WEB本の雑誌>今月の新刊採点>【文庫本班】2008年7月 >福井雅子の書評
評価:
手ごわい本だった。謎めいた殺人事件が起きるけれど、エンターテインメント系のミステリとはちょっと違う。ロボットや人口知能が話題の中心にありながら、SFとも言い切れない。『デカルトの密室』というタイトルでもわかる通り、ストーリーの発想は哲学的。まさに作家であり研究者である瀬名秀明だからこその作品だ。
科学と哲学が好きである程度のレベルの知識がある人だったら、評価は五つ星なのかもしれない。読んでいて、面白さと深さの片鱗を確かに感じる。でも残念なことに、自分の知識と思考力が追いつけない! きちんと理解して読んだつもりでも、読み終えてみると半分しか理解していないような気がする。レベルが高くていい本だとは思う。でも、エンターテインメント系ミステリを期待して手に取った読者の大半が、途中で置いていかれてしまいそう……。
評価:
短編集で、ひとつひとつの話はとても短い。言葉で切り取ってきた風景で、悲しみや寂しさなどを表現するような、詩集か写真集のような印象の本。抑制された淡々とした表現と、対象から距離を置くような冷めた目線が、モノクロ写真のような静けさを醸し出し、余計な装飾がない分だけずしんと心に響く。表現に芸術的なセンスすら感じさせる味わい深い本である。
それにしても、このトーンの暗さはものすごい。表現されているものは、絶望、悲哀、寂寥感、死、落胆、喪失感……ネガティブなものばかりだ。全26編に明るい話はひとつもない。それはそれでひとつの表現なのだと思うが、落ち込み気味の人や癒しを求める人、心を元気にしたい人にはちょっとおすすめできない本だ。
評価:
お互いのことを思っているのにいつのまにか心が通わなくなってしまった家族の「再生」を、小学5年生のちなつの目を通して描いた心あたたまる作品。大切な存在を失う経験を通したちなつの成長の物語という側面もあり、物語全体をハワイのあたたかくのんびりした空気が包み込んでいるため、読者は気持ちよく心癒される。
ハワイ旅行とおばあちゃんの手助け(?)をきっかけにしてちなつの一家は家族の絆が再生されるのだが、この半分幽霊の「おばあちゃん」の存在によって物語はファンタジーの要素を持ち、さらに厚みのある作品になっている。高学年なら小学生にもおすすめできそうな、かわいらしい作品。
評価:
北極海で氷漬けになった船から橇を引いて徒歩で脱出した11人のサバイバルの記録なのだが、薄めの本ながらものすごい迫力である。これぞまさに「真実」の力。フィクションにはない、湧き上がるようなエネルギーがぐいぐいと迫ってくる。
乏しい食料、仲間同士のいさかい、歩いても歩いても氷盤ごと北に押し戻されてしまうもどかしさ、陸地が見えてこない不安、そして究極の寒さ……。どれをとっても想像しただけで気が狂いそうになる。結局著者は苦難の末に見事生還を果たすのだが、極限状態をサバイバルするには、強靭な肉体と強い精神力、勇気、冷静さ、賢さ、忍耐力などをバランスよく兼ね備えていないといけないということを思い知らされる本である。
断片的な日記と記憶を元にして作家ではない人間が書いた本だから、文章は決してうまくはないのだが、淡々と簡潔な文章はむしろ想像力をかきたてる。とにかく、圧倒的な「事実の迫力」の前に脱帽!
評価:
この本は龍盤七朝シリーズの第一弾という位置づけで、ストーリーが動き出す直前で終わってしまうような印象を受け、ストーリー展開の面白さという視点は抜きにしての評価になってしまった。物語の背景の設定や人物の設定は悪くないと思うのだが、その説明に一冊かけたわりには、やや書き込みが浅いように感じた。まだストーリーは大きく動き出していないが、何かが起こりそうな気配は十分に伝わり、続編が気になる。これで人物をもっと深く掘り下げて書き込んであれば、人物の魅力に引きずられて、続編を予約しに今すぐ書店に走ることになるのだが……。
剣をめぐる物語を和風ではなく中華風のファンタジーで描いたというのも、面白いと思った。
評価:
鉄道オタクの大先輩が後輩たちに、今はなき古きよき電車たちと、電車のある風情あふれる風景を紹介したエッセイ集である。行間に鉄道に対する愛情がにじみ出ていることは言うまでもないが、著者自身が書いていて楽しくてしょうがないのだということが伝わってくる。子どもが自分の好きなもののことを話すときのように、ニコニコとうれしそうに書いたに違いない!と思えてくるような文章だ。私は特に鉄道に興味があるわけではないし、ここに描かれた時代を懐かしむほどの年齢でもないのだが、いつのまにか引き込まれて昭和の風景にノスタルジーを感じた。なくならないうちにもう一度寝台列車に乗りたいなと思ったりもした。淡々とした文章も、郷愁を誘う一因なのだろう。
興味のない人にはやや退屈かもしれないが、鉄道好きの方々には是非おすすめしたい本。
評価:
最初のうち、いとも簡単に人が殺されてゆく衝撃的なだけの薄っぺらい話だったらいやだなあと思い、身構えて読んでいたが、途中からはぐんぐん引き込まれて一気に読んでしまった。確かに現実離れした話だし、登場人物の誰にも共感できない。かといってファンタジーのような感動もない。でも、ありえない話をきちんとひとつの世界として成立させるだけの構成力や文章力はすばらしいし、どこか読者をひきつける魅力のある作品だと思う。登場人物に全面的に共感はできないのだが、それぞれの感情の断片には「わかるなあ」と思わせるものがあり、読み進むうちに物語の行方から目が離せなくなった。
怖い話ではあるが、人間、心のどこかが壊れてしまったときには想像もつかない形でその影響が現れるのかもしれない、などと考えさせられ、昨今実際に起きている凶悪犯罪が頭をよぎった。読み終えてみれば、予想以上に深みのある作品であった。
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