丸三文庫 2/2

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2月18日(火曜)

 「次は早稲田、早稲田です」。アナウンスが流れた瞬間に、制服姿の子が立ち上がる。駅に到着するまであと数十秒かかるけれど、その早さに、決意めいたものを感じる。

 朝7時半に早稲田駅に降り立ってみると、「早稲田試験場」の看板を掲げる学生アルバイトの姿はまだ見当たらなかった。マクドナルドに入り、ソーセージエッグマフィンセットを注文し、2階席から受験生の姿をしばらく見下ろす。

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 藤原さんと待ち合わせたのは朝の9時だ。昨日の大市で落札した商品を取りにいくというので、同行させてもらうことにしたのだ。軽のバンに乗り込んで、早稲田通りをゆく。同じく早稲田にある「二朗書房」のバンを、「平野書店」と「丸三文庫」で経費を負担し、シェアさせてもらってるのだという。入札するときは地下鉄で出かけて、翌日になって落札した商品を受け取るときは車で出かける。

「先輩が店番やってくれてるから、市場で入札したあと、最近は歩いて帰ってるんですよ。いろんなルートを歩くんですけど、こないだ市ヶ谷を通ったら、めちゃめちゃお金持ちの家ばっかで。目白を通るときもそんな感じがするけど、いや、お金持ちっているんだなあと思うんですよね。この前、神保町から五反田の南部古書会館まで歩いたときも、皇居から虎ノ門ヒルズの横を通って、白金、高輪と歩いて――ずっと金持ちなんですよ。田舎だと、お父さんはミニバンで、お母さんは軽自動車に乗ってたりするけど、そういう家に限って外車やレクサスがとまってて。そういうのを見ながら、いいな、いいなって思いながら歩く。最近の楽しみ、それです」

 東京古書会館に到着してみると、まだシャッターが開いていなかった。古書会館が開くまで、周辺の一方通行の道路をぐるぐる回る。9時半になるとシャッターが上がり、あっという間に荷捌き場は満車になった。

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 落札した商品をカーゴに載せて運び、車に積んでゆく。同世代の古書店主である「古書ワルツ」の村上一星さんが、藤原さんと談笑しながら、さらりと落札した商品を眺めてゆく。

「お互い、やっぱ見ちゃうんですよね」。東京古書会館を出発して、早稲田に戻る道すがら、藤原さんはそう話してくれた。「『古書ワルツ』だと、向こうのほうが規模が全然大きいから、ライバルっていうのもおこがましいですけど、気になる人が何人かいるんです。市場には『経営員』という仕事があって――それは設営や開札を担当する仕事なんですけど――同じ時期に経営員をやっていて、年も近くて、独立して自分で店を始めた人が何人かいるんですよね。その人たちが何を買ってるか、どうしても気になっちゃうんですよね」

 東京ドームの裏を抜け、牛天神下を経由し、新目白通りに出る。早稲田のグランド坂を上がり、西早稲田交差点を右折すれば「丸三文庫」が見えてくる。

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 お店に到着すると、落札した本を店内に運び込んだ。まずはパソコンを立ち上げ、タイムフリーで配信されているラジオ番組をダウンロードする。この日は日曜日に放送された『有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER』を選び、番組を再生しながら仕事に取りかかる。仕事というのは、ヤフオクへの出品作業だ。3つのアカウントを使い分け、1000点近く出品中だ。

「この仕事は細かいんですよね」と藤原さん。「だから皆、あんまりやりたがらないんですよ。でも、僕は苦にならないんですよね。逆に言うと、何もせずに店番だけしてるのは無理なんです。貧乏性なんですかね。こうやって出品してると、『これがお金になるんだ』と思えるじゃないですか。しかも、ラジオを聴きながら仕事してると、ちょっとお得な気がするんですよね。家に帰ると、酒飲みながらごはんを作って、それをこどもたちに食べさせて寝かしつけてると、気づいたらもう朝になっちゃうんですよ。だから店でラジオを聴いたり、Netflixを観たりしながら仕事してます」

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 こうして古本屋を続けられているのは、妻が古本に興味がなかったからだと藤原さんは言う。夫婦ふたりで切り盛りするだけの売り上げを保つことは難しく、妻が外で働いてくれているからこそ、店を続けていられるのだ、と。

 ラジオから流れる有吉弘行の声に、「この番組のときだけ、訛りが出ますよね」と藤原さんが言う。格好良いよなあ、この訛り――そうつぶやく藤原さんは兵庫県三木市生まれだ。高校卒業後は日本映画学校に通い、サラリーマンとして働いていた藤原さんに、古本屋となるきっかけを与えたのは同級生だった。

