【今週はこれを読め! SF編】ズレながら重なりあういくつもの可能性世界
文=牧眞司
クリストファー・プリーストは、もはやSF作家というより現代英文学を代表する小説家のひとりといったほうがいいだろう。とはいえ、SFの道具箱(アイデアやガジェット)を顧みなくなった後期のJ・G・バラードとは異なり、プリーストは外形的に見てSFと呼べる作品を書きつづけている。ただ、その扱いがジャンルSFとは異なり、現代文学のテーマや技法によっているのだ。『隣接界』は、そのプリーストの特長がいかんなく発揮された傑作である。
プリーストは世界の外に立って設定を説明したりせず、その世界内の限定された視点で語っていく。第一部「グレート・ブリテン・イスラム共和国(IRGB)」は、時代が近未来、主人公は写真家ティボー・タラントである。彼はトルコから船でイギリスへ戻ってきたところだ。リンカンシャーにあるウォーンズ・ファームと呼ばれる海外救援局(OOR)の施設で、任務報告の会議に出席せよとの指示を受け、役人がつきそっている(監視している?)ため、自由な行動ができない。いわれるがまま人員運搬車(おそらく軍務用)に乗せられ、移動と宿泊を繰り返す。
そのうちにわかってくるのだが、この未来ではひとが自分の意志で自由に旅行ができる状況ではないようなのだ。かたや異常気象のため人間が住める地域が限定されていること、もういっぽうで戦争状態にあるらしいこと。「らしい」と曖昧ないいかたしかできないのは、視点人物であるティボーが事態を把握していないからだ。彼に限ったことではなく、ほとんどの人間が世界でなにが起こっているかを知らない。
たとえば、ティボーがイギリスに戻ってきた直後に、ロンドンが未知の兵器によってテロ攻撃されるが、その情報も断片的に伝わってくるばかりだ。奇妙なことにその爆破の跡は正三角形をしていた。
混乱にあるのはイギリスだけではない。世界全体が内戦状態なのだ。そもそもティボーがトルコへ渡っていたのも、野戦病院で勤務する看護師のメラニーに同行してのことであり、そうでなければ民間人に渡航許可はおりなかった。その彼女は現地でテロに巻きこまれて死亡した。しかし、遺体を確認したわけではない。爆破によって一帯はすっかり焼失したからだ。こちらも使われたのは未知の兵器で、焼け跡は正三角形だった。
ティボーが出逢う人物のなかで多少なりとも状況を把握しているようなのは、人員運搬車に乗りあわせた女だけだ。彼女は防衛省に属しているらしいが、詳しいことは何も明かさない。自分を呼ぶならフローと呼べといい、「ウォーンズ・ファームをパスして、わたしといっしょに分権的政府のあるハルへこないか」と、やや高圧的な態度でティボーにもちかける。けっきょく、彼はその誘いに乗らないのだが、フローとのあいだに奇妙なつながりができる。フローは会話のなかで、ティボーが以前に理論物理学者のティース・リートフェルトに会っているはずだというのだが、ティボー自身にその記憶はない。
多くの謎をはらんだまま第一部は幕を閉じ、第二部「獣たちの道(ラ・リュ・ディ・ベト)」はまったく舞台が変わる。第一次大戦中、イングランドから出航した船がフランスへ到着しようというところだ。主人公は奇術師のトム。船のなかで博学の中年男バートと出逢って意気投合するのだが、そのバートというのが......。おっと、それは読んでのお楽しみ。
トムが渡仏したのは、そこで航空機をまるごと見えなくする方法を考案するように求められていたからだ。ドイツ軍との空戦を有利にするためである。トムの試行錯誤、若い軍人たちのやりとり、そしてバートとの再会。この第二部だけを取りだして読むと、しゃれた短篇小説の味わいだ。
しかし、第三部、第四部......と読み進むにつれて、複雑な因果で『隣接界』全体が構成されていることが見えてくる。これはいくつもの分岐した世界の物語であって、たんに分岐・平行するばかりではなく、地理的にも時間的にもズレながら細部では重なりあっているのだ。近未来の写真家ティボー、第一次大戦のさなかにいる奇術師トム、第二次大戦中にイギリス空軍基地にいた一等航空整備兵マイク・トーランス、多島海(そうプリーストの連作《ドリーム・アーキペラゴ》もこの作品の舞台のひとつなのだ)の島プラチョウスを旅するトマク・タラント......。彼らはひとつの人格の分身というよりも互いが互いの木霊や影のようであり、ときに別な自分が残した痕跡にふれ、自己同一性が危うくなることすらある。
フィリップ・K・ディックが描いた強迫観念的な現実崩壊ではなく、プリーストのそれは記憶の揺らぎや夢のなかへ落ちていく感覚に近い。また、『隣接界』は中心人物であるティボー(およびその木霊たち)の視点だけではなく、別な角度から語られるエピソードもあって、より立体的に世界が立ちあがる。
さて、『隣接界』をSFのロジックで読むなら、いちおうリートフェルト教授の摂動隣接場理論によって生みだされた兵器という説明はある。しかし、分岐はこの兵器がもたらしたというより、もともと複数の可能性の束のようにして世界はあったのだろう。読者が受けとる印象は、ふたつの可能性世界が対峙・干渉する『双生児』(この作品では分岐の「要因」はいっさいふれられていない)と変わりない。
古沢嘉通さんが「訳者あとがき」で指摘しているとおり、『隣接界』はプリースト愛読者にはおなじみのモチーフが数多く盛りこまれた集大成のような作品だが、ぼくがいちばんに思い起こしたのは初期の傑作短篇「限りなき夏」である。「限りなき夏」は、鮮やかな印象はいささかも変わらぬのに、手が触れられない存在となってしまった恋人を憧憬しつづけ、ついに至高のクライマックスを迎えるロマンチックSFの極北だった。『隣接界』でティボー・タラントは、トルコで亡くした妻メラニーを思いつづけている。同じ喪失感がほかのエピソードでも反復される。ふつうなら行き場のないその思いだが、隣接するいずれかの可能性世界ならば到達しうるかもしれない。
(牧眞司)