第2回 自己紹介をかねて~半田健人のギターの思い出②
Xにハマり、モッキンバードも入手
――なんだか半田さんのギター歴ではなく、お父さんのギター購入歴みたいになってきましたが(笑)。お父さんに買ってもらったギターは他にも?
SUGIZOモデルのクラウドギターを2本買ってもらいました。中2の僕はLUNA SEAどっぷりでプリンスなんて知らなかったんですが、プリンスモデルのくるくるっと角の部分が巻いたクラウドギター、そんな呼び方は当時してなかったけども、SUGIZOさんがそれの白と黒を使ってて。新品で買おうとなると10万円したので諦めていたんだけど、ある時、親父が会社帰りに当時あったパルコの上のイシバシ楽器に行ったら、黒の中古が状態はそこまで良くないけどニッキュッパ(2万9800円)で出てるってわざわざ電話くれて。
――今回はイシバシですか! お父さん、巡ってますね。
キープしておいてもらって後日一緒に行って手に入れました。その後、ついにESPの16万円ぐらいのクラウドギターも買ってもらうことになるんですがその前に遍歴の話をすると、その間に1本買ってます。LUNA SEAはすごい好きなんだけど、同時にXに傾倒していくわけですよ。ってなるとやっぱりhideさんですよね。
――半田さんというと昭和の歌謡曲に精通されている印象が強くて、ビジュアル系好きのイメージがないんですが、LUNA SEA、Xのどこに一番ひかれたんですか?
なんかこう、初めての経験でしたよね。両方ともね。漠然とかっこいいっていうか。LUNA SEAに関しては僕が中1の頃に河村隆一さんがソロをやってて、世の中河村隆一旋風になってたわけですよ。LUNA SEAとしては活動を休止してた期間だったと思うんだけど。Xに関して言うと、解散ライブをテレビで観てこっちもすごいバンドだなと。それから間もなくしてhideさんが亡くなったこともあって、Xへの世間の注目もグッと高まってた時期でしたね。
――ビジュアル系バンドが好きだった?
V系好きでした。圧倒的にV系のやってる音楽とか見せ方とかの方がいわゆる普通の化粧しないバンドよりも好きだった。なんかよく見えたね、あれが。
――それでhideさんのモデルも?
そう。hideさんにインスパイアされて中2でモッキンバードを買うわけですよ。いろいろ迷ったの。シグネチャーモデルはそろそろやめた方がいいんじゃないかと。SUGIZOさんのギターは、SUGIZOさんがそのデザインをしたもんだから代用が効かなかったんだけど、hideモデルは、もともとB.C.リッチというメーカーがモッキンバードというモデルを作っててそれをhideさん流にアレンジしたのがわかっていたので、であればその元となるB.C.リッチを買えばいいんじゃないかと思ったわけです。hideさん本人のギターはスルーネックなんだけど廉価版のフェルナンデスのhideモデルはボルトオン、ネジ止めだった。あれが嫌だったんですよ(笑)。角張っていて不細工なの......。これ、なんとかなんないかなって時に、ちょうどB.C.リッチからセットネックだけどスルーネック風に仕上げたモデルが新発売になって。何よりもブースターがついて。これをオンにするとゲインが上がってまたよく歪むんです。これも多分買ってもらってるんですけど(笑)。
ギターを始めたい人は、見た目が好きなものを買った方がいい
――お父さん、息子に甘い(笑) 半田さんの交渉力の強さでしょうか?
それもあると思いますが、思えば楽器くらいしかねだらなかったですからね。でもこのギターには世話になりました。Xの16のリフとか早弾きとかもこれで随分練習しましたから。だからギターを始めたい人にアドバイスとして言うのはね、「見た目が好きなものを買った方がいいよ」ってことです。見た目が好きじゃないとまず触ろうという気にならないでしょう。シグネチャーモデルは飽きるから長く使えないとか言う人がいるけど、やっぱりそれが欲しいって思うんだったら買った方がいいですよ。
――廉価版の場合、弾きづらかったりしませんか?
それはシグネチャーに限らずの話なので(笑)。hideさんの本物は重量バランスがちゃんと考えられてるので、両手を離してもヘッドが下がらないんですよ。だけど安いB.C.リッチはボディ材が軽いので、左手を離すとネックが下がる。モッキンバードはストラップピンの位置がボディ寄りなんでね。それを頑張って左手で支えながら弾いましたよ。でもそもそも本物がどんなだかを知らないから。モッキンバードというのはこういうギターだと思ってますからね。弾きづらいとも感じませんでしたね。
――確かに「hideさんもこういう思いをして弾いているんだ」と思えば受け入れられますよね。ちなみに半田さんのギターヒーロー一人って言ったら?