「その当時、同級生の漫画家と一緒に住んでたんですよ。僕がサラリーマンを辞めたあと、家にずっといるようになって。しばらく経ったときに、漫画家から『いい加減働けよ』って言われたんです。ブックオフでせどり、、、した本を楽天フリマで売ってちょこちょこ稼いでたから、『本屋がいいんじゃないの?』って言われたんですけど、本屋はどこも受からなくて。そうしたら、神保町を歩いてたとき、『古書かんたんむ』にアルバイト募集の貼り紙が出てたんです。そこに連絡をしてみたら、『じゃあ、明日からきて』って話になって、古本屋に勤めることになったんです」

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 せどりとは、古本屋で安く売られている本を仕入れて、高い値段で売って利益を得ることを指す。古書価格に通じていれば、古本屋でなくとも、せどりで稼ぐことはできる。でも、藤原さんは「特別本に詳しかったわけではない」と振り返る。ブックオフで仕入れてきた本を楽天フリマに出品して、ネットの反応を見ながら、どんな本が売れるのかを学んだという。だが、「古書かんたんむ」で働いてみると、ネットと実店舗では売れる本が違うのだと気づく。ネットと実店舗だけでなく、実店舗と古本市でも売れ筋は違っていた。

「古書かんたんむ」が参加する古本市のひとつに、高田馬場駅前にあるBIGBOXの一階で開催されていた古書感謝市があった。神保町の古本屋に勤めていた藤原さんが早稲田で独立したのは、この古書感謝市がきっかけだった。

「古書感謝市をお手伝いしてるうちに、早稲田の人と仲良くなったんです。『安藤書店』の安藤彰彦さんが、『うちの2階で店をやれば、BIGBOXの古書感謝市もあるから、生活できるよ』と言ってくれて。それで、彰彦さんの息子の章浩さんがやっている『三楽書房』の2階に店を出させてもらったんですよね。当時、古書感謝市だけで年に250万ぐらい売り上げがあったから、何とか行けるかなと思ったんですよね。そのあと、古書感謝市はなくなっちゃいましたけど、逆に良かったと思います。そのおかげで、古書感謝市の売り上げに甘えずに、自分で開拓しなきゃと思うようになったんですよね」

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 話をしていたところに、ふらりとお客さんがやってくる。藤原さんはラジオのボリュームを少し下げる。しばらく棚を眺めていたお客さんは、何も買わずに去ってゆく。「お客さんのために格好良い音楽を流さなきゃと思うこともありますけど、いいんです。自分がラジオを聴いて、楽しく仕事ができれば」。そう言い聞かせながら、ネットへの出品作業を続ける。パソコンの画面にはタブが何十個と広げられており、すごいスピードでマウスをクリックして、一気に入力を進めてゆく。

 こうしてネット通販をやっていると、お店の棚を触る時間は少なくなる。お客さんがやってきても、接客らしいこともできなくなる。ネット通販専門の古本屋が増えているのは、店売りをやめたほうが効率的だからだろう。ただ、「丸三文庫」はネット通販に力を注ぎながらも、店売りも続けている。

「今の場所に移ってから、地域の人が本を買いにきてくれるんですよ。花屋のおばちゃんやクリーニング屋さんが仕事帰りに寄ってくれて、文庫本を買って、『読み終わったからもうあげるわ』と持ってきてくれる。それは2階でやってたときにはなかったことなので、嬉しいですね。それに、実店舗をやってると、古本徳を積んでるような気持ちになるんですよ。実店舗で積んだ徳が、ネットで商売するときに返ってくる気がします」

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 そんな話をしていたところに、ネット通販の注文が入る。1万5千円で出品していた洋書だ。「座ってるだけで売れるんだから、簡単な商売っちゃ簡単な商売ですよね」。さっそく商品を梱包しながら、藤原さんが言う。

 こうして言葉にすると、たしかに簡単な商売に見えるだろう。でも、藤原さんが「洋書に詳しいから洋書を扱う」のではなく、「洋書が読めないけど洋書を扱う」のだと書けば、それがどれだけ大変なことか伝わるだろう。洋書専門の古本屋であれば、その本がいくらで販売できるか理解した上で仕入れることができる。でも、藤原さんは未知なるジャンルを仕入れてきて販売する。

「市場で仕入れてきても、いくらで売れるかわかんないから、不安といえば不安です」と藤原さん。「でも、価値がわかってるものを仕入れてきて、それが売れなかったら自分のせいじゃないですか。でも、わからないものだと、誰のせいかわかんなくなるから、他力本願でやってますね。お金を出して仕入れるから、『あとは勝手にやってください』みたいな気持ちです」

