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WEB本の雑誌今月の新刊採点【文庫本班】2007年8月の課題図書 文庫本班

漱石の夏やすみ
漱石の夏やすみ
高島俊男 (著)
【ちくま文庫JA】
税込819円
2007年6月
ISBN-9784480423436
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  荒又 望
 
評価:★★★☆☆
 夏目漱石が友人の正岡子規に宛てて記した紀行文『木屑録』の解説と、日本人と漢文の関わりについての考察。
 文章を書き、友人どうしで批評し合う明治時代の青年たち。「ここはこう直したまえ」と添削したり、「おぬし、なかなかやるな」と賞賛したりと、なんとも羨ましいような知的で刺激的なつき合いだ。そうして腕を磨き上げて、100年以上が経った今にまで読み継がれるような作品を著したのだと思うと、しみじみとありがたい。
 「心身ともにすこやかで、なおかつ抜きん出た筆力がある者でなければ、紀行文を書くに値しない」といった一文があるが、文章を書くことへの、確固とした心構えには頭が下がる。メールやらブログやらが普及したおかげで書くことに対する心理的な垣根がぐっと低くなった今の世のなかを漱石が見たら、さぞかし驚くだろう。そんな想像も楽しい。
 さて、『木屑録』は、いわゆる漢文で書かれている。漢文、そういう授業もありましたね。でも大学受験を終えてしまえば、レ点も返り点も五言絶句も七言律詩も忘却の彼方。著者は、そんな漢文教育を容赦なく一刀両断にしてくれている。国語の先生および特に文系受験生の皆さんは、今すぐ本作を読んだほうが良いような、とりあえず今は読まないほうが良いような…。

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  鈴木 直枝
 
評価:★★☆☆☆
 夏目漱石が23歳だった頃、学校の夏休みを利用して房総へ旅をした。その記録は友人の正岡子規宛てに書かれ、かわりに子規の批評が漱石に届いた。それを1937生まれの著者によって今様に訳されたのが前半部分。後半は、その記録がどんな形で書かれていたかの解釈編になる。英語を習ったほうが実際的と言われた明治にあって、何故原文は漢文で書かれていたかに始まり、韻に使い方のミスを指摘され、昔の人の漢文の勉強法まで知識は及ぶ。
 著者の訳は愉快だ。「アニイタリガタランヤ」は「お茶の子さいさい」だし、「それより今日までノンベンダラリ。これっばかしの進歩もなし」というダメダメ漱石もいる。かと思えば茶目っ気たっぷりの漱石に対し、先生ぶることが好きな子規がいたり、喀血し、単位の修得が危ぶまれた子規のために奔走する漱石のいい奴な面も伺える。この時代の学生の様子もあり、前半はピッチよく楽しめたが、「お勉強」モードになる後半は、高校の漢文の授業を思い出し、苦痛が伴う場面もあった。がそれにつけても「明治に生まれなくて良かった」としみじみ思う。漢学をやみくもに覚えるなど絶対に無理だ。
 漱石が「隣の兄ちゃん」に思える作品です。

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  藤田 佐緒里
 
評価:★★★★☆
 まず、何がいいかって、この高島俊男氏の言葉の美しさ。「はじめに」を読んだだけでも、なんだかポッと頬が赤くなってしまいそうなほど言葉が綺麗。これは期待しちゃいます! ってなわけで、漱石が書いた漢文を高島氏が訳したという、二倍楽しみな作品です。
 『漱石の夏休み』とは、漱石が第一高等中学校時代の夏休みに出かけた房総の旅行記の現代語訳です。漱石が書いたのは「木屑録」という漢文。この漢文は静養中だった正岡子規に宛てて書かれたものなのだそうです。木屑、というのは、無用のものだがとっておけばなにかの役に立つかもしれない、という意味なのだそう。子規はこれに批評をつけて漱石に返したのだとか。そういうものを今になって私たちが読むことが出来るというのは、なんだか奇跡的なことのような気がします。百何十年後かに、私が誰かに宛てて書いた旅行記などがこんなふうに読まれることなどきっとないでしょうが…。
 訳の後には、「漢文について」や、「日本人と文章」、「木屑録を読む」など、興味深い章が続きます。面白くわかりやすいことはもちろんなのですが、ここでもやっぱり美しい言葉で説明がなされていて、あぁ、日本人たるものこのくらい日本語を美しく語らねば、と啓発された気分です。
 ひとつ自分の肥やしになって、日本人である私の力になってくれた一冊でした。

