【今週はこれを読め! SF編】使役される死者、目的地のない船旅

文=牧眞司

  • その昔、N市では
  • 『その昔、N市では』
    マリー・ルイーゼ・カシュニッツ,酒寄 進一
    東京創元社
    2,200円(税込)
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 カシュニッツはドイツの作家。第二次大戦後に本格的な作家活動をはじめ、70年代半ばまで作品を発表した。本書は、彼女が遺した短篇のなかから、十五篇をよりすぐった日本オリジナル短篇集。

 表題作は、末期の病人に特殊な処置を施すことによって、死後に単調な労働(普通の人間がやりたがらない)の担い手となる。死者に生前の記憶はなく、外見も変わってしまう。物語中では「灰色の者たち」と表現されている。

「幽霊」は、ロンドンを訪問中の夫婦が、偶然に若い兄妹と知りあい、彼らの自宅へと招かれる。気がかりなことがひとつ。この兄妹はたしかに見覚えがある、だがどこで会ったのかはまったく思いだせないのだ。

 この二作のように現実離れした出来事が起こる作品もあれば、はっきりとした怪異はなく、妄想や異常心理と解釈できる作品もある。しかし、その境は判然としない。いわゆる「奇妙な味」だが、じわじわ不安が広がる感じが独特だ。

「船の話」は、中年女性ヴィオーラが船を乗り間違え、停泊地がないまま彷徨うはめになる(しかし船の乗員はそれが当然という素振りだ)。その過程が、兄ドン・ミゲルに宛てた手紙で伝えられる。しかし、手紙がどのように届いたかがわからない。

「いいですよ、わたしの天使」は、無害そうな隣人に日常が侵蝕されていく。わかっているのに食いとめられない。ヒュー・ウォルポール「銀の仮面」に匹敵する厭な話。

(牧眞司)

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