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 未知なるジャンルを扱うために、藤原さんはよく人を観察する。

 市場に出品される古書は、公平を期すべく、誰が出品したのかは表記されない。でも、入札用の封筒に書かれた手書きの文字を細かくチェックしていれば、誰が出品したのかわかるようになるという。この書店が出した洋書なら、きっと売れる本だろう――藤原さんはそうやってアタリをつけて入札する。相手が出した手札を読み解き、どの古書店主が何を狙っているか探りながら、めあての本に入札する。ほとんど麻雀の世界だ。

「高校生の頃はよく麻雀やってましたけど、苦手でしたね」。僕の見立てを伝えると、藤原さんはそう話してくれた。「麻雀は4人で顔を突き合わせてやるから、リングに上がって戦ってる感じなんですよね。市場だと、リングの外側からスナイパーのように撃ち抜く感じがして、そっちのほうが好きなんです。誰も気づいてないところで、気になる本を落とす。それをネットで高く売って、『ほら!』ってなるのが好きなのかもしれないです」

 気づけば日が傾いている。「ラジオを聴いてると、一日があっという間ですね」。藤原さんはそう笑いながら、次に聴く番組を探している。

2月19日(水曜)

 駐車場には「20分400円」と看板が掲げられている。都心の駐車場の中でも、この値段は高価なほうだろう。今日は出張買取があり、軽バンを走らせ表参道にやってきたのだ。

 依頼主のSさんから連絡を受けたのは藤原さんではなく、先輩だった。千駄木にあったブルース・バーで知り合い、「古書信天翁」によく足を運んでくれたお客さんで、今回も先輩づてに出張買取を依頼してくれたのだ。

「僕らはBOEESってバンドをやってるんです」。先輩がSさんに僕たちのことを紹介してくれる。「そのBOEESの皆が、『古書信天翁』の片づけを手伝ってくれて、それで無事に閉めることができたんですよね。BOEESがいてくれたから、私は今、生きられてるんです」

「古書信天翁」が最終営業日を迎えたのは、2019年2月9日のこと。その翌日には、BOEESの皆――ボーカル・イラストレーターの武藤良子、ギターは「古書往来座」・瀬戸雄史、ベース・「丸三文庫」藤原健功、ドラムス・「古書信天翁」山﨑哲、それに記録係の僕――で、「古書信天翁」の在庫を紐で縛り、市場に出品する準備をしたのだった。そうして縛った本を出品したのが中央市会の大市だった。

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 1年前のことを思い出しながら、藤原さんと先輩が本を縛る様子を見つめる。先輩はSさんと談笑しながら、なごやかに作業を進めてゆく。

「山﨑さんは今、住まいはどこなの?」

「今は××のあたりです」

「ああ、そうなんだ。あの近くにあるパン屋が昔から好きなんだよね。なんだっけ、有名な――」

「××××パンですか」

「そう、××××パン。親父の墓参りに行くと、あそこに寄ってます」

「朝8時頃になると、あそこのパン屋が、サンドイッチのために切り出したパンの耳を20円で売るんです。それがあると、ラッキーだなあって」

「パンの耳って、昔はくれたもんだけどねえ」

 1時間ほどで本を縛り終えると、本を運び出す。すべての本を積み終えたところで、先輩がSさんに買取価格を打診しにゆく。車で待っているあいだ、「やっぱり、先輩はすごく丁寧ですね」と藤原さんがつぶやく。「買取の仕方が、僕と全然違うなと思いました。僕はたぶん、先輩に比べると『早く帰りたい』って空気を出しちゃってると思うんですけど、先輩は話を聞くのが上手ですね」

 数分経って、先輩が戻ってくる。Sさんは買取価格に納得してくださったようだ。

「早稲田に行くときがあれば、お店に寄りますね」。玄関先まで見送りにきてくれたSさんが言う。

「嬉しいです。基本的には、月曜と水曜と金曜は『丸三文庫』にいます」と先輩。

「山﨑さんがいるのは何時から何時まで?」

「お昼から3時くらいまでです」

「そのあとはウーバーイーツ?」

「でも、ウーバーは気が向いたときだけでいいんです。3時まで『丸三文庫』に勤務して、帰ってウーバーをやるのが基本なんですけど、別にやらなくても構わないので、ぜひ寄ってください」

 先輩のやりとりはどこまでも丁寧だ。Sさんに見送られ、表参道のマンションを出発する。今日は平日だけれども、表参道の路地は人で溢れている。あれは何という花なのだろう、ピンク色の花が咲き乱れている。晴れやかな風景が続く。

