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アサッテの人
諏訪 哲史(著)
【講談社】
定価1575円(税込)
2007年7月
ISBN-9784062142144
>> Amazon.co.jp
>> 本やタウン
小松 むつみ
評価:★★★★☆
私小説的な体裁で、失踪した叔父の残した日記を手がかりに小説を書こうとする、作家の思考のプロセスが描かれる。一見、そのタイトルから、主人公は叔父という錯覚に陥ってしまうのが厄介である。なぜなら、「アサッテの人」である叔父を描く努力はされていないようだからだ。そのしくみが、この作品を「アサッテの人」の話として読もうとした読者には、あまりに肩透かしで、期待はずれと思わせてしまう。その点が実に損をしている。
芥川賞受賞作。独自の手法で、文章も、構成力にも、力量は感じるが、いまひとつ作品としての惹きつけられるものがなかったのが惜しい。次作に期待。
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川畑 詩子
評価:★★★★☆
「アサッテの方を見る」「話がアサッテに行く」。私にとって「アサッテ」はこんな使い方だが、アサッテの世界は奥が深い。これを追究し、取り憑かれた叔父の口癖は「ポンパ」。字面では弾むような音声に思えるこの口癖。しかし叔父さんはきっと、切実に振り絞るように発声していたのだろう。はじめ軽やかに思えた「ポンパ」の響きが、次第に深刻な色合いを帯びてくる。これは、ことばとがぶりよつに組み合った人間の壮絶な闘いの記録だ。それでも口ずさんでみたくなる「ポンパ」の魔力や恐ろし……。
スタイルもユニーク。自分を見つめがちな十代、二十代の覚え書きのようで、どこか違う。起承転結、カタルシス、文体の統一……それらを備えていなくとも、作品は成立することを知った。
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神田 宏
評価:★★★★★
「アサッテの人」とは何か? それは、こんな風に描かれる。幸せそうな夫婦。妻は料理本を見ながら「豆腐のサクサク揚げ」について考えている。「作るなら明後日だろう。明後日なら夫も当直明けで午後には帰ってくる。(中略)ワインは…白?」夫は古典の本をソファーに座って読みふけっている。「BGMがヴィヴァルディの協奏曲の有名なフレーズにさしかかり、わたしは思わずそれをハミングしながら、湯気の立つ紅茶のカップに手を伸ばす。とその途端、傍らの夫が突然椅子から飛び上がり手を打ち足を叩きつけながら、「ポンパッ」と張り裂けるような声で絶叫する。」そんな具合。
妻を突然の事故でなくした夫。その夫の甥が、失踪した叔父の集合住宅の机の中から見つけた日記を頼りに、「アサッテの人」であった叔父を語る。「ポンパッ」「ホエミャウ」「タンポンテュー」。叔父が脈絡なく発する奇語、奇声をたどるうちに、叔父の真摯なそして深い悲しみが浮かび上がってくる。「アサッテ」とは「世界の外」であり、「ありきたりな出来事、習慣、一般常識」から「離反し」どこか「無重力の場に憩うこと」だとしたら叔父の一見脈絡ない奇語も日常をずらす行為としか思えなくなってくる。「日常の凡庸さを必要以上に意識し、あえてそれを一度背負い込んだ形で実践される。」その行為は自己が既知の了解事項に埋没するのを、正面きって回避するのではなく、とらわれた現実に奇異なものを紛れ込ませることによって、現実に一瞬の隙を穿ち、そこからずれて逸脱してゆく行為なのだ。「アサッテの人」それは狂気の淵にさらされながらも現実を見据え、そこで自己を保つぎりぎりの行為なのである。真摯な生き方が胸を打つ、現代の物語である。
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福井 雅子
評価:★★★☆☆
変わり者の叔父を題材にして『アサッテの人』という小説を書こうとしている主人公の執筆過程を、叔父の行動に関する資料や分析を並べながら描いた小説。
