岡島書店 1/3

11月2日(月曜)

 京成立石駅の改札前で、駅員さんたちが脚立を立てて作業をしている。近づいてみると、クリスマスの飾り付けをしているところだ。街にクリスマスムードが漂い始めるのが、年々早くなる。ハロウィンが終わると、あっという間にクリスマスだ。

ADSC_5603.JPG

 駅から10分ほど歩いたところに、「岡島書店」はある。時刻は9時50分、開店時刻より少し早く、シャッターが上がる。

「すごいボロ屋でしょう」。開店準備をしながら、店主の岡島秀夫さんは笑う。「うちはね、戦前からの棟割長屋なんです。三階建てぐらいに建て替えたらいいんじゃないかと言われたんだけど、俺は高いところが嫌いだから、昔のやつを直しながら店やってるんです。台風がきたら吹っ飛んじゃうんじゃねえかって、よく笑い話で言うんだけどね」

 シャッターを上げ、店内に仕舞い込んであった自転車を表に出すと、棚にハタキをかけてゆく。開店準備が整うころには、最初のお客さんが入店しており、棚を眺めている。コロナの影響で最近はお客さんが減っているけれど、銀行帰りに寄っていくお客さんが多く、10時には店をオープンするのだという。

「うちなんか、5坪の小さい店だから、消滅寸前だよ。売れる日は適当に売れるけど、売れない日は全然売れないからね。生活するほど稼いではないけど、日銭は入ってくる。『岡島さん、ネットで売ったら?』って言う人もいるんだけど、ネットは大嫌いなんだよね。俺はケータイも持ってないし、キャッシュカードも持たないの。機械から金が出てくるなんて、信用できねえんだよ。だから、金をおろすときはいつも、窓口でおろしてんだよね」

 昭和17年生まれの岡島さんは、今年で78歳を迎えた。父・喜造さんが昭和7年に創業した「岡島書店」の二代目として、半世紀以上に渡って古本屋を営んできた。

BDSC_5845.JPG

「もしもし、岡島です」。11時になると、岡島さんはおもむろに電話をかける。「今日、行くの? ああ、じゃあ俺も行く。夜は雨だっつうから、あんたが行かないんだったら、行くのやめちゃおうかと思ったんだけどね。どうもどうも、ありがとう」

 電話の相手は、市川にある「山本書店」の店主・山本賢三さん。岡島さんの飲み仲間だった古書店主のひとりである。今日は月曜日だから、東京古書会館では中央市会という古書交換会が開催される。「岡島書店」に並んでいる本の多くは、近所からの買取ではなく、市場から仕入れてくる。

「葛飾区はね、本がないんです。たまに『本を買い取ってくれ』って持ち込みがあるんだけど、ベストセラーみたいなのが多くて、全部断っちゃうの。だから今でも市場に行くんだけど、中央市会は雑本が出るから、週に一度、月曜日に行くんだよね」

 11時半になると、店番を妻・雅江さんに任せて、岡島さんは市場に出かけてゆく。「この奥戸街道つうのは、昔はずっと商店街になってたんだよ」。岡島さんがそう教えてくれる。葛飾区の中心はかつて立石で、区役所に裁判所に水道局と立石に集中していたけれど、時代が下るにつれ、私鉄沿線の立石から国鉄の駅がある町に移ってしまったのだという。

「だから、立石ってのは置いてかれちゃった町なんです」。岡島さんは奥戸街道を左に入り、アーケード街に入ってゆく。「ここは昔の闇市で、ほんとの駅前通りなんだけど、今は飲み屋ばっかりだ。この『宇ち多゛』で飲んで、向こうの立ち食い寿司を食うのが立石の定番だって言われてるらしいんだけど、どっちも俺がこどもの頃からある店なんだよね。立ち食い寿司のほうは昔、『10円寿司』っつって、よく食ってたんだけどさ、今はもう行列ができちゃって大変だよ」

CDSC_5924.JPG

 アーケードの入り口には「立石仲見世」と看板が掲げられている。アーケードを抜けたすぐ先に立石駅があり、その壁際に行列がある。「こうやって皆、開店を待ってるんだよ」と岡島さんが教えてくれる。平日の午前中から行列ができているのかと驚かされる。