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「軽のバンって、無敵ですよね」。ゆっくり車を走らせながら、藤原さんが言う。「どんな高級な住宅街や、こういう華やかな場所にきても、軽のバンだと『仕事してます!』って感じが出るから、気持ちがわりかし楽ですね」

 路地を曲がると、小さな子を連れた母親たちとすれ違う。その姿を見た先輩が、「あの子たち、日常会話は英語かもしれないね」と言う。

「英語はしゃべれるでしょうね。バレエ習ってそう」と藤原さん。

「この子たち、バレエだねえ。髪をひっつめてる」

「英語がしゃべれて、バレエを習って――それで慶應の幼稚舎に行くんでしょうね」

 そんなふうに軽口を叩きながら、外苑東通りに抜けて、本を積んだ車は走ってゆく。開店時間を過ぎているけれど、3人でお昼ごはんを食べることにする。藤原さんが選んだのは「かわうち」というお店。古書組合の新宿支部の忘年会などで利用する居酒屋で、ランチ営業も行っている。今は春休みだが、普段は学生で賑わっており、ランチはどれもボリュームがあるという。先輩は角煮定食を、藤原さんは唐揚げ定食を注文する。

「年を取ると、ごはんが食えなくなりますね」と藤原さん。

「ですよねえ。今もちょっとどきどきしてます」と先輩。

 運ばれてきた定食を、黙々とかき込んでいく。途中で休んでしまうと食べきれないような気がして、一気に平らげる。完食した先輩は「夜はもう、食べなくていいかもしれない」と笑う。

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 13時過ぎに「丸三文庫」に戻り、店を開けると、藤原さんはネット通販の発送作業に取りかかる。先輩は出張買取してきた本の紐をほどき、まずは店頭で販売するものと市場に出品するものに仕分けてゆく。

「仕分けのほうが楽しそうだな」と藤原さんがぼやく。「先輩たちが『古書ほうろう』を始めたときって、ネット環境ってありました?」

「言われてみれば、最初の頃はネットがなかったですね」と先輩が答える。先輩は2010年に独立して「古書信天翁」を始めるまで、千駄木にある「古書ほうろう」を4人で営んでいた(「古書ほうろう」は現在、池之端に移転)。

「僕はずっとネットの作業をしてるから、これがなかったら何していいかわかんないんですよね。ネット環境がなかったとき、店番しながらどんな仕事してました?」

「買取をして、本をきれいにして――その繰り返しですよ。今、聞かれて思い出しましたけど、『スラムダンク』がずらっと入ってきて、それを読んだのはおぼえてますね」

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 15時過ぎに梱包を終えて、近所の郵便局から出荷すると、そこからはふたりがかりで本を仕分けてゆく。先輩が大まかに仕分けた山のうち、市場に出品することになったぶんを藤原さんが紐で縛り、あっという間に作業を終えてしまう。その素早さに驚いていると、「いや、市場に出品する本の仕分けは簡単なんです」と藤原さんは言う。「お客さんから買い取った本って、あんまりきっちり仕分けちゃうとうぶく見えない、、、、、、、んですよね。ちゃんと『お客さんから買ってきた本です』って見せないと、市場で入札してもらえないんです。お客さんから買い取ると、かならずお客さんの趣味が見える。そこに趣味と違うものが入ってくると、『いちど本屋さんが使ったけど、売れなかった本なんじゃないか』と疑って、入札したくなくなったりするんです。もちろん、きっちり仕分けて『めっちゃ良い本です』って見せることで入札してもらうのも一つの手なんですけど、あんまり仕分け過ぎないほうが『良い本が埋れてるかも』と思ってもらえる気がします」

 雑誌の山を仕分けているうちに日が暮れて、受験生が駅に引き返してゆく。通りかかる受験生のうち、店内に視線を迎える子を数えてみる。100人のうち、14人が「丸三文庫」の中に視線を向けながら通り過ぎてゆく。この日、早稲田大学を受験した子のうち、何人が古本屋に足を運ぶようになるだろう。

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 すべての作業を終える頃には、18時を過ぎている。もう「丸三文庫」の閉店時間だ。軽バンに収まる量の出張買取でも、ふたりがかりで1日仕事になる。それとは別に、市場まで出品しにいく手間もかかれば、誰にも落札されなければ引き取りにいく手間もかかる。閉店準備を終えると、藤原さんは慌ただしくこどもを迎えに帰ってゆく。

 受験生はもう歩いていなかった。すっかり暗くなった早稲田通りを、高田馬場駅まで歩く。今ではもうぴかぴかだとは感じないけれど、このひかりの中を歩き続ける。