【今週はこれを読め! SF編】美のユートピアで繰り広げられる人間模様

文=牧眞司

  • 不見【みず】の月 博物館惑星2
  • 『不見【みず】の月 博物館惑星2』
    菅 浩江,十日町たけひろ
    早川書房
    1,770円(税込)
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『永遠の森 博物館惑星』の十九年ぶりの続篇。 

 地球の衛星軌道上、月の対蹠位置のラグランジュ点に浮かぶ〈アフロディーテ〉は、オーストラリア大陸ほどの表面積に既知宇宙のあらゆる美を収集・研究する博物館惑星だった。ここに警備担当として新しく赴任した兵藤健を主人公とした、6篇のエピソードが収録されている。

 いずれのエピソードにおいても、美をめぐる主題と併走して、広義のミステリの展開がある。犯罪もしくはそれに近いトラブルが描かれるが、事態を引きおこした人物をたんに悪人として扱うのではなく、その背景にある複雑な心情へと接近するように物語が進む。人間ドラマとして完成度が高い。

 最初のエピソード「黒い四角形」では、書家として出発し、墨一色の芸術作品で一世を風靡した大家・楊偉、その弟子であり容姿の端麗さも手伝ってファンを獲得しつつあるショーン・ルース、ショーンに入れこんで派手なプロモーションを盛りたてようとしている画商のマリオ・リッツォ、この三人の微妙な関係が緊張感をもたらす。〈アフロディーテ〉で催される展覧会「インタラクティブ・アートの世界」では、引退宣言をしたばかりの楊偉の畢生の作品「黒い四角形」が出品される。そちらにばかり話題をさらわれてなるかとばかり、マリオはショーンがスピーチをすると喧伝し客を誘導する。警備をしている健にしてみれば、一箇所で人が過密になるのは危険なことだ。その場で事態を収拾させようとするのだが、焼け石に水で、人だかりは込むばかり。

 そして、楊偉は「黒い四角形」の展示にある仕掛けをしていた。それに気づいたショーンが意外な行動に出る。ここで物語が大きく転調する。あまりに事態が急に動くため、健は終始、後手後手に回るはめになるのだが、結末では、芸術的には師に及ばぬ二流芸術家と思われていたショーンの胸中、そして名声と金儲けしか眼中にないように見えたマリオの本当の思惑が明らかになる。

 ふたつめのエピソード「お開きはまだ」は、辛辣なミュージカル評論家アイリス・キャメロンをめぐる物語だ。アイリスは十五歳で失明し、そのハンディキャップを補ってあまりあるほど鑑賞眼を鍛えあげた。しかし、わずかなミスさえ激しく指弾する気負った劇評は、多くの反発を集めてしまう。彼女が求めていたものは何なのか?

 その次の「手回しオルガン」は、少年時代に地球から〈アフロディーテ〉へ渡り、人気画家ピエール・ファロの絵画のモデルになった、手回しオルガン弾きエミリオの物語だ。いまは老人となったエミリオの手元には、絵画に描かれた手回しオルガンが、現役の楽器として残っている。しかし、これは盗品だった。もう時効はとっくにすぎているが、オルガン工房が取り戻そうと脅迫まがいの手段で圧力をかけてくる。エミリオ自身が盗んだわけではない。元々の盗難には、どうやら兵藤丈次が絡んでいるらしい。健の叔父だ。

 健と丈次のつながりは、のちのエピソードにも絡んでくる。丈次は詐欺師だが義賊的なところもあって、一筋縄ではいかない人物である。

「手回しオルガン」では、盗品問題だけではなく、エミリオの手回しオルガンの美術的価値が取り沙汰される。〈アフロディーテ〉としての立場としては、年代物の手回しオルガンそのものが工芸品として価値があり、保護剤で処置をして収蔵すべきなのだ。しかし、エミリオ爺さんはたとえ劣化しても、楽器は弾くことに意味があると言う。

 これにつづく「オパールと詐欺師」では、宝石採掘家ライオネルと元詐欺師カスペルの友情が描かれる。二人はすっかり意気投合しているように見えるが、カスペルはライオネルを騙すために近づいているのか? そして、ライオネルは、長いこと待たせている恋人が地球にいた。このエピソードも「黒い四角形」同様、終盤で意外な人間模様が浮き彫りになる。

 五つ目のエピソード「白鳥広場にて」には、新式のオブジェ〈自律粘土(オートノマス・クレイ)〉が登場する。鑑賞者はこれに対して何をしてもよく、その刺激に内蔵AIが反応してフォルムが生成される。ひとびとはしだいに悪ノリをして、オブジェは奇怪なかたちへ変わっていく。健は倒れたら危険だと警告するが、オブジェの製作者であるワヒドは一向に気に掛ける様子もない。果たして、これは美術と呼べるものなのか?