 京成線の黄色い電車に揺られながら、荒川を越える。この時間帯の上り電車はがらがらだ。押上で都営浅草線に乗り換えて、東日本橋駅から馬喰横山町駅まで地下通路を歩き、都営新宿線のホームを目指す。「この年になると、階段を降りるのがおっかなくなってきちゃってね」。岡島さんは手すりにつかまりながら、ゆっくり階段を降りる。岡島さんは2019年の5月に膀胱癌と肝臓癌の手術のために入院し、体重が10キロ近く落ちたという。「昨日は寝るのが遅くなったもんだから、やっぱりいつもよりふらつくよ」と岡島さんは言う。「飯食って風呂入ったあとに、大阪のアレを観ちゃったんだよ。都構想の住民投票がどうなったのか、結果が出るまで待ってたら、11時半ごろになっちゃったんだよね」

 小川町駅で電車を降りて、東京古書会館に辿り着く頃には12時半になっている。2階に上がると、岡島さんはさっそく本の山に目を通してゆく。リズムを刻むように、カチカチカチ、とボールペンの音が響く。

ADSC_5632.JPG

「まだ生きてらっしゃったんですか」。軽口を叩くように、「丸三文庫」の藤原健功さんが挨拶する。「もう駄目だよ。死ぬ寸前」と、岡島さんは笑いながら答える。知り合いの古本屋さんとすれ違うたび、岡島さんは「おう」と短く声をかけてゆく。

「おう。体はどうだ?」
「ああ、岡島さん。とりあえず悪いとこは治したから、今は経過観察です」
「あとは頭だけだ?」

 そんなふうに冗談を交わしながら、2階の本に目を通すと、今度は3階に上がる。岡島さんの言っていたとおり、中央市会には雑多な古本が並んでいる。小説やエッセイもあれば、評論や箱入りの学術書もあり、漫画、実用、趣味、それに成人図書まで幅広い。本に限らず、切符やこけし、DVDやゲームソフトまである。それを物色する店主たちも、若い世代からシニア世代まで幅広い。

「お元気ですか」
「おう。まだ判決がおりねえんだ」
「でも、悪くなってるわけじゃないんでしょう?」
「自分では悪くなってる意識はねえんだけどよ」

 じっくり1時間かけて入札を終えたところで、館内放送が流れる。「岡島書店さん、岡島書店さん。一回受付までお越しください」。アナウンスにせかされるように一階に降りると、岡島さんと古くから顔なじみの古本屋さんたちが待っていた。入札の結果が出るまでのあいだ、いつも皆でお昼を食べに行くのだという。岡島さんがなかなか降りてこないからと、しびれを切らして館内放送で呼び出したのだ。

 小岩にある「高橋書店」の高橋尚さん。神保町「英山堂書店」の西山英二さん。「文雅堂書店」の高橋俊行さん。それに、朝電話をかけていた本八幡「山本書店」の山本さんと一緒に、中華料理「太一」に向かう。

「ずいぶん元気じゃない」
「医者が不思議だっつうんだ。この数字で元気なのはおかしいってよお」
「案外寿命まで持つかもよ。うまいもんでも食ってさ、頑張ったほうがいいよ」
「うまいもん食うのも駄目なんだよ。よし、俺はワンタンメンにしよう」

 岡島さんが今でも市場に足を運んでいるのは、仕入れのためではあるけれど、こうして仲間に会えるのが楽しみなのだろう。

「西山んちは、俺んちより古いんだっけ?」ワンタンメンを啜りながら、岡島さんが問いかける。

「うちはいちおう、昭和5年創業ってことになってんだよね」。西山さんも、岡島さんと同じく二代目だ。ふたりの父親同士も交流があり、西山さんのお父さんはよく「岡島書店」に遊びにきていたのだという。「西山んちの親父は大酒飲みで、最後は肝硬変だったけど、背中叩きながら酒飲んでたもんな」と岡島さんが振り返る。