SUGIZOさん。いまだにロックギターというジャンルにおいては、SUGIZOさんを超える人はいませんね。
――アコギでヒーローっています?
最初にギターを弾いてみたいと思ったところでいうと、南こうせつさんになりますね。なぎら健壱さんからカントリー的なギターの弾き方を学ぶようになったのはここ10年ぐらいだから、なぎらさんは「憧れたヒーロー」とはまた違うのかもしれない。
――カントリーもお好きなんですか? カントリーの魅力って何ですか?
カントリーってね、好きな人は好きだけど、嫌いな人は嫌いなんですよ。それに尽きますね(笑)。僕は好きなんです。カントリーという文化も。あのツービート感がダメだっていう人もいますね。僕はブルースがダメなんですけど。ブルースってギターを弾くにはいいジャンルだと思うんですよ。だけどね、ブルースを延々と聞かされるのはある意味、弱い拷問だと思うんですよね(笑)。曲の構成にしてもスリーコードものが多いですから、メロディーに抑揚がないし、ギターのおかずとかアドリブのフレーズに関しては、まあその後金字塔になるようなフレーズが生まれたジャンルではあるので、みんな研究材料にしてると思うんだけど。「柳ヶ瀬ブルース」や「伊勢佐木町ブルース」はいいんだけど(笑)。
V系バンドは「平成のグループサウンズ」。メロディーの歌謡曲要素に惹かれる
――日本の歌謡曲のブルースと洋楽のブルースでは違いますものね。
僕は音楽というものの入り口が歌謡曲だから、歌というものはAメロがあって、Bメロがあってサビがあって"泣き"があってというもんじゃないと聴けないんです。で、V系のロックにはそれがあったんです。だってYOSHIKIさんの曲なんて演奏をメタルっぽくしてるだけで歌謡曲ですからね。
――え? そうですか!
そうですよ。「紅」なんてめちゃくちゃ歌謡曲じゃないですか。コード進行なんてもろ歌謡曲だし、あそこに洋楽の要素はアレンジ以外はないですよね。
――あのまま編曲を変えれば歌謡曲に......
なります。歌詞を変える必要はあるかもしれないけど、でもメロディーだけ言えばド歌謡ですよね。特にYOSHIKIさんは。V系のロックは、やっぱりXという金字塔がありますから、多かれ少なかれその流れを含むものも多くて、結果としてメロディアスなロックというものがV系なんです。だから演奏や編成はバンドなんだけどメロディーは歌謡曲、という一番おいしいところをやっていたんです、僕にしてみれば。楽器演奏としてのやりがいもあるし、曲は歌謡曲だしって、これいいじゃんっていう、そこが一番の魅力。「平成の歌謡曲」の要素はあるんじゃないかな。
――V系は平成の歌謡曲! ここで歌謡曲につながるんですね。
V系というジャンルはかなり日本的なジャンルだと思います。アレンジは洋楽的かもしれないけど、歌メロはやっぱり日本独特ですよね。DIR EN GREY(ディル・アン・グレイ)とかも今でこそ結構ハードですけど、デビューした時はまさに歌謡的でしたからね。MALICE MIZER(マリスミゼル)なんてもう、「月下の夜想曲」聴いた時には「これ、山本リンダさんの新曲だな」って思いましたからね(笑)。「これ作曲、絶対都倉俊一だろう」と。影響なんて受けてないんでしょうけど。すごく好きです、初期のマリス。XとLUNA SEAが飛び出て好きだったのは演奏がうまかったってのはありますよね。特にLUNA SEAは。
――V系が半田さんのギターの原点にあったというは意外でした。
ギターを始めたのが、最も多感な中学生時代でベストテンのうち半分以上V系の匂いがするバンドだったんです。小室さんのムーブからスイッチしかけていて、その席が空いたところにバンドが入ったって感じでした。V系は自分にとってリアルなナツメロですね。言わば「平成のグループサウンズ」ですからね。当時流行ってた曲なんか聞くとキュンとしますよ、胸が。
――「平成のグループサウンズ」ですか。一番キュンとする曲は?
いやもうあの時代流行ってたものだったらそれなりに思い出ありますよね。さっき言ったマリスミゼルの「月下の夜想曲」もそうなんだけど「au revoir」も名曲ですごく好きだったし。弾くような曲じゃないんですよ。歌謡曲だから。でも、カラオケとかね。あとは、La'cryma Christi(ラクリマ・クリスティー)の「With-you」。これもいい曲なの。
――すごい苦労してギターを完コピしたとか、思い出深い一曲とかあります?