 締めくくりの「不見(みず)の月」は、親子の葛藤の物語だ。晩年を〈アフロディーテ〉ですごした画家、吉村輔(たすく)が残した作品「不見の月 #十八」は、いわくつきだった。かつて盗難に遭い、バランスの悪い加筆をされて戻された。元の絵は月を主題としていたが、その月に差しのべるように無骨な片腕が描き加えられていたのだ。しかも、その加筆部分がレリーフのように盛りあがっている。一説にはその加筆をしたのは、輔自身だとも言われていた。死の間際、輔はその絵を焼こうとしたとも伝えられる。

 輔には娘がふたりいた。輔にとって自慢の次女は、科学者として月にある研究施設を拠点として大活躍するが夭折してしまう。いっぽう、長女は芸術の道に進むが、輔は彼女の作品をまったくといってよいほど評価しなかった。いまは、この長女が「不見の月 #十八」の所有者だ。彼女はこの絵画の鑑定を依頼すべく、〈アフロディーテ〉を訪れていたが、そこで暴漢に襲われてしまう。さいわい、同行していた学芸員、尚美・シャハムに助けられて無事だった。どうやら「不見の月 #十八」には、なんらかの秘密が隠されているようだ。

 紹介が遅れたが、尚美は『不見の月』を通じてのメイン・キャラクターであり、健とは好き勝手に言いあう仲である(そして、たいてい健がやりこめられる)。〈アフロディーテ〉のデータベース・コンピュータ〈アポロン〉に直接接続し、美に精通したエキスパートでもある。

 健もまたコンピュータに直接接続している。彼が接続しているのは、国際警察機構の〈ガーディアン・ゴッド〉から派生した新システム〈ダイク〉である。〈ダイク〉は情動記録型データベースであり、さまざまな人間の実際のふるまいをデータとして蓄積することで、人間の感情の働きや心理の機微を学んでいく。〈アポロン〉もまた、美に関するデータについて、同じようなことをしている情動記録型データベースである。

 こうした設定が、この作品の大きな魅力である。つまり、美もそうだし、人間のつながりもそうだが、明確に線を引いて論理化しつくせるものではない。それを、SFという理屈っぽい枠組みのなかでいかに扱うか。ロジックと人間感情とを物語のなかで融和する、クッションとして〈ダイク〉や〈アポロン〉がある。

 もうひとつ注目すべきは、この作品に描かれる未来の美術の方向性である。「黒い四角形」のインタラクティブ・アートもそうだったが、「白鳥広場にて」でも自律粘土の美術的価値をめぐって議論が繰り広げられる。まず、マルセル・デュシャンの「泉」に遡って、どんなものでも作品である証明としてサインが施された時点で、美として扱うという考えかたが確認される。さらに、美とは差しだされた実体そのものではなく、コンセプトがしっかりとあれば何でもかまわないのだという発想が出てくる。そこから進んで、〈アフロディーテ〉の時代には、新素材や新製品に込められた人類の叡智を愛でる〈新物質主義(ネオ・マテリアリズム)〉が隆盛していた。

 美を担う物体からコンセプトへ。コンセプトを先鋭化させることで、新しい物体へ。その新しい物体は、かつての物体とは異なり、そのモノ性にコンセプトを内包したもの----というわけだ。かつて発明小説だったSFが、洗練されたコンセプトのスペキュラティブ・フィクションになり、しかし、新しい波を経て、ふたたびアイデア=ガジェット系の魅力を発現させていく。その軌跡と同型だ。そんなふうに見たてるのは、牽強付会だろうか。

(牧眞司)

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