WEB本の雑誌>今月の新刊採点>【文庫本班】2008年10月 >岩崎智子の書評
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オフィス内での分煙や公共の場で禁煙が広まるなど、日本でも、喫煙者の肩身が狭くなっているが、入社時の条件に、禁煙を義務づける会社もあるなど、禁煙への動きはアメリカの方が早かった。2006年には、煙草産業を取り上げたコメディ『サンキュー・フォー・スモーキング』が製作されている。だから本作の「アメリカのとある会社が、火を使わない無煙煙草を新製品として発表する」というシチュエーションには、リアリティが感じられる。煙草業界に新規参入しようとする日本企業から派遣されたメイが、「無煙煙草の特許を申請している男がいる」と聞かされて、彼の血縁であるカルロスと共に、その人物を探し出すメインストーリーに、何者かの手記が挿入されつつ、物語は進む。謎の人物の所在とその意図を探るミステリー要素もさることながら、神聖な儀式に使われた煙草が、巨額の富を生む存在に変貌していく過程も描かれ、盛りだくさんな印象。煙草を楽しんでいるつもりが、いつしか煙草なしではいられない依存体質になってしまったり、煙草を強く嫌いつつも、実はその存在に支配されている……等々、人間の複雑さも垣間見えて面白い。ただ、哲学や宗教めいた描写が入ると分かりづらかった。
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NHKのドラマにもなった、助産師探偵シリーズ『赤ちゃんをさがせ!『赤ちゃんがいっぱい』。その原作者が、本作の著者、青井さんだ。本作では、無認可保育室「アイリス」に二人組の男が籠城し、園長・早紀と園長の姪・淑恵、5人の子どもが人質になる。身代金はひとり500万円。身代金を持って来た順に子供を返すだなんて、子供を先に返された親が、警察に通報してしまったら、事件はあっという間に知れてしまうだろうに。でも、こんなツメの甘い犯人達を、なかなか出し抜けない状況が続く。内部の様子に詳しい犯人達に、「協力者がいるのでは?」と疑心暗鬼に陥る早紀と、右往左往する両親達が交互に描かれる。ところで、一点のみ気になった。「あとになって早紀は…疑心暗鬼に駆られることになる(p10)」「……早紀は臓腑をえぐられるほど後悔することになる(p12)」などという前フリはなくても良いのでは? 事件が起こるまでにもう少し間があれば、こういった描写は「何が起こるんだろう?」と読者の興味を惹く伏線たり得るだろうが、本作の場合、13ページめで事件が起こるので、前フリと事件との間にそれほど間が空いていないのだ。
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製薬会社に勤務する水木恵は、利用者・別府から「毛髪の伸びるスピードと色がヘンだ」と電話で相談を受ける。実は、開発部から営業部に異動になった毛利理が、出荷時に紛れ込ませた〈BH85〉というまだ実験段階の薬が原因だった。しかもその薬にはある秘密があって、次から次へと人間や鳥を同化してゆく。どん臭い理系男・理としっかり者の恵が事件の真相を追ううちにお互いが気になり始めるノというのは、ロマコメにありがちな展開。でも、ここからもパターン通りの展開を期待すると、肩すかしを喰わされる。バイオハザードという恐ろしい事態を扱っているのに、当事者達がやけにのんびりしているのだ。スリルとサスペンスの中で、行動を共にするうち恋愛感情が湧き上がる……なんて事にはならず、さしたるドラマティックな展開もなしに、二人は、これから生まれてくる子供の将来について話し合っていたりするのだから不思議だ。映画『スターウォーズ』シリーズのチューバッカや、アニメ『エヴァンゲリオン』のヒロインが例に挙げられたりと、ある世代の大人達のオタク心を刺激するアイテムがいっぱい。吾妻ひでおさんのイラストも、どこかすっとぼけたキャラのイメージにぴったり。
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少年の惨殺死体がゴミ箱から発見されたが、捜査権限を持つ警部と警視はパブで酔っぱらっていた。たまたま煙草をくすねようとやってきた非番のフロスト警部が、とりあえずの担当として使命される。おいおい、いいのか?仮にも殺人事件の担当が、こんな感じで決まってしまうなんて。そして彼はとにかく口が悪い。レイプ犯を探す時に、「XXXXがまだあったかくて、先っちょが興奮に震えてるやつがいたら、問答無用で容疑者ってことにしてよろしい。(p49)」なんてのは序の口(なんて大雑把な容疑者特定!)。レイプ被害者の娘に向かって、「こういうセクシーなズロースを穿こうと思ったら、嬢ちゃんの場合、おっぱいの嵩上げが必要になりそうだな。(p112)」とセクハラ発言。こんなオヤジが職場にいたら、絶対イヤだ。食いしん坊で自分勝手な推理を振り回す、赤川次郎さんの『四字熟語シリーズ』に登場する大貫警部とも、キャラがかぶる。大貫警部はそれでも最後に犯人を逮捕するが、さて「感じるんだよ、直感でわかる」と豪語する警部の推理は?