Xかな。「紅」もやったし「Silent Jealousy」もやったし。しかも僕、無駄に全パートコピーするんで、hideさんだけで終わりじゃなくてPATAさんもやるし、TAIJIさんのベースもやるし、ドラムはまあ雰囲気だけなんですけど、ツーバスじゃなかったから。TAIJIさんもすごい好きだったから、TAIJIパートは完コピしてましたよね。で、弾く時は必ずトレードマークだったハットをかぶってやるんですよ(笑)。懐かしい......。
―― 一人Xができますね。
そう、MTRで一人Xやってました。ただ歌はだめ。歌が一番難しい。あのキーが出ない......。だから高校になってバンドを組むんだけども、Xをやれなかった理由は歌なんですよ。歌を歌えるやつがいない。
――高校のクラブ活動でバンドをやっていたんですか?
ギター研究部という名前の軽音楽部に入ってました。緩いんですよ。メンバーがすごい少なくて。うちの学校の性質だったと思うんだけど、「高校生は太陽の下、短髪で汗かいてるのがいい」とされていたから、視聴覚室でギター鳴らしてるようなのは人気なくてね。部員は数人でした。僕の同学年はベースのО(オー)君一人。「二人じゃゆずしかできないじゃないか! 俺たちはもうロックやってんだよ」って、ドラムとギターは隣町の高校からО君の友達に遠征して来てもらってた。オリジナルもやりましたけど、主にV系のコピーでしたね。LUNA SEA、DIR EN GREY、Janne Da Arc(ジャンヌダルク)とか、いろいろやりました。でも、バンドでは僕はボーカル。人前に出るとなったら一番目立つポジションが良かったの(笑)。高校時代の思い出としてよかったけど、趣味の域を超えるものではなかった......。
――そこで2001年、高校2年生の時にジュノンボーイに応募したわけですね? それはご自身で?
そう。自分で応募したけど、母の提案ですね。僕は修学旅行で東京に行ってから、東京という土地への憧れがすごかったから、高校出たらとりあえず東京に行きたいと。純粋に東京に引っ越したかったんです。そしたら母親が「東京に行きたいなら仕事を決めなきゃ。オーディションなら芸能プロダクションの人も見に来るだろうから、音楽で、とか言っていないで、まずはジュノンボーイがいいんじゃないの?」って。母は合理的な考えをするリアリストなんです。
――お母様は半田さんがいいとこまで行くという確信を持ってたんですね。
あのオーディションは最終選考までは写真と書類選考で、読者投票の予備情報は年齢と顔しかないんですよ。母は「顔だけだったら、逆にいけるんじゃない? 東京であなたが得意なことで働くことを考えていくと、これに応募するしかないよね」みたいな感じでした(笑)。でも、当時、母親とぶつかってばかりだったし、「外見より中身で認められたい」というのもあって、僕は最初否定的でしたが、母に「少しは私の言うことを信じてはどう?」と言われて、ちょっと売り言葉に買い言葉的な気持ちで「向こうが提案してきたことだから試してやるか」ぐらいの気持ちでした。だから、履歴書の写真のシャッター切ったのは母親です(笑)。僕は期待してなかったから6000票中のベストテンに入ってちょっと焦りました。すごい堅実な選択の上での芸能人なんです。消去法(笑)。
――グランプリではなかったけれども、それをきっかけに縁のあったプロダクションに入って「仮面ライダー555」主演などにつながっていくわけですが、ご自身でもいい線までいく自信はありましたか?
東京で芸能の仕事をしていくんだろうなっていう確信めいたものはありました。何の根拠もないですけどね。しかし、それは誤解してほしくないのは自信過剰ってわけじゃないんですよ。
――伺ってくると、V系が半田さんの青春の思い出なんですね。
何でもそうなんですけど、若い時の思い出の方が強烈に焼き付いてるもんじゃないですか。それ以上の体験を大人になってからしてたりもするんだけど、なんか大したことない経験でも思春期って妙にいまだに鮮明だったりする。そのせいだとも思うんですけどね。
――では、買って一番嬉しかったギターはやはり最初のギターですか?
嬉しさの種類が違うんですよね。後に僕は憧れのスタジオミュージシャンの神谷さんのモズライトも手に入れるんだけど、それとはまた嬉しさの種類が違うっていうか。神谷さんのギターに出会えたのは達成感ですから。(③につづく)
【近日開催のイベント】
- 8月9日(日)18:30~ 「だんだん好きになっていきましょう 」(中延・隣町珈琲)
- 8月15日(土)12:00~、9月20日(日)12:00~ 「仮面ライダー555 ファイズリマインド」vol.30(お茶の水・ワテラスコモンホール)
※詳細は半田健人公式X(@handakento)をご確認ください。

