【今週はこれを読め! SF編】歴史が終焉してもなお、書きつづける作家たちの物語

文=牧眞司

 第十回ハヤカワSFコンテスト大賞受賞作。H・G・ウエルズ『タイム・マシン』、オラフ・ステープルドン『最後にして最初の人類』の系譜を引く、きわめて壮大な設定の長篇だ。

 八千二十七世紀、人間がすべて滅びたのちの地球で、高度な異種知性体「玲伎種」は人類文化の研究のため、歴史に名を残す小説家たちを再生し、新しい小説を書かせつづけている。この計画をおこなう収容所は何箇所もあったが、いまはロンドンと日本を残すばかりだ。

 物語はロンドンの収容所で進む。この数万年は、選ばれたさまざまなジャンルの十人の作家たち(彼らは〈文人十傑〉と呼ばれる)が互いの作風と感情を超科学的な技術で混ぜあわされ、共同で大作をつくる試みがおこなわれている。しかし、できあがった作品はことごとく、玲伎種から酷評されてしまう。

 作家たちは死ぬことはできない。人間であることをやめることはできない。書くために、人間であるからこそ書けるものを書かせるために、かつて生きていた過去の人格や記憶を復元され、終わることのない創作活動を挑んでいる。

 他人から見ればまるで地獄のようだ。

 そうまでしてなお作品を書くモチベーションとは、いかなるものか?

 十人の作家(途中でひとり入れ替わるので最終的には十一人)それぞれの人生の屈曲や表現への衝動、そしてお互いの関わりあいが複雑な模様を織りなしていく。作家たちには実在のモデル(それなりの読書家ならば容易に察しがつく)ので、借景的な興味も加わる。

 コンテストでこの作品を大賞に選んだ審査員のひとり、神林長平は次のように評している。

 私が本作を推したのは、書くことの切実さとその限界というものをこの作者自身が身をもって知っていて、その思いをなんとしてでも書き表したいという強い意志を感じたからだ。

 つまり、これは小説家による、小説家の物語なのだ。しかし、読者を置いてきぼりにしているわけではない。物語全体は複線的に語られているものの、一番の視点人物(いくつかの章では「私」として語り手を務める)は小説家ではなく、メアリ・カヴァンという十九世紀に生きたひとりの読者なのだ。彼女はいまロンドンの収容所で、〈文人十傑〉と玲伎種の交渉役として、共作プロジェクトに深くかかわっている。

 メアリにはメアリだけの秘めた強い思いがあった。それが結末に、すさまじいスペクタクルとして現出する。

(牧眞司)

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