【今週はこれを読め! SF編】増殖する兎、他人の夢、膿んだ歯茎

文=牧眞司

 ナバロは現代スペインの作家。2010年に英国の文芸誌〈グランタ〉が選ぶ「三十五歳以下のスペイン語圏作家ベスト22」に選出された注目株である。本書は19年刊行の第一短篇集。収録されている十一篇すべてが、なんらかの幻想性を備えた作品である。

 表題作は、川の中州の小さな島をひそかに占拠した男の物語。占拠と言っても気まぐれの趣味だ。島に夥しい鳥が集まってくるので、それを追い払えないかと兎を飼いはじめる。兎はどんどん繁殖し、おぞましい習性を示すようになる。もはや自然の摂理に背いているのではないか、そんな予感さえ漂う。

「最上階の部屋」は、ホテルに住みこみで働きはじめた女が、それまで見たことがない夢を見る。夢の強烈さはつまらない日常と対照的だ。どうやら夢は他人のものらしい。しかも夜ごとに夢を見ている主が変わるのだ。このままだと何千何万という人々の夢が押しかけてきて、頭がパンクしてしまうのではないかと、女は恐怖に駆られる......。

「歯茎」では、結婚式をあげた(法的な結婚ではなく記念の式をおこなった)カップルがハネムーンでカナリア諸島へ向かい、そこで夫が歯痛に襲われる。発熱と疼き、そして歯茎からの不快な臭気。物語は妻の視点で淡々と語られ、穏やかな島の様子がしだいに気味の悪いものへ変貌する。決定的に不吉なことが起きるわけではないが、世界が歪むようだ。身体のなかで口は小さな部分だが、複数の機能を担う器官である。言葉、食事、キス......この物語では、それらが見慣れぬ行為のように描かれる。グロテスクなのにエロチックなものが背中合わせになった一篇。

 どの作品も異常事態や異形の存在が向こう側から襲ってくるのではなく、主人公の人生や精神のなかに芽があり、それがきっかけを得て世界に枝葉を広げていく。ナバロはしばしばカフカやコルタサルに比べられるそうだが、本書に収められた作品からはもっと粘りけが濃く、生々しい臭いが感じられる。

(牧眞司)

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