「俺の記憶に残ってるのは、うちの二階に煙草の葉っぱが干してあったんだよ。西山んちの親父と俺んちの親父が、千葉かどこかまで煙草の葉っぱを買いに行って、うちは南だから、そこで葉っぱを干してたんだよね」
「煙草の葉っぱを自分で巻いて吸ってたんだよな」
「映画なんかでも、俳優が煙草を吸うシーンがひとつのショットになってたからね」
「西部劇なんか観てると、靴底にマッチを擦って火をつけてなかった?」
「こういうテーブルみたいなとこで火をつけてることもあったよな。あの頃のマッチはどこでも火がついたのかね?」

 食事を終えると長居はせず、パッと店を出て近くの喫茶店「茶居夢」に流れ、ホットコーヒーを注文する。テーブルには二種類の砂糖が用意されている。岡島さんは白くてサラサラした砂糖を溶かしながら、「山本はこっちだったな」とカラメル色の砂糖が入ったシュガーポットを差し出す。

「俺の友達に、親父が満州のやつがいるんだ」。コーヒーを啜りながら、岡島さんが切りだす。「満州で生まれて、戦後になって日本に帰ってきたやつなんだけど、そいつに船戸与一の『満州国演義』を揃いであげたら、『やっと親父の言ってた話がやっとわかった』って言うんだ。これまで親父が満人だなんだと言ってたのがサッパリわかんなかったけど、それがわかった、って」

「僕もあれを読んで、終戦までの歴史の雰囲気がわかったという感じがしたな」と山本さん。

「あんなに長いのは、もう読む気力がないんだけどよ。それから、近現代史で言うと、俺、加藤陽子は面白かった。今度はじかれたやつ。加藤陽子が書いた近現代史の本はかなり読んだな」

 こんなふうに読んだ本の話は語られるのだけれど、市場に出品されていた本の話は一切出てこなかった。市場の合間にお昼を食べに出るとなれば、もっと「あんな本が出品されていた」と話し合うものだとばかり思っていたけれど、商売の話はまったく出てこないのが意外だった。

「俺は酒飲んだり飯食ったりするときに商売の話をするやつが嫌いなんだよ」と岡島さんが笑う。「若いときから組合の役員やってっから、知り合いはいっぱいいるんだけど、商売の付き合いになっちゃうのが嫌なんだ。だから、こうやってつまんねえ話をしてるぶんには楽しいんだけど、『あれでいくら儲かった』みたいな話をするのは嫌なんだよね」

 20分ほどで喫茶店をあとにして、古書会館に戻ると、入札の結果が出ていた。どれが落札できたのかを確認して回りながら、「うわ、これも落っこっちゃった」と岡島さんがため息をつく。こんなに落ちちゃうと、文庫だけでうちの中が一杯になっちゃうな。そうつぶやきながら4階に上がり、午後の部の本の山に目を通してゆく。本は一冊ずつではなく、ビニール紐で縛った束で出品されている。そこに封筒がくっつけてあり、入札する場合は値段を書いてそこに入れておく。封筒が膨らんでいるということは入札者が多いということであり、薄い封筒はライバルが少ないということだ。封筒の膨らみもチェックしながら、岡島さんは何口か入札して、8階の休憩室に上がる。ここでもまた「山本書店」さん、「高橋書店」さん、「文雅堂」さんと顔を合わせる。

「展覧会は今、どこも危機ですよね」。誰かがそう口火を切る。古書会館で開催される古本の展覧会をはじめとして、各地で開催される古本市はコロナ禍の影響で中止が相次いだ。

「西部のほう(高円寺にある西部古書会館)はお客さんが戻ってきてるっていうけどね。あそこは一階が会場になってて、風通しがいいじゃない。ここは地下が会場だから、お客さんも不安だよね」
「前みたいに朝一番にくる人は少なくなって、午後の空いてる時間にくる人が増えたって」
「こないだの城南展のときは、入り口でお客さんの体温測ったらしいよ。体温測って、消毒やって、住所を書いてもらう」