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  藤田 万弓
 
評価:★★★☆☆
 子規との交友や日本人の「漢文」観にも及ぶ名書。夏やすみに漱石が友人4人と房総旅行に出掛け、その見聞をしるした漢文紀行です。当時、漱石も子規も数えで23歳。旅行前、何かと指導癖がある子規から文集を見せられ、刺激を受けた漱石が、子規を楽しませながら、「漢文の腕前なら自分の方が上だぞ」と示そうとしたのが「木屑録」らしい。旅先に子規から届いた手紙では、子規は自分のことをふざけて「妾(あたし)」と呼び、漱石のことを「郎君(おまえさん)」と呼びあっていたり、二人の仲の良さが見てとれます。
 たいてい漢文訓読調の翻訳というと、かしこまった文章になってしまって書き手の臨場感がなくなってしまう。そこに目をつけて、漱石と子規のやり取りを出来るだけ忠実に現代風に再現しつつ、日本人にとっての「漢文」とは何か?を問い直したのが本書。開けっぴろげでありながら、辛辣。わかりやすい文章で言葉の誤用を説明してくれる高島ワールドがここにあります。

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  松岡 恒太郎
 
評価:★★★☆☆
 学生の頃に戻って、近代文学の講義でも受けている気分で楽しく読ませていただいた。
 漱石の並々ならぬ語学力を思い知らされ、さらに人間夏目漱石を一歩身近に感じることができた。
 漱石が正岡子規のために書いた紀行文『木屑録』について記されたのが本書である。
ところで、肝心の『木屑録』が漢文であったため、著者は「漢文」についても頁を裂き丁寧に説明されているのだが、この説明が実にためになった。
 なにを隠そう昔から漢文が苦手だった。いくら考えても難解で、頭の方がついてゆかない僕だった。しかし著者はそれでいいのだと言う。漢文は訳が解らなくって当たり前なのだよ、それで正解なのだよと教えてくれた。
それを聞き、そうかそうか間違っちゃいなかったのかと安直に胸をなでおろした僕だった。

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  三浦 英崇
 
評価:★★★☆☆
 ブログやSNSなどで、日常雑記を書き散らす日本人は非常に多いようです。百年前の青年・夏目漱石君も、現在に至るまで連綿と続く日記文化にどっぷり浸かってたご様子。
 房総半島への旅日記を漢文調で書いて、友達の正岡子規君に「ほれ。俺の文章どうよ? 面白くね?」てな感じで提示したのが、この著書の前半で現代語訳がついた『木屑録』。うわー、若いなー漱石君てば、と思わせる、稚気と気概に満ち溢れた文章は好感が持てます。
 でもって。現代語訳と、当時の漱石と子規の交友あたりでとどめておけばいいのに……著者の高島先生は、こと漢字と漢文に関しては第一人者であらせられるため、しばしばとても偏ったこだわりを示して下さいまして。
 これが例えば『漢字と日本人』や『中国の大盗賊』といった、先生の代表作なら素直に受け止められるのですが、漱石をダシにして、自論をまくしたて過ぎでは? という感じもしなくはないです、正直なところ。

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  横山 直子
 
評価:★★★☆☆
おりしも小学生の娘が夏休みに入ったばかり。
夏休みのイメージと言えば、私にとってはひたすら続く自由な時間ではあるが、さて夏目漱石の夏休みとは、いかに?
彼が23歳の時に書いた漢文紀行「木屑録」に詳しく紹介されている。
それを高島俊男さんの名訳で楽しめる一冊だ。

漱石は友達四人とともに房総へ出かけたそうだ。
毎日毎日海水浴をし、宿に帰れば食べて飲んで、風呂、そして碁か花札。
いやいや漱石だけはその仲間に入ることなく物思いにふけり、そして詩をしたためていたそうだ。
「木屑録は、漱石が正岡子規ひとりに見せるために書いたものである」とあったが、はたして漱石は一緒に旅行に行けなかった静養中の子規を思い、この旅行記を完成させたのである。
「ここは笑うぞ、ここはきっとおれを見直すぞ」そう思いながら筆をすすめる漱石を思いうかべるとまたこの旅行記も違った印象を持ち、なんとも楽しい。

漱石や子規の自筆の写真版や木屑録の活字版も巻末に紹介してあり、実に興味深い。
セミの鳴き声を聞きながら、この書評を書いていると、まさしく私も夏休みの宿題をしている気分となった次第である。てへ。

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