第8回 椎名SFの呪縛も吹っ飛ぶ「栃木の長い午後」

  • 地球の長い午後 (ハヤカワ文庫 SF 224)
  • 『地球の長い午後 (ハヤカワ文庫 SF 224)』
    ブライアン W.オールディス,伊藤 典夫
    早川書房
    924円(税込)
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  • 新装版 武装島田倉庫 (小学館文庫)
  • 『新装版 武装島田倉庫 (小学館文庫)』
    椎名 誠
    小学館
    524円(税込)
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  • 人生上等! 未来なら変えられる
  • 『人生上等! 未来なら変えられる』
    北尾 トロ
    集英社インターナショナル
    1,980円(税込)
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 古典SFを読んでいると言うと、ひじょうに多くの人に勧められるのがブライアン・W・オールディスの『地球の長い午後』(伊藤典夫訳、ハヤカワ文庫SF)だ。どんなSFオールタイムベスト100にも上位にランクインしているし、30年前でも現在でも全く同じように高評価されているのがすごい。ある意味、レムの『ソラリス』みたいな"絶対的定番"らしい。

 私もとっくに購入して読む準備はできていた。だが、何度トライしても序盤で挫折してしまう。設定も文章も文句のつけようがないのに。

 舞台はおそらく今から何千年、何万年も経過した未来の地球。地球が永遠に太陽に同じ面だけ向けているようになったため、日が当たる部分は温室と化し、植物が支配する世界となった。動物は大半が死に絶え、生き残っているのは四種の虫と人間のみ。その人間は、現在の世界に棲むか弱い小動物さながらで、進化を遂げた肉食植物たちの餌食にならないよう逃げ惑う生活を送っている。一つ目で口をもつ巨大なヒルのような「蛭葛」、大きな葉っぱの裏に潜み、長い二列の歯で獲物をぱっくりと挟んで食べる「日陰罠」、太陽光線を放熱武器に変える「火壺」といった奇妙で恐ろしい植物たちが次から次へと襲ってくる。

 舞台の異世界ジャングルをそのまま映し出すかのように、文章は高密度で無駄がなく、伏線らしきものが至るところに張り巡らされている。すべて私好みである。

 では一体何がいけないのか。理由は簡単。椎名誠のSF三部作そっくりだからだ。私はSF音痴時代に、なぜか椎名さんの『アド・バード』(集英社文庫)『水域』(講談社文庫)『武装島田倉庫』(小学館文庫)を読み、驚嘆した。それまで読んできた小説とはまったく異なる世界観、名前も生態も不思議きわまりない動植物、そして諦念と青春が入り交じった登場人物たちの情念にやられたのだ。さらに私が世界の辺境旅を重ねていくと、これらの椎名初期SF三部作が現実の辺境世界とひじょうにリンクしていることにも気づき、なおさら興奮したものである。それについて書評エッセイも書いている。

 ここまで書けばSFファンにはもう説明不要だろうが、『地球の長い午後』(以下、「本書」)を読もうとすると、「あー、椎名誠そっくり」と思ってしまうのだ。世界観や植物の名称や生態だけでなく、登場人物の心理描写にも似たものを感じる。しかも、比べると椎名SFの方が魅力的だ。現実は真逆で、椎名さんが本書に多大なインスピレーションを受けてこれら三部作を書いたと知ってたまげたのはこの連載が始まってからだ(なにしろ連載開始当初はアーサー・C・クラーク『幼年期の終り』と本書の区別がつかなかった)。

 なんというか、今の若いプロレスファンがユーチューブで若き日のアントニオ猪木を見て「オカダ・カズチカに似てる!でもオカダの方がもっとかっこいいけど」と思うとか、町田康のファンが太宰治を読んで、「ノリがすごく似てるけど、もっとイタイ」と思うような感じか。でも、そもそも世代がちがう両者を比べても意味はない。だいたい次世代の選手(作家)は前の世代から多くのヒントを得ているのだ。

 本書と椎名SFを重ねてしまうこの悪癖をなんとか振り払う方法はないのか。考えた結果、環境を変えることにした。たまたま沖縄の宮古島に滞在する予定ができたので、そのときに読むことにした。熱帯植物世界の話は亜熱帯の自然豊かな南の島にフィットするだろうし、椎名SFとも距離がとれるにちがいない。

 そう思って宮古島で本書を読んだら、なんとするする読めた。作戦大成功!なわけでは全然なかった。別の本と重ね合わせてしまった結果だからだ。

 本当に全くの偶然だが、直前に読んだのは北尾トロ著『人生上等! 未来なら変えられる』(集英社インターナショナル)だった。SFでもなければ小説ですらない。少女時代、悪のかぎりを尽くした女性が刑務所で服役後に、自分で会社を立ち上げ、元服役囚を雇用して彼らのために生きるというジェットコースター的人生を描いた人物ルポだ。しかし、これがものすごい。

 主人公の通称「明美」は1978年、栃木市生まれ。家族から特にひどい虐待を受けていたわけではないが、両親の仲が悪く、半ばネグレクト状態で育った。「淋しさ」から逃れるため、中学のときには悪の道へ入ってまっしぐら。

 不良仲間と夜の街へ繰り出し、シンナー、ケンカ、セックスに明け暮れた。15歳で水商売デビューし、覚醒剤の常習者と化す。ヤクザに捕まって監禁され覚醒剤を打たれて「性奴隷」(!)となったこともあるというから絶句する。無免許運転、窃盗、器物破損、傷害......警察に捕まってないだけで、本人が犯した罪も数え切れない。

 しかし明美が本領を発揮するのは女子暴走族、いわゆる「レディース」に参加してから。頭の良さと凶暴性からめきめき頭角を現すも、次のリーダーに選ばれなかったことが不満で、脱会して新たなグループ「魔罹唖」を立ち上げた。なにしろ明美が強く統率力抜群なため、魔罹唖はたちまち栃木一帯を支配するレディースとなる。

 面白いのは(というかオソロシイのだけど)、あくまで「女子」の世界であること。メンバーが女子なのは当然として、男には絶対に媚びを売らないがレディースの掟。なにしろ、男のバイクの後ろに乗っただけで、学校の砂場で裸にして、水をぶっかけたり局部にモップや棒を突っ込んだりという凄惨なリンチにあうのだ。

 栃木のレディースにとって、世界は危険に満ちている。シャブ中毒、武器による抗争、バイクの事故、ヤクザに売られる、警察に逮捕される......。

 いったい何の話なんだよと思われそうだが、この栃木のレディースの異常な世界を読んだあとで、本書(『地球の長い午後』です、念のため)を読み出すと、「ああ、こっちもレディースなんだ!」とあっさり納得してしまい、作品世界に没入できたのだ。逆に言えば、栃木のレディースが一般人からは想像できないような異常な世界に生きていて、『栃木の長い午後』と名づけたくなる。では何がそんなに似ているのか。(以下、次回)