第1回 自己紹介をかねて~半田健人のギターの思い出①
――WEB本の雑誌で「半田健人がたずねる ギターの思い出」の連載を始めていただくことになりました! 初回なので編集部からのインタビュー形式で、自己紹介をかねて半田さんご自身の「ギターの思い出」を語っていただきたいと思います。初のご著書『たずねる 半田健人の歌謡曲対談集』の刊行から1年経ちますが、まずは今回ギターに焦点をあてた"たずねる"をやっていこうと思ったきっかけはあったんですか?
どシンプルにギターが好きだから(笑)。それと『たずねる』の編集者もたまたまギター好きで、その方から頂いた話だったのでちょうどいいなと。こだわりはタイトルを「思い出のギター」じゃなくて「ギターの思い出」にしたところです。前者だと楽器専門誌にありそうでしょう。後者は極端に言えばギターを弾けない人にもあるかもしれない。専門的な話を伺うというよりも、その時折りの風景を伝えて頂くようなものを目指して参ります。
ギターへの最初の関心は「バック・トゥ・ザ・フューチャー」
――そうなんですね。ではまず、半田さんが「ギター」を知ったのはいくつぐらいのことですか?
4歳の時ですね。「バック・トゥ・ザ・フューチャー」を観てあの映画に自分はハマったんです。有名な、マイケル・J・フォックス演じる主人公のマーティが「Gibson ES-345」で「ジョニー・B.グッド」を弾くシーン。あれが自分のギター原体験ですね。
――4歳! 早いですね。幼稚園生ですよね。覚えているんですか?
幼稚園年少さんですね。覚えてます。テレビで夜9時からやっていた映画番組で「この映画、おもろいで」って父が言って、家族で一緒に観ました。いろいろ面白い要素はあったんですけど、その中でやっぱりあのシーンが子供ながらにかっこよく見えたんでしょうね。それでギターというものに興味を持って。すると親父が「俺もギター、持ってんねんで」って言って、ギターとアンプをトランクルームから出してきたんですよ。フェンダーの1974年製ストラトキャスターと、アンプはフェンダーの銀パネ(銀パネル)のチャンプ。今でもあります。父は昔ギターをやってたんだけどしばらく楽器離れをしてたんです。それが自分の触った初めてのギターかな。
――その74年のストラトは、お父様が当時に買ったものですか? 普通に新品で?
友達から買ったみたいな話だったから、発売から2、3年しか経ってないと思いますよ。親父が大学の入学祝いにじいちゃんに買ってもらった茶木(チャキ)のアコースティックギターはリビングにあったかもしれないけど、エレキとアコギでは、子供ながらになんか差があったんでしょうね。それでエレキギターを持ってきてもらった。
――確かに、見た目が結構違いますよね。
今思い出した! 最初にすごく不思議だったのがね、ピックアップはアコギにはないパーツじゃないですか。「これ何?」って聞いたの。そしたら「それはマイクだ」って言われた。正しいですよね、言い方としては。でも子供ながらにマイクってゴッパー(SHURE SM58)とか、いわゆるハンドマイクをマイクだと思うじゃないですか。だからそれがすごくピンとこなかった、意味が。マイクと言われても。
――ゴッパーって半田さんらしい説明ですね(笑)。同じエレキといっても、ギブソンのES3-45とストラトでは形が全然違いますけど、同じエレキだと思いました?
うん。そこまではそんなにまだこだわってなかったですね。「エレキギターだ!」と。どっちかというとアンプの方が差を感じたかな。チャンプのアンプは黒でフロントにツマミがあるんだけど、マーティが映画の中で蹴り倒したアンプはフロントパネルじゃなくてツマミが天井部分にあって前から見えない。黄色っぽいツイードの単なる箱みたいなやつ。それがアンプだと思ってたから、ちょっとメカ的だなと思った。エレキギターよりもアンプの方に差を感じたな。
――その時は音を出したんですか?
う~ん、手がちっちゃいからね、4歳だから。持ち上げるのがやっとですよね。だから「エレキギターって重いんだな」って思った。当然構えられないし大正琴みたいにしてテーブルの上に置いてなんか触ったりしてました(笑)。これがエレキなんだっていうのがわかっただけで満足しましたね。ギターを出してきてから、リビングにエレキギターとアンプが置いてある状態になり、親父の方がチェット・アトキンスが当時出したギブソンのエレガットを買ってきて......。
――お父様のギター熱が再燃した(笑)。
そう。久々にギターまた弾きたいなと思ったみたいで。チェット・アトキンスのを買うわ、オーベションを買うわで。家のリビングで常に親父がクラプトンかなんかをアコギを弾いているのを聞いて「僕も弾きたい」じゃなくて、ちょっとうるさいなぐらいに思ってた(笑)。
――ギター好きになったのはお父様の影響もあるんでしょうか?
