第7話 予防接種

 寅雄は毎晩私の部屋で寝ている。なんなら昼寝だってしている。この現状を、寅雄に首輪をつけた人は一体どう考えているのだろう。その人にとって寅雄は昼間のおやつをもらいに来るだけの猫になっているのだが......。首輪をしたのだからちゃんと飼いたいと思ってるのに、寄り付かなくなっていて寂しく思っているとか? ......わからない。
 基本的に島の人たちの考え方は、都会の人たちに比べると変化が遅い。犬や猫の飼い方についても、都会ならば家と外を行き来させることを是とする人はごく少数というかほぼいないのだろうが、島では野良猫も非常に多いし、高齢者になればなるほど、昔ながらの飼い方でいいと思っているように思える。同居家族の影響など個人差があるだろうし、一人一人聞いたことないからわからないけど。その後獣医の先生と話をする機会があり聞いてみたところ、大体半々ではないかという答えが返ってきて驚いた。思ったより多いのかも。
 考えた末に寅雄の首輪に手紙をつけることにした。うちで夜寝ていることと、予防接種や血液検査をしたいと思っていることを書き、ご連絡をお待ちしていますと連絡先を書いた。薬がダブるのは猫にも人にも良くないだろう。共同で飼うことができるのかはなんともわからないが、まずはお相手の方がどう思っているのかを知る必要がある。
 本当は去勢手術も考えているのだが、そこまでは紙も小さいし書くのは控えた。あんまり小さい文字でたくさん書くと読んでくれないかもしれないし。手紙を小さく折りたたみ、首輪の内側に沿わせ、マスキングテープでグルグル巻きにした。伝書鳩ならぬ、伝書猫である。行ってこい、寅雄。
 
 夕方、私がヤギ舎から戻ってくると寅雄がするりと現れ、にゃ、あ・あ・あっと軽トラに擦り寄ってきた。よしよしどうかな? ちょっとワクワクする。
 手紙はついたままだ。今日は山で遊んでたのかもしれん。まあそう急かずともいいか。
 ところが。待てども暮らせども、手紙はズーーーっとそのまんま。もしかして目があんまり良くない高齢の方なんだろうか。でも首輪をさせたということは至近距離で触れ合っていることになるし、近くで見たらすぐに首輪の変化が分かりそうなものなんだが。そのためにマスキングテープを貼ったのに。月日はどんどん経っていく。
 予防接種をするなら早い方がいいのに。もううちの子でいいか......。一ヶ月近く待って思い切って首輪を取ってみた。半月待ってみたが、今度は新しい首輪をつけてくることもなかった。よし、うちの子確定。もうあとで揉めたら揉めただ。
 さあ寅雄を動物病院に連れて行こう。


 連行するためのハードキャリーはすでに買ってあった。まずは血液検査をして、予防接種だ。しかし予約をしても寅雄がその時間に家にいてくれるとは限らないんだよな。なにしろ風とともにふらり現れて風のとともに去っていく猫だから。半野良飼いの先達たちは一体どうやってこの予約との相性の悪さを乗り越えてるのだろう。
 考えた末に午前の一番早い時間に予約をとり、夜に寅雄が帰ってきたところで猫ドアをそっと閉じた。一晩だけ室内猫である。気づいているのかいないのか、甘えてから布団の上に寝そべって毛繕いをする寅雄。
 翌朝早く、寅雄の鳴き声で起こされた。異変に気づいたのだ。なあなあなあ、なんでドアが開かないんや? 俺シッコしに外に出たいんだが。私を見つめて抗議する。まあ、まあ、まあ、チュールでも舐めよか、寅......。と宥めすかして時間が経つのをジリジリと待つ。そろそろいいか。頃合いを見て企みに気づかれないようにふわっと寅雄を抱き上げる。
 獣医の先生からは半野良の子で爪も切っていないなら、洗濯ネットに入れると大人しくなるので入れてきてくださいと言われたので、ポカンとしている寅雄を素早くササッとネット袋に入れてチャックを閉めて、キャリーに突っ込んだ。よしうまくいった......。ここで取り逃してしまうともう一度捕まえるのがめちゃくちゃ大変になるので一安心だ。
 キャリーは全面と上面に開閉扉がある。つまみを捻り出して引くと本体と扉を繋ぐ引っ掛けが外れて開く。反対の動作でロックされる。何回も予行練習したのに、蓋をロックできずに繰り返す。寅雄はうにーと鳴いてもそついているが絶叫ではない。これでネット袋に入ってなかったらそのまま蓋に掴みかかったてきたかもしれない。入れて良かった。焦らずに......よしできた。片手で持てるけれども結構重い。持ち運びにはショルダーとリュックになるものの方がいいのかもしれないが、ネット上では強度がわからないし寅雄が破きそうだからハードキャリーにしたのだ。だけどそう言えば寅雄って何キロあるんだろう。測ったことなったな。
 軽トラックの助手席にキャリーを置いて、さあ出発だ。寅雄は運転している間中ずうっと大声で叫び続けている。気の毒になってくるが、仕方がないのよ寅雄。堪えてください。病院に着いてキャリーの中を覗くと袋から顔を出している。んん? 受付を済ませて順番を待つ間も寅雄は叫ぶ。そうして獣医の先生と対面させる時にはすでに洗濯ネットを爪で引き裂いて全身が袋の外に出ていた。
 いやあの袋に入れたんですが......。先生の顔が曇る。
 とりあえず私が押さえますと言って抱き上げて診察台の上に載せる。不思議なことに寅雄は袋を裂いて嫌がったのに、抱いて押さえることは流血沙汰になる程凶暴にはならない。診察台は体重計になっているので計測のため手を1秒くらい離す必要があったのだが、大人しくしている。そして痛いであろう採血も、割とすんなりとさせてくれた。
 子供の時に飼っていた黒柴犬オグの方がよっぽどエグい暴れ方をした。オグは毎年の狂犬病予防接種の日に指定の場所に連れていくことがどうしてもできず、家族の誰も取り押さえることもできず、散々手こずらせた挙句に辣腕の先生がいる動物病院にお願いすることになったのだ。それに比べたら私一人で収まる寅雄なんか可愛いものだ。
 ちなみにキンキンに研いだ爪をずらりとつけている状態なのに、寅雄は全身シャンプーも大丈夫だった。大きなバケツに抱き入れてお湯を体に掛けると、嫌がることは嫌がるし鳴いたりもするのだが、なぜかそのままシャンプーまでさせる。トリミングサロンの動画を参考にした抱きかただからだろうか。
 ただし全身くまなく泡立てて流し始めるくらいの時間は大丈夫だが、流石に流し切るまでは我慢できない。バケツから乗り出し蓋をしたバスタブの上に逃げ出す。せっかく飼い主が服を濡らさずに洗えているのにここで抱き直したりしてTシャツずぶ濡れとなってしまうのだった。
 話を診察台に押さえつけた状態の寅雄に戻す。獣医の先生からは、保護したらすぐに連れてきていただくのが一番なのですが......。もう感染してしまっている可能性もあるかも取れませんよ?と渋い顔をされた。それはそうなんですけど、所有権がはっきりしないのでどうにも仕方がなかったんです。うううう。
 血液検査の結果は全て陰性となり、ワクチンも接種できた。やれやれ一安心だ。

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