第4話 最終列車零時三四分発

 降りるべき駅を間違えないよう、座席に体を預けながらも耳と心は車内アナウンスに囚われている。隣では大きなスーツケースの外国人カップル、一人はペーパーバックを開く。表紙を盗み見れば『Norwegian Wood』と書かれていた。扉近くの広告は古本屋の日々を描いた『本なら売るほど』の好評発売の文字。電車広告も山陽本線で見るそれとは趣が違う。

 下北沢で小田急線に乗り換え二駅、世田谷区梅丘が東京出張営業所の舞台だ。去年に引き続き二回目、毎年恒例の行事となってきた。尾道の向島に移住した友人、モロくんのご縁で開催場所となる本屋「書肆書斎」を間借りし、急ごしらえの店を三日間営業する。開店時間は二一時から二七時、尾道の店と同じく深夜営業の古本屋。イベント名は「最終列車零時三四分発」、梅ヶ丘駅の最終列車の時刻をタイトルに冠している。

 

 三日間、全日程を通してほんとうに多くのお客さんがやってきた。初日には開店待ちの行列ができるほどだ。それほど広くない店内では、お客さん達が黙々と本を選び、静かな熱気に満ちる。帳場前ではいつも店でやっているようにお客さんと世間話に興じて。埼玉からはるばる車でやってくる人、自転車で一時間以上はかかる距離にもかかわらず本を山のように買う人、尾道での夜の思い出を話す人、カップルに友人グループ、職業も年齢もバラバラ、懐かしい人、初めての人、一人ずつに一冊ずつ、東京の夜は何ページにもわたる声で埋め尽くされていく。「良い本だ」と喜んでもらえた本は、尾道でいつも通ってくださる常連さん達によるもの。一人ひとりの尾道の夜たちが大都会の夜に交差する、幸福な時間だ。

 

 東京での時間は刺激的であると同時に、この町では僕のような人間が古本屋を始めることはできなかっただろうとも思う。一つの店を持つのにお金がかかりすぎるだろうし、そもそも店を持つという発想すら持てない。仮に古本屋を始められたとして、今と同じようにお客さんが来るともいえない。尾道だったからこそ、僕の店は生き続けることができている。どの路地を歩いても人がいる町より、人のいない路地だったからこそ、自分の声がより響くこともある。

 都会から尾道にやってきた旅行者がえらく感動しているのを目にするたび、その大げささに一歩引いていたが、今ならすこし分かる。僕は、また別のあなただったのかもしれない。貸したままだった本を、とある古本屋の棚で見つけるかのように。初めての時間を懐かしげな表情を浮かべ、棚から抜き取っている。

 

 尾道に帰り、いつものように店を開ける。土産話を聞きにがてら、奇特な常連さん達が僕に声をかける。狭い番台で調子をつけて話していると、別のお客さんが本の詰まった段ボールを携えてやってきた。古本買取の持ち込みだ。こうして稼いだお金で本を仕入れて、僕はまた誰かの声に、夜に息を繋ぐ。

  

    日曜日――僕らは幸福をポケットに入れてあるく 時どき

   取出したり又ひつこめたりしながら 磨かれた靴 軽い帽子

   僕らは独身もののサラリイマンです さうして都會よ 君は

   いつでも新刊書だ オレンヂエエドの風のあとに 見たまへ

   あの舗道の上 またもやプラタヌの並木の影はいつせいに美

   しい詩を印刷する 爽やかな拍手とともに

木下夕爾「都会のデッサン」

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