第8回 駅前で70年。四代続く家族経営酒場(前編)
「え!? こんなにもすごい仕入れをされているんですか。このご時世に」
持参した重箱に目を見張るほどに上質な刺身がギュギュッと詰め込まれていた。
コロナ禍で酒場でお酒が出せなかった頃のことだ。近隣の酒場の店主さんたちの様子が気になり、重箱を持参してはつまみをテイクアウトさせて頂いていた。その中の一軒が荻窪の「かみや」だ。
昭和30(1955)年、現店主・小山昌宏さんのお祖父様が荻窪の駅前で創業したのが始まり。
同郷の縁で浅草の名門「神谷バー」と知り合いになり、酒屋に加えて居酒屋も営むようになった中野「かみや」が、お祖父様の姉の嫁ぎ先ということもあって、その店で修業を積んだお祖父様と叔母様が暖簾分けをされたのが荻窪「かみや」。他にも高円寺と阿佐ヶ谷にも暖簾分け店があったそうだが、現在残っているのは、四店舗含めて、ここ荻窪「かみや」だけ。「神谷バー」ゆかりの店ゆえに、浅草から遠く離れた東京の西の土地・荻窪でも「神谷バー」看板酒の電気ブランも置いてある。
創業当時は駅の西口改札もなく、道路も拡張される前。4枚の引き戸入り口には、幅広の濃紺地に「神谷酒場」と白抜きの文字で大きく認められた暖簾が掲げられ、そこには「お食事」、「デンキブラン」の文字も。店内は、コの字カウンターを有した渋い造りだった。

「私が嫁いだ当時は、私たちが朝ごはんを食べている場に、朝酒をしているお客さんたちもいらっしゃったのよ」
そう話してくれるのは、二代目女将・ユキ子さん。当時は、店舗の奥が住居。そして朝9時から夜9時までの通し営業。タクシーの運転手さんなど、夜勤を終えた仕事人たちが朝酒に来ていたのだそう。
建物改築や道路拡張などにより店舗の造りは変遷をしていくのだが、創業当時の店は、2階も宴会スペースとなっており、40名ほどの大宴会も請け負っていたのだとか。
アルバムの写真を見ると、男性メインの中に、女性客もちらりほらり。当時から地元の方に愛されていた様子が伝わってくる。
あたしが初めて「かみや」に訪れたのは、2014年のこと。
荻窪駅前を徘徊するたびに、店舗前に掲げられているメニューに、無意識に惹き寄せられ、知らず知らずにジィ~ッと見つめていた。見かねた夫から注意されてしまうほどに。
魚の煮付け、おひたしなど、家庭的な品々を多くラインナップされているのだが、そういった日常の延長線上の料理がちゃんと美味しいことこそが、大衆酒場の真骨頂であると、あたしは信じている。
ゆえに、きっとここもすっごく好い酒場なんだろうな。そう思っていざ、足を運べば、実直な仕事ぶりに虜になった。
ぬたの盛り合わせは、器に箸を差し入れるほどに、いく種類もの刺身が続々と出てくる逸品。「宝箱」と勝手に愛称をつけて、必ず注文する一皿となった。
ベーコンポパイエッグにも唸った。文字通り、ほうれん草と目玉焼きで構成されている料理なのだが、下にキャベツが敷き詰められていて、炒められたほうれん草とベーコンエッグの余熱で蒸されている。その塩梅がなんとも素敵で、家庭的な一品にプロの色気が足されている様が、あたしにはたまらなかった。
牛すじ煮込みも好みの味わいで、汁まで全部つまみになるほど。二日酔い時には、この汁をつまみに迎え酒をするのが通例になるほど、「かみや」の料理は、あたしの身体にことごとく馴染みのいい味付けなのだ。


さらに惚れているのが、あんこう鍋。三代目・昌宏さんが、豊洲市場で1匹丸ごと仕入れてきて、自らつるし切り。それを小鍋で仕立ててくれるのだ。通常、鍋といえば2人前からが多い中、一人呑み用にポーションを調整してくれるありがたさ。醤油ベースの優しい味わいの出汁に白米を投入してもらい締めの雑炊までコンプリートできるのも嬉しい。


