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WEB本の雑誌今月の新刊採点【文庫本班】2007年6月の課題図書 文庫本班

ロンリー・ハーツ・キラー
ロンリー・ハーツ・キラー
星野智幸 (著)
【中公文庫】
税込840円
2007年4月
ISBN-9784122048515
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  荒又 望
 
評価:★★★☆☆
 オカミの急逝で混乱し始めた時代に生きる若者3人の手記。年代は明記されていないものの、そう遠くない未来だと推察できる設定になっている。
 オカミとは、「女将」ではなく、「お上」もしくは「御上」。実在する個人とは関係ありません、と断り書きはあるものの、読めば、特定の人物が頭に浮かぶ。なかなかに大胆だ。
 ある大きな存在を失うことで、人々が無気力に陥る。やがて死を選ぶ者が現れ、その波が次々と広がっていく。その広がり方は、目をそむけたくなるほどおぞましい。「こんなこと、あるわけがない」「あったとしても、自分には関係ない」とは決していいきれないところが怖い。さらに、「自分ならどうする?」と我が身に置き換えて考えるのも怖い。手記という形式も、目の前で語るのを聞いているようで生々しく、背筋がぞわりとする。
 生きているという実感。社会に参加しているという実感。他人と関わりをもっているという実感。自分の人生。他人の人生。自分の死。他人の死。読みながら、否応なしに考えさせられる。読み終えて、心のなかにざらざらしたものが残る。さらさらっとは決して読めない、手ごわい作品。

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  鈴木 直枝
 
評価:★★★☆☆
 難解な小説だった。するするとストーリーを追ってはいるのだが、本題がすとんと腑に落ちない。ある地点から気になった会話を書き写していた。「カメラで見るなよ。汚ねえよ。見たけりゃ肉眼で見ろよ」。「オカミ」と呼ばれ崇められる人物が夭折してから、人々から会話が消え、メールが止まり、放心したかのような人が目立つようになった。何かを変えてくれるかもと期待していた存在が消えてしまったのだ。若者たちは迷走する。模索する。紛糾する。画策する。飛び立つ。
 言われたくないことを何度も突かれた。「わかるわかる」と安易に同調してしまう自分。「とりあえず」という今日をつぶす人間はいるが、明日を語ることのできる人間が不在なことの恐怖。「それでいいじゃん」と楽観する自分と「それでいいのか」と憤る自分。彼らの言葉一つから幾層もの想像が生まれる。読み終えたその後に、引きずられるタイプの本だ。
 「映画で何を言いたいか、と聞かれ一言で答えられるなら映画にしない」とは北野武映画監督の弁。な〜んだ、一言で言えないことを苦にする必要はないんだ。って逃げ?

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  藤田 佐緒里
 
評価:★★★★☆
 この国を象徴する「オカミ」が死んだ。あぁ、最初から私が苦手なタイプの作品だわ、だいたい「オカミ」てなんなのよ、と思って読み始めたのに、途中からこの著者に自分の言葉を代弁してもらっているような気持ちになってきて不思議だった。近未来小説といえばいいのだろうか、たぶんとても位置づけの難しい小説だと思う。
 「オカミ」という人物の没後、人々は急に生気もやる気も何もかも失くし、街に出ることをやめ人前から姿を消していく。何もせず、引きこもり、立ち上がることもできない。
 こういうことって、なんとなくわかる気がするんですよね。何かをきっかけに何もできなくなること、心がぽっきりと音をたてて折れてしまうこと。だから読んでいてすごく怖かった。実際にはありえないのだけれどリアリティーがありすぎて、近未来などという言葉で片付けられないような重みがずっしりとこの小説から伝わってきた。すごい作品だと思います。
 あたしが根暗だからかもしれないけど、たまーに自分の頭の中でこの手の想像をして急に怖くなって逃げ出したくなります。怖いんだけど、こういうことが実際に起こる日もそんなに遠くはないかもしれない、と思うととても人事のようには思えないのです。