影響って何でもそうですけど、それがなかった時のことはわかんないじゃないですか。たらればになっちゃうから。個人的には僕は親父の影響を受けてないと思うんだけど、生まれた頃からもうすでにギターが家にあったというのは、今にして思うと、入り口になってたのかなという気がします。
「神田川」にFコードがあったら挫折してたかも
――それでは、初めて所有した自分のギターはなんでしたか?
小学校5、6年生の時に古い歌に興味を持ち始めて、南こうせつとかぐや姫を好きになってフォークギターを覚えたいっていう話になった時に、親父の方から率先して「じゃあギター買いに行こう」って(笑)。
――家には何本もギターがあるのに「これ、やるよ」じゃなく。
鉄弦のギターは弦が硬くて押さえにくいから、フォームを覚えるという意味ではナイロン弦の方が弾きいいんじゃないか。だけどクラシックギターになっちゃうとまたニュアンス違うしネック幅が広い。それで大阪の三木楽器に行って親父と店員さんとで話し合った結果、ナイロン弦なんだけどナット幅がフォークギターと同じYAMAHAのギターを買ってもらいました。4、5万ぐらいだったのかな、結構いいやつでしたね。
――最初に触ったのはエレキだけど、ここでアコギにいくんですね。
あれはどっちかっていうと映画に興味があって。だからこれが本当の出会いな感じですよね。自分のギターを持ったことが嬉しくて、必死になって練習して最初に弾けた曲は「神田川」です。「神田川」は簡単だったんですよ。コードがEm、B7、C、D7、G。でも、1個難関があって、サビの「若かったあの頃~」の時にBmが出てくるの。Bmってセーハじゃないですか。あれが難しかった。ただね、FとBmは似て異なるものでBmは5本押さえればいいんですよ。5弦始まりだから。Fは6弦始まりでしょ。少し楽なんですよ。だから良かった。
――Fならそこで挫折したかもしれない?
うん。あとはやっぱり親父のアドバイス通り鉄弦で始めずに良かったね。ナイロン弦だと音が鳴るんですよ。軟らかいから。弦高も低いし。そういった意味で、最初に持つギターによってその後のギターとの付き合いが変わってくることはありますね。僕は最初にいいのに当たったんでギターを続けましたけど、これが拾ってきた鉄弦のギターみたいなのだと、ギターは難しいもんだとか指が痛くなるもんだっていうのでやめちゃってますから。
父と楽器店通いの中学時代。初めてのエレキはLUNA SEA・SUGIZOモデル
――お父様、ナイスでしたね。アコギで「神田川」が弾けるようになりました。次のギターは?
ギターを始めたことによって音楽の扉が開いたんですよ、自分の中で。入り口こそフォークだけど、音楽の面白さに目覚めたから、当時流行ってたJ-POPとかロックとかも合わせて普通に聴くようになりました。ギターを始めたものだから「ギター音楽」というものに耳がいくようになって。その中で、LUNA SEAやXを知っていくわけです。かっこいいわけですよ、これが。そこでついにエレキです。
――歌謡曲ではないんですね。「神田川」からXへ。飛びましたね。
歌謡曲は研究の対象なので。昭和のギタリストってみんなそうだと思うんですけど、最初アコギですよね。きっと。でもこれ正しいと思う。エレキから始めちゃうと、まずコードっていう概念を見失ったままギターを始める可能性はあるし、基礎のストロークをやっておくのは大事だと思いますね。自分はいまだにリードをとるよりリズムギターが好きなんです。僕にとってギターはリード楽器ではなくて伴奏楽器ですから。
――最初のエレキギターはお父様に借りて?
最初は親父のストラトを借りてやってたんですけど、僕の好きなLUNA SEAのSUGIZOさんは当時ESPの黒いレスポール型のオリジナルモデルをメインで使ってて。それをビデオとかで見てると同じ形のものが欲しくなるんですよね。その頃、SUGIZOモデルには何種類かバリエーションがあったんだけど、ESPが30何万。その下のEdwardsのが9万円。で、一番安いGrassRootsの廉価版が5万8000円。これを買おうと。中学の時は音なんてわかんないし、やっぱりルックスですよね。これは自分のお年玉で買いました。中1だったかな。親父と三木楽器に行って買ったと思う。
――また三木楽器! お父様は一緒に行って何か見極めをしてくれたんですか?
