第9回 名作『地球の長い午後』は史上初のレディースSFだった!?

  • 地球の長い午後 (ハヤカワ文庫 SF 224)
  • 『地球の長い午後 (ハヤカワ文庫 SF 224)』
    ブライアン W.オールディス,伊藤 典夫
    早川書房
    924円(税込)
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  • 人生上等! 未来なら変えられる
  • 『人生上等! 未来なら変えられる』
    北尾 トロ
    集英社インターナショナル
    1,980円(税込)
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『地球の長い午後』で私が最初つまずいたのは、椎名SFの呪縛だけではなく、人間のあり方も原因だった。彼らは圧倒的な植物の支配下で、十数名足らずの小さな群れを形成している。「長」という絶対的なリーダーがいて、必ず女性でなければいけない。長の周りにはそれに仕える女性が数名いて、男はたった一人。あとは全員子供。

 不審なのは彼らが血のつながりをもってなさそうなこと。女性はバラバラの出自で、ひとりしかいない男と交わってそれぞれ子供を産んでいるらしい。

 自然の中で小さなグループを作って暮らす人々は現代世界でもまだいる。狩猟採集民やアマゾンの少数民族や遊牧民などだ。でも彼らはたいてい血族を中心とした氏族社会だ。

 血のつながらない女性のグループなんて不自然だよ、現実にいないよと思っていたのだが、「レディース」と考えれば腑に落ちる。メンバーはみんな若い。リリヨーという名前のリーダーが最年長のようだが、せいぜい三十代半ばくらいだろう。他は二十代か十代、それに子どもたち。こういった若者集団が殺すか殺されるかの世界に投げ出されている。厳しい「掟」があり、「長」がそれを守らせる。例えば、子供を作るとき以外は男に触れてはいけない。男は総じて位置が低い。というか種付け用としか考えられていない。女子の世界なのだ。

 栃木のレディースだってそうだ。みんなバラバラの出自である。それが群れを形成している。「長」は当然女子。「掟」も厳しい。覚醒剤や暴力は問題ないのに、「男に媚びを売ってはいけない」というポリシーがあり、前述したように、男の運転するバイクの後ろに乗っただけで、壮絶なリンチを受ける。

 男と付き合うのは自由だが、明美の話を聞くかぎり、恋愛をしているという感じは受けない。単にセックスの相手ぐらいか。それより女子のつながりがはるかに強く、しかもそれは人生を通して続いていくらしい。

 栃木のレディースは他のレディースと戦い、勢力争いをするが、そのときはリーダー同士のタイマン勝負となる。明美は刃物を使うことも辞さない凶暴な人間なので、たいていは相手のリーダーがビビって戦わずに軍門に降る。すると自動的に相手のグループ全体が支配下に入る。全く同じシーンがSF世界のレディース対決でも出てくる。

 どうしてかくも両者は似ているのか。著者のオールディスは実は栃木に住んで英語の先生でもやっていたことがあるんじゃないかなんて思ってしまう。あるいは60年代イギリスにもレディースがいたんだろうか。

 なにより似ているのは登場人物の心理である。栃木レディースの話はムチャクチャ破天荒なのに、物語を読んでいる醍醐味に乏しい。本人たちの「心の揺れ」が感じられないのだ。彼氏が他の女を作って消えたとか、覚醒剤の売人をやってたら警察に逮捕されたという話でも「ちっ、ついてねえな」とか「ざけんなよ!」ぐらいなのである。

 SFレディースも同じだ。物語の冒頭で、グループのいちばん若いメンバー(五歳の子供)が肉食植物に呆気なく食い殺される。そんなときも、他のメンバーはさほどのショックを見せない。何が起きても「なるようになっただけ」が合言葉だ。

 栃木も未来の植物世界もレディースたちは今だけを生きており、「未来」や「外部世界」の感覚を持たない。SF世界ではベンガルボダイジュが全大陸を覆い尽くし、人間たちはそれより外の世界を知らない。栃木レディースも、「将来」を考えないのはもちろん、驚いたことに「栃木」の外に関心を持たない。東京にも興味がない。栃木という巨大単一植物世界に生きているみたいなのだ。

 環境に変化がなく、登場人物も淡々としているのは、読んでいて辛い。物語とは出来事が重要なのではなく「心の揺れ」が肝心なのだ。

 と思ったら、両方のレディース世界にはちゃんと変化が起きるのである。SFの方は、体力の衰えた大人が「天」に登ることになっている。具体的にはツナワタリという巨大な植物性のクモに乗って月へ渡る。行った先はどうなるか本人たちはわからない。

 それはあたかも栃木のレディースが18歳で「引退」を義務づけられているのに似ている。両方ともリーダーが次のリーダーを指名して群れを去る。引退したレディースたちはどこへ行くのか?

