまえば殺した側だけが一方的に悪く、殺された側には何の咎もないのか。簡単に答えの出せる問題ではない。
 もしも自分が犯罪被害者だったら、あるいは加害者の家族だったら、とても冷静にこの本をよむことはできないだろう。現実はそんなに甘いものではないはずだ。それでも隆太には見守ってくれる人々がいる。何度も挫折しそうになる隆太を支える保護司や、時に自らも挫けそうになり時に鋭い言葉で隆太を責めながらも理解しようとする家族。たとえ理想主義だと言われても、思うよりも人間は優しく人生は希望に満ちていると信じたい。

ファニーマネー

ファニーマネー
【文春文庫】
ジェイムズ ・スウェイン
定価780円(税込)
2006年2月
ISBN-4167705168

評価:★★★★
 自分自身はゲームセンターにすら足を運ばない人間なのだが、カジノやギャンブルの出てくる小説はおもしろいと思う。次々とイカサマを暴いていく主人公トニー・ヴァレンタインの手際の見事なこと!
 親友の死、知人の裏切りなど、胸の痛む事件(息子が不甲斐無いというのも不幸と言えば不幸)が畳み掛けるように起こるのだが、全編不思議と明るさに貫かれている小説だ。若く魅力的な女性とのロマンスまで盛りこまれているし。モテモテだな、ヴァレンタイン!
 「人生50年」の時代には62歳といったら化石のような存在だったと思うが、これからはこういう元気なご老体の活躍する小説が増えるかも。楽しみですな。

小鳥たち

小鳥たち
【新潮文庫】
アナイス・ニン
定価500円(税込)
2006年3月
ISBN-4102159215

評価:★★★
 昔観た「ヘンリー&ジューン 私が愛した男と女」という映画を思い出した。無名時代の作家ヘンリー・ミラーとその妻ジューン、そしてこの本の作者であるアナイス・ニンが出てくる。『小鳥たち』みたいな雰囲気の映画。細部はもうほとんど覚えていないが、記憶にあるアナイス役のマリア・デ・メディロスという女優がカバーの折り返しにある写真とそっくりで驚く。
 …というような閑話を書き連ねているのも、この短編集そのものについて語る気恥ずかしさを回避したいためだ。解説で我らが三浦しをんさんが「…(この本について)誰かと語り合いたいと思った。どの物語が好きだったか…(略)」と書かれているが、残念ながら私には表題作の「小鳥たち」くらいが限度だ。性犯罪者めいた主人公の行動が滑稽であり物哀しくもあり。
 別に道徳的な人間ぶるつもりは微塵もないけれども、現代ほど情報が氾濫していないが故に極限まで煮詰められた感のあるエロティックさが、ちょっと息苦しい。

シブミ

シブミ
【ハヤカワ文庫NV】
トレヴェニアン
定価各798円(税込)
2006年2月
ISBN-4150411050
ISBN-4150411069

評価:★★★
 帯にある「ミュンヘン五輪のテロ犯vs孤高の暗殺者」のコピーを見て、映画「ミュンヘン」のような実録風の社会派小説だろうと考えたとしても誰が責められよう。いや、私は決してこの小説を貶めようとしているのではない。こんなに突っ込みどころが満載の小説だとは!
 まず、上下巻合わせて700近いページの多くが、テロとは直接関係ない描写に費やされている。ではいったい何が書かれているのか。大部分が日本文化についてである。外国映画などでたまに目にする日本に関する知識の欠如(フジヤマ、ゲイシャ的誤解)はほとんど見られない。それどころか、大半の日本人が知らないようなことが自然な形で物語に織り込まれている(各章の副題となっている囲碁用語を読まれよ)。若き日の主人公ニコライ・ヘルが、人生の最終目標は〈シブミ〉のある人間だと心に決める場面など、申し訳ないが爆笑してしまった。日本人でもめったに思いつかないだろう、こんなこと。
 …おそらくこのようなおもしろがり方は邪道だと思いますので、みなさんはもっとまっさらな心でお読みになるとよろしいかと存じます。