見極めというか運転手(笑)。僕のうちは芦屋なんですが、関西って三木が強いんですよ。要は親父も親父でやっぱりギター好きなんだね、きっと。だから息子がそうやって楽器に興味を持っていくことを楽しんでたんじゃないかな。これは自分にとってはやる気の出るギターでしたね。やっぱり憧れのギタリストのギターと形が近いというのは何よりもやる気につながるんです。大事。SUGIZOさんのギターはフロイドローズというちょっと特殊なロック式のアームブリッジがついていて精度がすごくいいけど、僕のはなんせ廉価版ですから「ライセンスド」っていって形だけ似てるだけ。そのアームをいじって「これ楽しいな」なんてやってたらね、ものの1か月ぐらいでネジが壊れちゃってグラグラになって。指板も本物はエボニー(黒檀)だから黒いんだけど、僕のはローズ材でこげ茶だから黒マジックで塗ったりしてましたね(笑)。
――ギターを弾くようになって、お父様とうちで一緒に弾いたりもしたんですか?
うちで一緒に弾くのはなかったけど、スタジオによく一緒に入ってました。でも、その時は僕はドラムやってたの。同時期にドラムを始めてたから。中1で3つの楽器を始めてるんですよ。エレキギター、エレキベース、ドラム。親父の知り合いのおっちゃんのバンド仲間からいらなくなった旧式のエレドラを譲ってもらって、それを自宅に置いてドラムをやってた。
――カッコいい親子ですね。曲はどういうものを何やっていたんですか?
曲は普通のスリーコードブルースみたいなやつ。僕はただ8ビートとか16とか叩ければ満足だったから。親父はそれに合わせて弾いてました。
――エレキギター、エレキベース、ドラムを同時に始めたということですが、いろんな楽器に興味を持ったのは編曲に興味を持ったからなんですか?
バンド音楽に興味を持つようになって全パートに目が行くようになり、それでベースもやりたいなと思いました。でもギターを買ってもらったばっかりだからちょっと遠慮して、安いショートスケールのボディにアンプがついているようなのを見つけ出してきて「これ欲しいんだけど」って切り出してみた。そしたら親父が首ひねってて「楽器としても一つやな......」と。「だったらもうフェンジャパ(フェンダージャパン)のプレベ(プレシジョンベース)かジャズベ(ジャズベース)買うてもた方がええんちゃうか」と向こうからの逆提案をいただきまして(笑)。で、また三木楽器に行き......。
――お父様のギター欲に助けられましたね。親子で通いますねえ、三木楽器(笑)
当時は知識がなくて、ジャズベとプレベでどっちがどういう音とかわかんないわけですよ。ただフェンダーのジャガーというモデルに憧れがあって。ピックガードに金属部分が含まれていて、あれが見た目的にかっこよかった。で、ジャズベースはボリュームポッドのところが金属パネルなんですよ。ジャガーに似てる!これ! 決め手はそれだけですね。で、なんとそれだけにとどまらずベースアンプまで買ってくれました。買ってもらっただけ練習はしてましたよね。おかげでサッカー部に全然行かなくなって、やめました(笑)。
――お母様は半田さんがギターに熱中していくのをどういうふうに見ていたんでしょうか?
サッカー部をやめることに関しても反対しなかったですね。やりたいことに熱中できる環境を作ってあげたいという気持ちが強かったんじゃないかな。僕らの頃ってまだ「男は運動部」っていうのがあったからサッカー部にとりあえず入ったんだけど、僕は集団行動も体動かすのも好きじゃないからね、そもそも。最低限のラインさえ守っていれば、「勉強しなさい」って強要されたことも一度もなかったです。
親父は楽器とか物的支援という意味ではすごく協力的だったけど、僕がミュージシャンとか芸能界を密かに狙ってることに関しては、否定はしないまでも現実的に見てなかったですね。「やるんだったら本気でやれ」ってスポンサードしていたのは母親です。集団生活はできないし、ネクタイ締めて決まった時間に会社に行けるタイプじゃない。絶対に勤め人は務まらないってわかっていたんじゃないかな。僕より好きなんじゃないかってくらいLUNA SEAが好きだから、バンドマンの母親になりたいって憧れもあったのかも(笑)。親父とはカジュアルな関係で兄貴みたいな感覚ですが、母とは若い頃はよくぶつかった分、今ではお師匠さんみたいな感じで、ずっと僕のいいアドバイザーです。
(②につづく)
【近日開催のイベント】
- 7月5日(日)14:00~ 半田健人トークライブ「半田の会」(梅田ラテラル 配信あり)
- 7月20日(月・祝)12:00~ 「仮面ライダー555 ファイズリマインド」vol.30(お茶の水・ワテラスコモンホール)
- 7月20日(月・祝)18:30~ 「だんだん好きになっていきましょう 」(中延・隣町珈琲)
※詳細は半田健人公式X(@handakento)をご確認ください。

