【今週はこれを読め! SF編】マイノリティがマッチョを懲らしめる痛快ダイムノヴェル
文=牧眞司
ときは十九世紀後半。飛行船が行き交い、甲冑型の巨大な蒸気機械が闊歩する港町ラピッド・シティはゴールドラッシュに湧いていた。
と、設定だけ書きぬくと、いかにもスチームパンクだが、物語の味わいはむしろ古典的な冒険メロドラマだ。邦題は『スチーム・ガール』だが、原題はKaren Memory。直訳すれば『カレンの追想』あるいは『カレンの日記』である。カレンというのは、この物語の語り手にして主人公のカレン・メメリー(Karen Memery)。本人が「MemoryのoをeにしてMemery」と自己紹介をする。
こうした綴りや言葉に対するちょっとしたコメントがときおり挟まれるのは、カレンが本好きだからだ。といっても、いわゆる文学少女ではない。生活に追われる味気ない日常のなか、一服の慰めとして娯楽小説を読むのである。カレンはモンシェリという娼館で働く十六歳の売春婦なのだ。モンシェリは女主人マダム・ダムナブル(彼女自身が元売春婦である)の統制のもと、それなりの労働条件と客筋を保っている。また、ここでは生物的性は男だが本人の意識は女性であるフランシーナも仕事仲間として平等に扱われているなど、寛容な空気がある。そんな環境のなかで、カレンもそう辛い思いをしているわけではない。ただ、しあわせだった子ども時代、両親が健在で、大好きな愛馬と暮らしていた農場が忘れられないのだ。
ラピッド・シティには、モンシェリ以外にも多くの娼館がある。たいていは陋劣な環境で、売春婦を人間扱いしていない。ある日、そのひとつピーター・バンドルが経営する宿からインド人の少女プリヤが、中国出身の女性アウトローであるメリー・リーともに、モンシェリへと逃げこんでくる。彼女たちをを追ってバンドルが乗りこんでくるが、マダムは一歩も引かずふたりを守り通す。
このあたりまで読むと、物語の構図がハッキリと見えてくる。いっぽうに搾取的・差別的・権力的なバンドルに代表されるマッチョ男性がおり、もういっぽうに多様性を受け入れ互恵的な社会的弱者たちがいる。このあいだの抗争だ。
ただし、カレンとプリヤの関係は、たんに弱者同士の連帯を越えている。お互い認めあい友情が生まれたふたりは、マダムの忠告も聞かずに、バンドルの娼館からプリヤの妹アーシニーを強引な手段で救出する。これによって、バンドルとの確執がいっそう深まってしまう。それと同時期に、町に娼婦ばかりを狙う殺人鬼が跋扈しはじめる。正体不明だが、その犯人とバンドルがつながっているのではないかという疑念も高まっていく。殺人鬼を追って市外からやってきた黒人副保安官バス・リーヴズと、プリヤは親しくなる。リーヴズの助手を務める民警トモアトゥーアはコマンチェ族だ。
バンドルはさらに権力を握ろうと次の市長選に出馬する計画を立てている。そのうえ、人間の心を操る不思議な機械を自宅に備えている。とくに相手が酒に酔っているときに、その効果は絶大だ。あれを止めなければ、町はバンドルに牛耳られてしまう。
カレンたちはなんとかバンドルの尻尾を掴もうとするのだが、敵のガードは固い。逆にモンシェリに危機が迫ってくる。館が放火されたのだ。カレンは仲間を先に逃がそうとして自分が逃げ遅れ、火に巻かれてしまう。絶体絶命のピンチ!
そのとき部屋の隅にあったシンガー・ミシンが目についた。仕立てに用いる機械だが、水力/ディーゼル式のパワーアシスト機構で、甲冑式の外殻にひとが入って布の裁断・裁縫・アイロンがけをする仕組みになっている。重量五百キロ。これで突進すれば、燃え盛る壁をぶち抜いて脱出することができるかも。
こんなふうにカレンは何度もピンチに陥り、必死の努力と工夫によってそれをくぐり抜ける。その繰り返しで、次第にバンドルの本丸へと迫っていく。冒険小説の起伏としてはいささか一本調子なのだが、まあ、それはしょうがない。カレンは勇気と仲間への愛情以外はなにも持ち合わせていないのだから。
そして、なによりも、カレンが日頃読んでいるのはダイムノヴェルなのだ。パルプマガジンの前身である通俗読み物なのだ。スチームパンクの源流のひとつとされる《フランク・リード・ライブラリー》も、ダイムノヴェルのシリーズとして発表されたことは、SFファンならご存知だろう。主人公が毎回ピンチに陥り、そこから脱出するという繰り返しパターンは、まさにダイムノヴェルの血筋だ。
(牧眞司)