岡島書店 3/3

<<11月3日はこちら

11月4日(水曜)

 今日は立石に向かう前に、上野に立ち寄る。一昨日から、寄席の隣で「上野広小路亭古本まつり」が開催されているのだ。入り口で消毒を済ませて、会場内に入ってみると、お昼時とあってスーツ姿の人たちで賑わっている。「立石書店」と「古書英二」の値札のついた本と一緒に、「岡島書店」の本も並んでいる。

BDSC_5897.JPG

「ほんとはね、自分で行けばもっと売れる自信はあるんだけどね」。「上野広小路亭古本まつり」を覗いてきたのだと伝えると、岡島さんは残念そうに言う。「外売りってね、何が売れるかを見てないと駄目なんだよね。場所によっても違うし、その日によっても違うから、自分で様子を見ながら並べなきゃ駄目なんだ」

 帳場の横にあるテレビは、国会中継にチャンネルが合っている。「加藤陽子さんについて、ちょっと、私は、女性の政治学者として、ほんとに尊敬してる方なんです。それで、この、本なんかもね、『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』って、ものすごく売れてますよ。なぜこの人が外されたのかって、すごいショックだったんです」。画面は見えないけれど、立憲民主党の辻元清美が質問を投げかける声が聴こえてくる。

「この年になると我が儘になってきてよ、つらい話を読む気力っつうの、それがなくなってきたんだよな」。テレビを眺めながら岡島さんが言う。「考えてみると、本を一番読んだのはお袋に店番させられてたときだな。高校生の頃なんかは、棚に並んでるのはてめえの商品じゃねえと思ってるから、かっぱらわれようが関係ないわけ。お客さんが何人いようが、延々と本が読めたのよ。好きだったのは吉村昭と山田風太郎、それから山本周五郎もほとんど読んだ。でも、てめえで商売するようになると、危なっかしくて店では本が読めなくなっちゃった」

 小さいころから店の仕事を手伝うことは多かったけれど、岡島さんは店を継ぐつもりはなく、親から「継げ」と言われることもなかった。小学校へ上がるころには、父・喜造さんは結核を患い、それからは母・清子さんが店を切り盛りしてきた。高校を卒業すると、岡島さんは船会社に就職し、中東と水島コンビナートを往復する石油タンカーに乗船していたという。

「別に船に乗りたくて船会社に入ったわけじゃなくて、飯が食えて酒が飲めりゃ何でもよかったんだよね。だから、勤めも一生懸命じゃなくて、結局2年で辞めて、それから古本屋になったわけ。『どうにもならなくなったら、逃げ道がある』と思ってたのかもしれないね。せがれたちが古本屋になったのも、そこじゃねえかなと思ってんの。やっぱり俺は、古本屋を商売だと思ってなくて、単なる生業だと思ってんだよな。八百屋や魚屋でもよかったんだけど、こどものときから本は嫌いじゃなかったし、面白かったと言えば面白かったね」

CDSC_5994.JPG

 市場で仕入れてきたものを店で売る――それは八百屋や魚屋、肉屋と共通するところだ。でも、古本屋が特殊なのは、在庫を抱えていても腐ることはなく、価値が増していくこともある、ということだろう。でも、「在庫を抱えんのが嫌」だと岡島さんは言う。

「こっちは『本つうのは売るもんだ』と思ってるから、価値が上がるまで寝かせておくって発想がなかったんだよね。俺自身、消えるものが好きだから、服やなんかには全然金を使わずに、飯と酒に全部金を使った。せがれどもにも、物を買ってやるって発想がなかったんだよ。ただ、小学生のころから寿司屋に連れてって飯食わせてたんだよね。食うもんだけは贅沢させてたから、それで『古本屋になれば遊んで過ごせる』と思ったのかもしれないね」

 岡島さんが結婚したのは27歳の秋だ。きっかけとなったのは、当時は立石にあった「小林書店」店主・小林静生さんだ。小林さんは勤労青年のために開設された「青年学級」で先生をやっており、小林さんの家にはいろんな人が集まっていた。そこで雅江さんと出会って、昭和43年に結婚。仲人を務めたのは金町で「文化堂書店」を営む川野寿一さんだ。聞けば聞くほど、岡島さんは古本屋の世界で生きてきたのだなと感じる。

