第5話 その本はまだ生きている
古本屋という商売柄、本の絶版・復刊には敏感である。古本を親しむ方々には値札に付された「絶版」の文字に興奮を覚える方も多いだろう。長らく絶版状態だった本が復刊となれば、それまでプレミア価格をつけていた本の値段も見直さなくてはならない。最近では、初刷も少なめの部数で刷られ、数年で絶版になってしまう本も少なくない。数百円の値段をつけた西村賢太の文庫本を興奮気味に番台まで持ってきたお客さんが「この本、いまではこんな値段で買えないんですよ!」と教えてくれたこともあった。「掘り出しものですねぇ、これが古本探しの醍醐味ですかね」と涼しい顔で切り返したが、自分の値付の甘さに歯ぎしりする。(そのお客さんは心ある方で、僕の値段よりも多い金額をおまけで払ってくれた。)
古本で仕入れた、写真家緑川洋一の展覧会図録『ドキュメント尾道・昭和28年-31年 波の郷愁』尾道市立美術館刊。収められているのは戦後から高度経済成長へと向かおうとする尾道のスナップ写真。赤子を抱えて渡船に乗る女性、厳しい目で対岸を見つめている。「ギター・マンドリン練習場」という看板の前、下駄履きでギターを弾く男。大判焼き?にご満悦の幼子を見て笑いあう路地の人びと。一枚一枚、声や匂いが聞こえてくるいい写真ばかり。光の魔術師と呼ばれる前の緑川が写していたのは、尾道のすっぴんの表情だ。二〇一二年の発行だが絶版扱いのように古書価も安くない。古本で売ってしまえば一冊だが、新刊で仕入れることができれば何人ものお客さんに届けることができる。展覧会図録は会期が終わってしまえば売れ行きが鈍るため、在庫が残っている可能性もある。尾道市立美術館に電話で問い合わせると、狙い通り。担当者の方が快く対応してくれたおかげで、数十冊を仕入れることができた。SNSで紹介すると、たちまちに売り切れ。今では店のロングセラー本となっている。
お客さんと古本の出会いが一期一会であるように、古本屋も古本とは偶然の出会いのほうが多い。いい本だと思う本はなるべく多くの人の手元に届けたい。古本で出会った本を、新刊本としてどうにか仕入れる。出版社が倒産していれば、印刷所を探す。印刷所の所在も分からなければ、著者に直接かけあうことも厭わない。
太田順一という写真家が自身の娘との日々を撮りおさめた、写真集『日記・藍』。藍は娘の名前、「らん」と読む。古書組合の市会で仕入れた本に混ざってやってきた。写真と太田氏の言葉で構成された、全六一ページの微かな本だ。「医師はただの風邪だと言った 大丈夫 大丈夫とも言った 七九年正月 化膿性髄膜炎で入院 後遺症としての水頭症で二度のシャント手術 脳性マヒ一級に」。この本は医療過誤により障害児となった娘の藍さんとの日々を記録したものなっている。プライベートな家族写真のどれもが切実であり、写真家としての自分と父親としての自分の揺れを短い文章から感じさせられる。乳母車に乗った藍さん、笑っている写真。「蝉しぐれが止むと 顔にぽつぽつ光るものがあった 藍 初めて雨を経験する」。誕生日ケーキを前に藍さんと家族の写真、「二歳 喜びをじっくり味わいたくて 誰も呼びません」。太田氏は救急医療の体制を問うため、病院と応急診療所を経営する市を相手に訴訟を起こす。「苦しんでいる藍を前に 僕の頭はいつも 性の淫らな想いでいっぱいだった 愛は 嘘です」。藍さんは急性肺炎でわずか二歳半という短い生涯を閉じた。この微かな本が藍さんそのもののようにも思えてしまい、やるせなくなる。
古本で入荷した一冊はすぐに売れてしまった。それでもその写真集は僕の頭から離れることはなく、どうにか新刊で仕入れることができないかと考えた。一九八八年発行の本のため在庫はおろか、版元の出版社すらとうに潰れている。ネットで太田順一と検索すると、数年前に開催された写真展の新聞記事が見つかった。新聞社に電話で旨を伝え、太田氏に僕の連絡先を伝えてもらえないかとお願いする。新聞社との電話を切ったあと、すぐに太田氏本人から電話がかかった。柔和な声で「また懐かしい本をありがとうございます。僕の方にも数冊しかないので、販売用には難しいですが」と一冊献本でお送りいただけることになった。「阿呆な古本屋なもんで」と急な申し出を詫びると「いやいや、こんな時代に阿呆でいることが大事なんですよ」と電話の向こうで笑っておられた。僕の手元にまた、藍さんが帰ってきた。
絶版とはまさしく、その本がもう刷られないということだ。その言葉を古本屋は希少価値の評価としてしか見なくなってしまうこともある。もしかしたらそれは絶版ではなく、まだ出版社の倉庫や書店の棚の奥角には残っている本かもしれない。声があまりに小さく、耳を澄ませなければ聞こえない本。その声を拾い、一人でも多くの誰かの声に繋げるのも、僕のような古本屋の仕事ではないか。本の呼吸に耳を澄ませる、その本はまだ生きている。