第7回 青春の染みを栞がわりに

 ここに一冊の本がある。『新版京都音楽空間 音に出会える店案内』という、いわゆるタウンガイドの類だ。刊行年は二〇〇七年、新版とあるので再編集されて作られた本なのだろう。表紙には夕暮れに染まる京都の街並みが写されている。本の角が丸みを帯び、くたびれているのは僕の私物だから。京都の学生時代、大垣書店で買い求め今も手元に置いている。

 タウンガイド本の寿命は早い。紹介される店が閉店すれば、その本の内容はあっという間に古びてしまう。実用性が求められる本はいつでも最新の情報を提供することを心がける。古本で入荷しても、発行が一〇年以上も前ならば一〇〇円コーナーに投げられてしまってもおかしくない。だが、この本は僕にとって特別だ。まず店紹介の写真がどれも良い。サカネユキというカメラマンが写す店々の写真は、煙草の香り、グラスのあたる音、夜の会話、レコードから聴いた初めての音楽、そこにいなければ感じることのできない店の空気や色気を充分に感じさせる。また写真の配置、ページ構成も美しい(情報を詰め込みすぎて読みづらい本も本当に多い)。「京都・ジャズ喫茶文化」「関西フォークブームと京都」「京大西部講堂伝説」と合間に挟みこまれるコラムも本に奥行きをもたらし、ページをめくるのが楽しい。奥付でデザイナーの名前を確認してみると、今や有名な装丁家の川名潤とあり納得する。

 この本片手に実際に足を運んだ店は数えるほどだ。訪れた店のページの隅には「高い」「まぁあぁ高い」などと値段のことばかりを鉛筆で書いている。我ながら貧乏臭くて微笑ましい。

今も京都に訪れるたびに立ち寄る河原町三条の喫茶店、六曜社。地下店で珈琲を飲んでいた時、カウンターの隅で香った水仙の花が綺麗だった。ジャズを分かりもしないのに背伸びして通った出町柳のLUSHLIFE。野菜カレーにいつもハバネロの香辛料をかけてむせながら食べた。今出川のほんやら洞に訪れたのは暑い夏の日だったか。バイトらしき女の人が気怠く接客してくれたのを覚えている。ほんやら洞はその後、惜しくも火事で閉店してしまった。

 厭離穢土、治外法権、ろくでなし、拾得に磔磔。店名の強さにページをめくるたびにどきどきしていた。(弐拾㏈というややこしい漢字を含む店名にしたのも、この影響がないとは言えない)。現実の町を巡るより先に、本を通して京都という町を見ようとしていた自分がいた。九〇年代生まれの学生はいつも七〇年代の京都を追い求めるように生きていた。

 

 本を開くたびに、本と共に過ごした学生時代のことを思い出す。大学生協で買った文庫は鞄にいつも潜ませる、お守りだった。授業で習ったばかりの理論で、友人とハリボテの文学論に興じる。ロラン・バルトにミシェル・フーコー、ソシュール。思想家の名前を呪文のように唱えて、自分の空虚さを守った。一人定食屋でご飯を食べながら本を読んでいると、他の客に笑われた。一人が好きだった訳ではない。ほんとうは誰かに見つけて欲しかった。三月書房で今しがた買ってきた本を片手に喫茶店に入る。窓の向こうへ視線を移すと、通りを歩く先輩の姿が見えた。銀杏の葉が染まっている。ホットからアイスへ、アイスからホットに。注文する珈琲で季節は変わった。

タウンガイドと侮るなかれ、その本で紹介されている店名は一つ一つが詩のタイトルだ。店名を目にした時、思い出される日々はその人だけの詩篇、その人だけが読むことのできる詩。登場人物も違えば、甘くも苦くもなる不思議を持っている。はて、僕の店はどんな詩になるか、それはあなた次第。

  

 

 

 僕は此の世の果てにいた。陽は温暖に降り洒ぎ、風は花々揺っていた。

 木橋の、埃りは終日、沈黙し、ポストは終日赫々と、風車を付けた乳母車、いつも街上に停っていた。

 棲む人達は子供等は、街上に見えず、僕に一人の縁者(みより)なく、風信機(かざみ)の上の空の色、時々見るのが仕事であった。

 さりとて退屈してもいず、空気の中には蜜があり、物体ではないその蜜は、常住食すに適していた。

 煙草くらいは喫ってもみたが、それとて匂いを好んだばかり。おまけに僕としたことが、戸外でしか吹かさなかった。

 さてわが親しき所有品(もちもの)は、タオル一本。枕は持っていたとはいえ、布団ときたらば影だになく、歯刷子(はぶらし)くらいは持ってもいたが、たった一冊ある本は、中に何も書いてはなく、時々手にとりその目方、たのしむだけのものだった。

 女たちは、げに慕わしいのではあったが、一度とて、会いに行こうと思わなかった。夢みるだけで沢山だった。

 名状しがたい何物かが、たえず僕をば促進し、目的もない僕ながら、希望は胸に高鳴っていた。

(中原中也「ゆきてかへらぬ ―京都―」より)

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