第6回 ソ連古典SFのおどろくべき怪作(前編)

  • ドウエル教授の首
  • 『ドウエル教授の首』
    アレクサンドル・ロマノヴィチ ベリャーエフ,隆, 田中
    未知谷
    2,750円(税込)
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 高校生になってからSFを読まなくなり、長らくSF音痴だった私だが、小中学生の頃は決してそんなことはなかった。子供用もしくはジュブナイルのSFは好きで、けっこう読んでいた。今でも忘れられないのは、学校の図書館にあった岩崎書店の「SF少年文庫」全30巻を読破したこと。毎回、「異世界」に浸るのにワクワクしていたものだ。

 中でもいちばん強烈な印象を残しているのは『生きている首』という作品。内容は全く憶えていないのだが、男の頭部だけがデスクの上か何かにのっているカバーイラストが異様だった。たしか、死んだ人間の頭だけを管で機械につなげ、生きながらえさせていたという話だったように記憶する。

 ネットで検索したら、著者はアレクサンドル・ベリャーエフというソ連時代のロシア人作家で、1920年代から40年代にかけて活躍。ソ連SFの幼年期を造った人らしく、「ソ連のジュール・ベルヌ」と呼ばれているとか。おお、そんなに著名かつ古典的な作家だったのか。『生きている首』は原題に忠実に訳せば『ドウエル教授の首』となるらしく、しかも2013年に新訳(田中隆訳、未知谷)が出ていて購入可能ではないか。早速入手して読んでみた。すると、これが度外れた怪作だったのである。

 舞台はフランス、主人公はマリー・ローランという苦学して医師になった若い女性。ケルン教授という高名な科学者の助手として採用されるが、仕事場である研究室に入ってショックで卒倒しそうになる。ガラス板の上に生首がのっていて目がこちらを見つめているのだ。首から下はない。動脈、静脈、気管が管でボンベにつながれているだけ。まさに「生きている首」。

 ケルン教授は死んだ人間の頭だけを最先端の科学技術で生き返らせたのだ。ふつうはそれだけで小説的にはオーケーだが、この作品はもう一ひねりある。実はこの首、ドウエル教授というケルン教授の師匠なのだ。本当に天才科学者だったのはドウエル教授であり、死者の頭だけを蘇生させて維持するという神業を開発したのも彼だった。だが、ドウエル教授は不治の病で死んでしまい、弟子であるケルン教授はドウエル教授の新技術を用いて本人を生き返らせたという。

 マリーは嫌でたまらなかったが、家が貧窮していたため、この「首」の世話という仕事を引き受ける。ケルン教授は首の扱い方を説明し、あるシリンダーを指さし、「このバルブだけは開けていけない。ドウエル教授が死んでしまうから」と厳命する。

 ドウエル教授の首は言葉を話すことはできないが、他人の話は理解できるし、表情もある。マリーはやがてドウエル教授が瞬きで「イエス/ノー」を伝えられることに気づき、コミュニケーションを取り始める。やがて、教授が「シリンダーのバルブを開け」と言っていることを理解する。激しく葛藤するマリーだが教授の首の圧力に屈し、バルブを開けると、シューシューと空気が通る音がして、首が突然喋り始める。実は声帯を震わせるのに十分な空気を送るためのバルブだったのだ。

 首はおどろくべき真相を話す。「喘息の発作を起こし、ケルン君にアドレナリンの注射を打ってもらったら意識を失い、気づいたら首だけになっていた」と。明確ではないものの、どうやらケルン教授は名声欲に突き動かされ、ドウエル教授の研究を我が物にするため、恩師を殺害したらしいのだ。法月綸太郎に『生首に聞いてみろ』というミステリ作品があるが、そのタイトル通りの内容だ。

 それだけではない。ドウエル教授が目指していたのは生首保存ではなく、首を別の人間の体に接続し再生させることだった。ケルン教授はその研究成果を盗んで、「世界初の首のつけ替え」を学会で発表したかった。ところが、研究はまだ完成に至っておらず、ケルン教授の頭脳は師匠のそれに遠く及ばない。自力だけでは不可能だから、ドウエル教授のアドバイスが必要。だから、いったん殺してから、首だけを蘇生させたというわけ。これは殺人かどうかわからないが(首だけは生き返っているから)、本書では「殺人」と見なしている。

 問題はドウエル教授がどうやってケルン教授に協力するかということ。なにしろ、自分を殺して(たぶん)技術を奪った張本人なのだ。ケルン教授はドウエル教授の首に電流を流したり覚醒剤を投入させたりといった悪魔のような拷問を加え、「私の研究に協力しろ」と強要する。

 しかしドウエル教授は頑として拒否。しかたなく、ケルン教授はドウエル教授の前で自力で実験を開始するが、いくつものミスをしでかす。ドウエル教授はたまらず、間違いを指摘してしまい、結局実験の指導を始めることになった。

 話を聞いたマリーは「ケルンはとんでもないやつ。あいつの悪事を暴いてやる!(意訳)」と激怒するが、意外にもドウエル教授自身から制止される。

 実はドウエル教授は研究欲の権化。そしてケルン教授は悪い奴だし、頭もよくないが、外科医としての才能は天才的。「自分の最後の仕事をやり遂げたい」という思いから、一緒に研究を推進することを決意してしまうのだ。

 かくして名声欲の塊である天才外科医と研究の鬼である天才研究者は殺人の加害者・被害者にもかかわらず、「人間の首のつけ替え」のためにコンビを組んでしまった。若い女性の助手を巻き込んで......。

 なんだろう、この倒錯した猟奇的な展開は! ベリャーエフは「ソ連のジュール・ベルヌ」と言われているそうだが、「ソ連の江戸川乱歩」と呼んだ方がいいんじゃないか。

 基本設定でこれほどユニークな小説はSF以外でもお目にかかったことがない。

 この奇想、なんと著者本人の体験に由来するという。ソ連SFの幼年期おそるべしだ。(以下、次回)