言葉に対する鋭い感性とこだわりに支えられた作品である。「言葉」を題材にこれだけのエピソードを創作し、斬新な構成で小説にまとめている点、文学賞の審査員の方々の評価が高いのもうなずける。「で、結局何が言いたいの?」という気もしなくはないが、著者の言葉に対する卓越した感覚を楽しみ、文章の持つ美しいリズムを味わうことで十分に満足感は得られる。文章は、言葉遊び的なユーモア感覚と内容の滑稽さにマッチしたちょっとおどけたリズムだが、無声映画の弁士の語りのようにテンポがよく無駄がない。「チューリップ男」のように常識の枠をアサッテの方向に突き破りたいという、実は多かれ少なかれ皆が持っている衝動をクローズアップし、それを実験的な手法で小説にまとめた──その奇抜さだけでも一読の価値はあるはず。
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小室 まどか
評価:★★★★★
吃音癖からの脱却で失ったバランスを、「アサッテ」的言動による発散で保ってきた叔父。しかし、彼は妻の死を機に言葉へのこだわりに絡め取られ、失踪してしまう――。
本を開いて一瞬、自己満足の言葉遊びや言い訳の羅列ではあるまいな、と警戒したのだが、とんでもなかった。「アサッテ」というのは、「〜の方角」などというときのそれで、凡庸な日常からの意図せぬ逸脱といった謂いである。尋常ならざる言葉への拘泥、意味を超越した律からのズレや語感のもたらす愉悦、定型化する作為や欺瞞への嫌悪……。言葉を、文章を愛するものであればこその感覚を、叔父との思い出、叔父夫妻の日常を小説化するための草稿、次第に分裂していく日記からの引用をつぎはぎする、という作為を廃するための作為の形で提示する。これはわれわれの言葉に対する油断に向けられた一種の問いかけでもあり、「アサッテ」の方への誘いかけでもある。付記の大便箋の哀しいながらも滑稽なダンスを想像するころには、あなたも「ポンパ」にとりこまれつつあるかもしれない。
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磯部 智子
評価:★★☆☆☆
う〜ん、自意識過剰の小説はもう結構だと後退りしたくなる。同質社会で生きる以上、常に付きまとうのは、社会と自分とのズレであり、生きていく過程で折り合いをつける人も居れば、いっそ孤立したフリをして立ち位置確保と言う手もある。もちろん少数の頑固な本物もいる。この小説の中の「叔父」は、現在行方不明というれっきとした事実(設定)がなければ、極めて中途半端な印象を持つ。吃音だった叔父が20歳を境に吃らなくなる。それまでの不便さがなくなり、「普通の人々」と共通の言語を取得し、めでたしめでたしとなるところ、「自分の吃音を取り落とした」彼は新たな言語を取得する。それが「ポンパ」「チリパッパ」等という奇声なのは一体何故なのか? 今まで異質なものとして他者と充分な距離感を保つ原因であった吃音がなくなり、コミュニケーションの手段を得た途端、社会の一構成員であることを強要され、逆に居場所を失ってしまったのだ。自分自身を別の言語に「翻訳」しなければならない違和感と、ありのままの自分を受け入れて!という心の叫びを聞きながら、悲痛さにも度合いというものがあるから、この程度で騒いでくれるなと、小さな声でひとりごちた。
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林 あゆ美
評価:★★★☆☆
新人賞作品を読むのが個人的趣味。新しく世に出てくる人がどんな表現で小説を書ききるのか、そこに尽きない興味がある。
本作は文章を書いてある順序に読んでいるつもりなのに、ぱらりと向きを変えられてしまい、その不思議な構成に、こういう形で小説が成り立っていくのだと、新鮮に感じた。
著者らしき著者が小説の中に登場し、叔父について書こうとしている。それが「アサッテの人」っぽくなったり、違う話であったり、しっかり集中していないと、言葉の中で迷子になってしまう。あんまりきっちり何かをつかもうと読んではダメなのだ。ちょっと言葉の音にまかせて読むのが吉だと思う。
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