 SFレディースは月へ渡ると、ある者は途中で(おそらく紫外線に当たって)死んでしまうが、生き残った者は「変態」する。羽根が生えて「鳥人」になってしまうのだ。

 いっぽう、栃木のレディースは引退後どうなるのか。この本では主人公・明美についてしか詳細は書かれていない。しかし、話の端々から察するに、結婚して普通の家庭に収まる者もいれば、水商売に進む者も大勢いることが察せられる。明美は二度、覚醒剤を売りさばいた罪で刑務所に収監される。

 一昔前の栃木の刑務所が特に酷かったのかもしれないが、宇宙空間の紫外線以上に苛酷な試練がまっていた。規則違反や刑務官への口答えだけで通称「動物園」という懲罰房に入れられる。そこに送り込まれると、一日中、みんなが吠えたり怒鳴ったりしているが敷地の隅にあるので誰も気に留めない。

 明美のような手に負えない輩はさらに強烈な「保護房」に放り込まれる。両手を後ろに縛られたまま何週間か放置されるらしい。手が使えないため、食事は犬のように床に這いつくばって皿を直接なめる。排便も手が使えないから尻を拭けない。「穴」にするだけ。下着もつけてない。裁判傍聴のベテランである著者のトロさんも「まるで映画の『女囚さそり』みたいだ」というふうにただただ驚くのみ。もっとも明美のド根性はすさまじく、出所すると、自分をいじめ抜いた刑務官に復讐するため「魔罹唖」の現役メンバーを引き連れ、刑務所へ押しかける......。

 いやはや、どっちがSFなのかわからない。

 しかし明美にも「変態」のときが着た。二回目の服役のとき獄中出産するのだ。不幸にも子供はとりあげられ、施設に送られたまま、二度と会うことができなくなったが、そのとき「子供に対して恥ずかしい生き方をしたくないという思い(スイッチ)がバーンと入って」、生き方を改めようと決意した。

 女性にとって子供を産んで母になるとは、羽根が生えて鳥人になるのと同じぐらいの衝撃がありうるらしい。そして、彼女は犯罪をおかさずに生きることを決める。今まで全くやったことがない、というより思いつきもしなかったというから、まるで羽根で空を飛ぶぐらい不慣れな体験だったようだ。実際、明美の変わり様は「鳥人」に匹敵する。自分で建設派遣会社を立ち上げるばかりか、行き場を失った元受刑者たちの受け皿になることになるのだ。この本ですごく面白いのは、悪党が心を入れ替えてまっとうな社会人になったという美談では全然ないこと。明美はある意味、レディース(あるいはヤンキー)の価値観を維持したまま、元受刑者が一般社会と折り合いがつけるように調整しようとする。著者のトロさんはそれを「任侠」と呼んでいる。

 いっぽう、月へ渡って鳥人になったSF世界のリリヨーは、月に住む謎めいた「とりこ」という老人たちの計画に従い、カオスの地球に残された子どもたちを月へ連れてくるという計画を開始する。

 このように栃木のレディース(あるいはヤンキー)物語とSF古典名作は途中まで不思議なほどリンクしていくのだが、ある地点から両者は全然ちがう方向へ分かれてしまう。

 栃木のヤンキー世界はむしろ変わらないのだが、SFの方がまるっきり方向性を変えてしまうのだ。なにしろ、リリヨーはフェイドアウトし、リリヨーの群れから追放されたグレンという少年が主人公になる。しかも頭にアミガサダケという高い知性を有したキノコが寄生し、彼はそのキノコの言いなりになってしまうのだ。

 著者のオールディスは一体何を考えて、途中でいきなり方向転換してしまったのだろう。月から大人になった鳥人リリヨーが下りてきて子供たちを助け出すという当初のストーリーを進めたら、栃木のレディース変態ノンフィクションばりの、特殊任侠SFになっていたかもしれないのに。
 
 もしかしたら、著者が男たるゆえんかもしれない。女の鳥人が下りてきても、何をさせたらいいか思いつかなかったのかもしれない。あるいは、やはり男子を主人公に据えたくなったのかもしれない。

 しかし、賢くてずるいキノコに頭を支配されてしまう男子というのは、とてもよくわかる。若いとき、私の周りにもそんな男子がたくさんいた。へんなイデオロギーとか思い込みとかに脳を冒されたやつが。というか、私自身がそうだった。初めてできた彼女とのデートで、匍匐前進でしか進めない洞窟に連れて行ったりしたのも寄生キノコのせいにちがいない。

 昔から今に至るまで、夫や恋人の頭を支配するキノコのために苦労してきた女性は数え切れないほどいるだろう。本書の後半は、グレンとヤトマーという若いカップルのさすらいの旅が続くのに、彼ら+キノコという「三者」の対立の旅でもあるのがほろ苦く共感を呼ぶ。男子中心世界の悲喜劇だ。

 あと、物語の展開には何も影響を与えないものの、「ポンポン」と命名された、知能が低くてひたすら従順な人間とも動物とも言いがたい連中がとても愉快だ。

 持ち前の能天気さで、破滅的な世界を明るくしてくれるポンポン。ヤトマーのことを「サンドイッチ姉さん」と呼ぶのが特に笑える。理由はときどきグレンとヤマトーの二人が重なってセックスするのを見ているから。でもこの世界には「サンドイッチ」なんかないだろう、著者の失敗だよなと思って、ますます笑いがこみ上げる。

 椎名SFの呪縛なんかとっくに忘れている私だった。