三代目・昌宏さんが「かみや」に入ったのは、平成5(1993)年のこと。大学卒業後、自動車メーカーに勤務をしていた時、初代大将がご病気になられたのを境に、飲食店の道へ。学生の頃から店の手伝いをしていたから、いつかは「かみや」を継ぐという思いもあったのだそう。
仕出し屋「芙蓉会館」で修業を積んでのち、「かみや」を継がれた二代目大将・芳成さんのもと、仕入れや料理の修学をしてきた昌宏さん。今では相当の目利きで、抜群にいい品物を市場で自ら仕入れて来られる。それらを目当てに通ってくる常連さんも多い。
パリッとした赤貝、プリッとしたホタルイカ、旨味の濃い雲丹、甘い帆立、つるりとした鳥貝などが一段目に、二段目には拍子木が敷かれ、その上に、サシも美しきトロ、分厚きマグロに鰤、ギュッと身が締まったタコなどが盛り込まれ、それぞれに茗荷、大葉、海藻、きゅうりと刺身のつまもふんだんに添えられている。
コロナ禍時にテイクアウトさせて頂いた刺身盛り合わせだ。
「重箱を持参するので、お任せで詰めていただけますか?」
事前にそうお願いしたものを自宅で広げてみてびっくり。あまりの美しさに圧倒された。料亭とみまごうほどに、繊細な仕上がりだった。


街場の大衆酒場にしてこれほどまでのクオリティ。しかも今は、コロナ禍。酒場で酒が出せない時。ランチも含め食事処としての営業は継続中だから、仕入れはもちろんされているのだが、おそらく、夜営業分はそんなに出ないだろう。足が早いものや在庫になってしまっているものを盛り込んでいただければという気持ちでお願いしたのだが、まさかの上質揃い。コロナ禍でこれほどまでにすごい仕入れをされているとは。大感服だった。
後日伺ったところ、消毒や換気を徹底していたおかげで、お客さんたちの出足にはそれほどに影響は出なかったそうだけれども、市場の卸の方々がご苦労されているのを心配された昌宏さんが、とにかく大量に仕入れて、店の業務用冷蔵庫が常に満杯になっていたほどだったそう。あの当時は、酒場も苦労をしていたが、卸の方々も大変だった。そのことを慮っての仕入れ。"食"という同じ道を歩むもの同士、いろんな想いをそれぞれに抱えていらっしゃったことだろう。それを想像すると、今でも涙を禁じ得ない。
口開け16時半。11時半~13時半(売り切れじまい)のランチ営業を終えて、小休止をしたところで、再び、店は動き始める。
口開けと共に入店するは少し年配の一人男性客。入り口扉目の前の卓に座るとすぐさま、生ビールを注文。と同時に、30代くらいの男女も入店。店入ってすぐに広がる卓スペースの一番奥、レジ前に着席し、瓶ビールと酎ハイ、ぬた盛り合わせを頼まれる。
「いらっしゃいませ」
三代目女将・由香さんと、四代目・佳祐さんが迎え入れている。
20分後くらいに女性一人呑み客がいらっしゃって、店奥の厨房前にあるカウンター席の一番奥、テレビの真下に手慣れた様子で座られる。常連さんのようだ。
「はい、リカさん。いつものでいい?」
返事を待たずに三代目・昌宏さんが瓶ビールをトンと置く。
「ほたるいか盛り合わせをください」
「なかなか止まないね、雨」
「今日、横浜の方に行っていたんだけれどね」
三代目と天気の話題をされながら、レモンサワーも呑み継がれていかれる。
そこへ、新聞片手に年配男性客が一人来店。カウンター席に座るや否や、
「生でいいですか?」
三代目女将が聞く。
この方も常連さんのようだ。刺身とサバ味噌を注文される。そして
「お酒お願いします」
「は~い! お酒2合ね」
何も言わずとも、注文の単位が2合で通るとは、相当なる常連さんだ。
16時50分を回ろうとする頃、30代くらいの男性客が一人来店され、あたしの左隣のカウンター席に座る。
「ボトル、入れられますか?」
「キープボトルね、200本くらいあって管理しきれないから、今、グラスだけでお願いしているの。ごめんね」と三代目女将。
200本もボトルキープがあるんだ!? 全く面識のない方だったにもかかわらずその隣客と思わず顔を見合わせしまった。
17時にアルバイトの女性がいらっしゃって、ますます店の活況が呈していく。
17時10分、年配男性一人客があたしの右隣のカウンター席に座ると同時に、何も注文せずとも、即、瓶ビールが手元に置かれる。
「ほや酢ある?」
「今日はないのよ」
「うどぬたお願いします」
やってきたうどぬたには、旬の魚・ホタルイカも添えられている。こういう細やかさが、「かみや」の凄さなのだ。
「手ぶらできてよ」
三代目女将が、出張のお土産を持参されたお客さんに御礼を言っている。
「山形はいいねぇ。駅前にいい立ち飲み屋があってね」
「新潟もとってもいいですよ」
忙しく働きながらも、常連さんたちとこまめに会話をされる三代目女将。
18時にもなると、卓スペースでは、「お疲れ様で~す!」。宴会が始まっている。ホタルイカと共に旬野菜であるのらぼう菜も楽しまれている宴会客の方々。ちゃんと「かみや」の魅力をご存知だ。 (後編に続く)