CDSC_5968.JPG

「古本屋同士、昔はずいぶん付き合いがあったんだよ。組合で一緒に旅行やなんかもよく行ってたしね。市場のあとに一緒に麻雀やって、朝まで酒飲んだりね。下町は酒飲んじゃ騒いでるような古本屋も多かったから。そういう意味じゃ、東部と北部(北区・豊島区・板橋区・練馬区)は雰囲気が近かった。『なんで市場で競ってる商売敵と一緒に飲むんだ』と言う人もいたけど、その繋がりがないと駄目だったんだよね。俺も若いときはずいぶんいろんな人の仕事を手伝ったけど、そのぶん良い品物をまわしてもらったりね。今はずいぶん世知辛くなっちゃったけど、昔はいろいろ付き合いがあったんだよ」

 岡島さんの長男・一郎さんは「立石書店」を、次男・英二さんは「古書英二」をそれぞれ営んでいる。こどもたちが古本屋をやりたいと言ったとき、岡島さんは「やめたほうがいいんじゃねえかと思ったけど、止める気もなかった」と言う。

「古本屋になると言われたときに、『組合には俺とは別で入れ』と言ったんだよね。一緒にやってりゃ別々に組合費を払う必要もないんだけど、うちで給料は払えねえからよ。最初に店を始めるときは、できる範囲で手伝ったり助けたりはするけど、あとはお前の責任だよ、と。親子といっても、それぞれ独立した別個の人間だと思ってるから。だから、うちを継いでもらいたいなんて根本的に思わないしさ、やりてえことをやればいいんじゃないのと思ってるけどね」

 テレビのチャンネルを変える。民放はどこもアメリカ大統領選挙の開票速報を中継している。現時点ではバイデン候補が220票、トランプ大統領が213票と接戦になっているようだ。作業の手を止めて、岡島さんはテレビ画面を見つめる。店内に西日が射し込んでくる。店の前を自転車が行き交うたび、影が揺れる。岡島さんは飴を舐めながら、「今は満腹まで食っちゃ駄目だって言われてるから、飯を食い終わったときからひもじいんだよね」と笑う。

「肝臓の手術をしたら、今度は腎臓の数値が悪くて、透析寸前なのよ。タンパク質とカリウムをなるべく取らないようにって言われてるから、栄養失調みたいなもんだよ。昔は夜は外食することが多かったけど、今はうちのカミさんが工夫して料理を作ってくれてる。今は月に一回病院で検査を受けてるんだけど、数値が悪くなったら透析になっちゃうから、有罪判決が出ないように頑張ってるわけ」

 明日がちょうど、月に一度の検査の日だ。「判決」を受けに行くのは嫌だよな。岡島さんがつぶやくように言う。「明日が『判決』の日じゃなけりゃ、近くにうまい魚を食わせる小料理屋があるから、一緒に飲みに行ったのによ」と。

「岡島書店」をあとにして、夜の町を歩く。あかりの灯った酒場を横目に、駅を目指す。ひとりで酒場に出かけることはあっても、誰かと一緒に飲みに出かけることから、ずいぶん遠ざかっているように感じる。

「俺はね、椅子に座るのが嫌なの」。岡島さんがそんな話をしていたことを思い出す。店番をしているあいだ、岡島さんはずっと帳場で正座をしていた。こどものとき、ごはんを食べるときに正座をしていないと、親に引っ叩かれたのだという。今ではもう、足を畳んでいるほうが楽になって、椅子の上でもあぐらをかいて過ごしてしまうのだ、と。

 アーケードの下を歩きながら、酒場を眺める。この中に岡島さんが行きつけの店もあるのだろうか。いつかそこで岡島さんと乾杯する日のことを想像する。カウンターであぐらをかきながら、べらんめえ口調で語る岡島さんの姿を思い浮かべると、その日が待ち遠しくなる。

CDSC_6074.JPG