 休憩室で話しているうちに日が傾き、三省堂のネオン管にあかりが灯る。4階に戻ってみると、すっかり開札は終わっていた。すでに落札者によって持ち替えられた本も多く、フロアはがらんとしている。床にはクシャッと丸められた紙があちこちに転がっている。入札するときに金額を書き込む紙だ。入札するときに逡巡して、書き損じた紙が散らばっているのだろうか。そうだとしたら、競馬場の雰囲気に通じるものを感じる。

ADSC_5677.JPG

 岡島さんは、「古書英二」を営む次男の英二さんに手伝ってもらいながら、落札した本をカーゴに載せて運び、車に積んでゆく。作業を終えて古書会館を出発するころには、とっぷり日が暮れていた。車内にはジョン・コルトレーンの「TRANEING IN」が流れている。蔵前橋通りから三ツ目通りを経由し、山本さんが運転する車は荒川を越えてゆく。

「この四つ木橋は、昭和27年にできたんだよ」。車窓の風景を眺めながら岡島さんが言う。「小学校のときに、友達と4人で遊びに行って、アーチの上を歩いて橋の反対側まで行ってみたんだよ。今だったらお巡りが飛んできて大変だろうけど、あの当時はそんなにうるさくなかったから。一緒に行ったなかに佐々木ってやつがいて、そいつが手をつかずに向こう岸まで歩いていくのをみて、こいつはすごいやつだなと尊敬したんだよな」

 川を越えて、本田広小路から平和橋通りに入ると、渋滞に巻き込まれた。この先には京成線押上線の踏切がある。こんな時間だというのに、踏切を通過していく電車は人影がまばらだ。

「この道路ができたのも俺が小学校のときで、こんな広い道路を作ったことにびっくりしてたけど、今考えてみると片道一車線しかない道路なんだよな。戦後すぐのころは車なんてほとんど通らなかったから、ここでこどもが三角ベースやってたんだよ。このあたりは昭和22年のキャサリン台風のときに水が出て、俺んちは1メートル50センチまで水が浸かっちゃってね。俺は5歳だったんだけど、進駐軍のモーターボートが大通りを走ってたのをおぼえてる。そのボートから救援物資を投げ込んでくれたんだけど、そこに入ってた食パンが真っ白で、びっくりしたんだよ。アメリカ人ってのはすごいもん食ってるなと思ってよお」

 岡島さんがそう振り返るのは73年前の出来事だ。話を聞いていると、たった73年の間に風景はまるで変わってしまったのだと感じる。

「岡島書店」に到着すると、「山本書店」の山本さんや、同上していた「高橋書店」の高橋さんと一緒に荷物を下ろしてゆく。ここまで車で走ってくるあいだに岡島さんが言っていたことを思い出す。

「酉の市の熊手みたいに、値引きしても定価を払っていく風習があったらいいのにね」
「今の若い連中は、祝儀を払わずに帰っちゃうのが一杯いるんだってな」
「ほんとに負けてもらったと思うんだろね」
「割り引いてもらったぶんを客が祝儀として払うから手を叩くのに、そのまま帰っちゃうらしいんだよ」

ADSC_5734.JPG


 そういえば今日は一の酉が開催されている日だ。ここから浅草までは電車で一本なので、せっかくだから浅草の鷲神社に出かけてみることにする。「今年は事前に申し込んだ人しか入場できません」とホームページには書かれていたけれど、入り口で住所や氏名を書けば入場することができた。ずらりと並ぶ熊手を眺めて歩きながら、自分で買うとしたらどのデザインがいいだろうかと考える。初めて酉の市に出かけたころは、どの熊手も同じに見えていたけれど、特に鷲神社に並ぶ熊手は店ごとに個性がある。手締めの声と手拍子が聴こえてくる。ぼくは自分で熊手を買ったことがなく、「ご祝儀」の習慣のことも今日まで知らなかった。

 神社の外には今年も屋台が並んでいる。緑と黒の市松模様をあしらった屋台をいくつか見かけた。何事もなかったかのように賑わう参道の様子を眺めていると、一年前にタイムスリップしたかのような心地になる。

>>11月3日に続く