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少年少女をターゲットとした猟奇連続殺人が起こっているのに、政府は殺人だと認めたがらない。なぜならば、「社会主義に連続殺人鬼は存在しない」から。どこかで見た事があると思っていたら、本作は、映画『ロシア52人虐殺犯チカチーロ』で取り上げられたのと同じ事件に着想を得ていた。この映画は、スターリン体制下のソ連で、50人以上の少年少女を惨殺した希代の殺人鬼アンドレイ・チカチーロを追う鑑識官の苦闘を描いている。本作の主人公は、出世街道から外れた鑑識官とは違い、国家保安省の敏腕捜査官レオだ。エリート然として仕事をこなしていた彼が、やがて国家を疑い、捜査で妨害を受けることに。資本主義国家に生きる我々には、レオの置かれた状況は理解できないだろうか? 組織の安定を望む会社に、自らの正義を貫こうとして、行く手を阻まれる。大なり、小なり、こうした経験を積んできた労働者がきっといるはずだ。社会主義国家の元で、犯罪組織を追う難しさを取り上げた作品には、中国の作品『十面埋伏』があるので、興味がある方はそちらもどうぞ。
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京に都のある平安時代。志摩の国に流れ着いた船には、八人の男の惨殺死体が。容疑者らしき娘を取り調べた加茂忠道は翌日姿を消し、娘の惨殺死体が残されていた。弟・忠行は大叔父・忠峰と若い娘・香夜とともに、失踪した忠道の跡を追う。鬼がセックスを介在して男から女へと取り憑いてゆくさまは、アメリカ映画『スピーシーズ/種の起源』みたい。男を漁って大暴れしていた映画のヒロイン・シルのように、人間が一番無防備になる瞬間を狙う鬼。ある目的を持って移動する鬼と、追跡者・忠道、そして鬼に翻弄されていく人間達の様子がスピーディに描かれ、テンポよく読み進める。夢枕獏の『陰陽師』シリーズの読者ならば、後に安倍晴明の師となる加茂(『陰陽師』シリーズでは賀茂)忠行の若き日々を描いた外伝としても楽しめるかもしれない。同じく『陰陽師』シリーズでお馴染みの悪役、菅原道真も意外な姿で登場する。夢枕作品では「哀しい運命の末にこうなったのだなぁ」などと、ときに、鬼に同情することがあるが、高橋作品では、鬼は豪快かつ単純明快な悪役キャラ。あれこれ考えず楽しみたい人にはお勧めのホラー・エンタテインメント。
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一月号の課題本『はい、泳げません』の著者、高橋さんが再登場。前作では、カナヅチの高橋さんが、遂に泳げるようになるまでが描かれた。さて、本作の主人公は高橋さんの妻だ。彼女が倒れて救急車で運ばれ、ダイエット宣言するところから物語は始まるが、『泳げません』と決定的に異なるのは、その終わり方。それもそのはず、彼女は目標達成に向かって、努力をするのが大嫌い。見かねた周囲の助言、あまりの重さに壊れる体重計など、「これでもか」と目の前に立ちはだかる現実にも、彼女の気持ちは動かない。でも待てよ。ダイエットには、特別な技術なんて要らない。もともとの体質があったとしても、要は、適切な食事と適度な運動をしていれば、そんなに太らない。そもそもそんなに意思が強いのなら、その気持ちをダイエットに向ければいい。それなのに、なぜ太ったままなのか? さあ、そこが人の心の不思議なところ。今度は筆者が当事者でなく、傍観者となったことで、いくぶん冷静な描写がふえ、そのためか、読者との間に若干距離がある印象をうけた。
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