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  藤田 万弓
 
評価:★☆☆☆☆
 3つの手記から本書は成り立っております。第一章の井上の手記、第二章はその友人のいろはの手記、第三章はいろはの友人のモクレンの手記。
 第一章で繰り返し記述されるのは、井上の執拗なまでの「誰かに何かにコミットしたい感覚」である。カメラマンを目指す井上は、恐らく表現者と言っていいだろう。(本人がどう思っていたかわからないが)ということは、多少なりとも人より人間関係に敏感であったり、感傷的な側面があると考えていい。それを考慮してもなぜ創作仲間である、いろはの恋人のミコトに執着し、「3人」という枠で関係を成り立たせようと考えていたのか?という点が不可解だ。
 手記の中で「3人の関係は崩れた」という内容を井上もミコトもいろはも互いのメールのやり取りの中で告白している。
 友人の恋人関係の中に入っていき、三角関係を(それも通常の色恋沙汰とは違う、もっと人間としてのつながり)積極的に取ろうとするコミュニケーションの感覚がどうしても理解できない部分だった。

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  松岡 恒太郎
 
評価:★★☆☆☆
 読みもせずに酷評するのはさすがにルール違反であるから、途中なんども放棄しようと思ったが、とにかくなんとかこの難解な作品を読み終えた。
 例えるなら、ビジュアル系バンドのあんちゃん達が歌っている、抽象的な言葉ばかりを選んで作った解ったような解らんようなラブソングみたいな小説だ。僕はどうも彼らが好きになれない。おなじ『愛』を歌うならいたって解りやすく「バンザイ!君に会えてよかった!」とやってほしいのだ。
 つまりは回りくどい。これぞ文学ですという上から目線も気に入らない。さらに読み手の側こそがこの作品から何かを感じとるべきだという無言の威圧感が伝わってくるのも気に食わない。そうこられると、こちらとしても意地でも何も感じとってやるものかとムキになってくるのが心情である。
 まあ世の中、いろんな文学があってしかるべきなので勿論著者が悪いワケではない。ただたんに僕には合わなかったというだけです、残念ながら。

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  三浦 英崇
 
評価:★★★☆☆
 何かを媒介しなければ「現実」を得られない、そんな時代に俺たちは生きてます。じかに会って話をする相手よりも、ネットを介して付き合う相手の方が、自分にとって、はるかに身近で、現実味があったりします。現実なんてのは、しばしば虚構に過ぎず、逆に虚構の世界の方に現実感がある、そんな瞬間がしばしばあります。
 「リアル」ってのは、何を根拠に「リアル」なのか。そういう問いを、この作品を読んでて突きつけられたような気がします。それはやっぱり、現実に現実味を感じる必要もないまま、与えられる情報で現実を構築していくことに、何の疑問も感じていないからですか?
 「うつし世は夢、夜の夢こそまこと」と言い放った江戸川乱歩の描く世界のように、この作品では、大陸からの黄砂が視界を遮り、心中が流行し、心の拠り所を失った者達が、無限に続く鏡像の悪夢にうっとりしています。そんな世界に共感するのは、ちょっと疲れているからかなあ。

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  横山 直子
 
評価:★★★☆☆
未決定、中途半端、宙ぶらりん、どっちつかず、あぶはちとらず、生きる屍、死せる魂…。
「はっきり言って、俺は社会に参加して生きている実感がない。」

生きていることに無気力になっている青年をとりまき、いろんなタイプの若者が登場する。
彼らが住んでいる街は、つい最近オカミなる存在が死に、黄砂を含んだ熱風が吹き荒れる日が続いていると言う。
そんな街を抜け出して、一転、物語の舞台は緑豊かな森へと向かう。
このコントラストが鮮やかで、一息ついた気持ちとなる。
しかしながら心の閉塞感はそのまま。
若者達がさまざまな葛藤を抱えながら、自分の気持ちとどう折り合いをつけて生きていくのか…
もがき、苦しみ、納得し、そして行動する。
その過程がじっくりじっくりと綴れられる。


中華街でコバルトブルーのどんぶりと蓮華を買うシーンがある。
なぜかこのコバルトブルーの気になって仕方がなかった。
なにかのメッセージを受け取った気がした。

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