【今週はこれを読め! SF編】超知能を備えた犬の孤独と愛〜オラフ・ステープルドン『シリウス』
文=牧眞司
オラフ・ステープルドンは、H・G・ウエルズ以降のSF史においてスタニスワフ・レムが登場するまでのあいだ、もっとも重要な思索的作品の書き手である。悠久の時間の流れのなか、人類の変転を宇宙規模で綴った『最後にして最初の人類』『スターメイカー』が有名だが、本書『シリウス』や『オッド・ジョン』のような地上的な物語も手がけている。そこには文明批判や人間心理への深い洞察と批判に加え、主人公の成長や苦悩のドラマがあり、こちらの傾向のほうを高く評価する読者もいる。
『シリウス』の邦訳は、1970年に早川書房《世界SF全集》の『ステープルドン/リュイス』の巻として刊行され、76年にハヤカワ文庫SFに収められたが、このところ入手が難しくなっていた。まずは、こんかいの復刊を歓迎したい。
『シリウス』の原書が刊行されたのは、ステープルドンが住むイギリスが第二次大戦の真っ只中にあった1944年。物語もその時代が反映されていて、主要登場人物が徴用されるエピソードや、科学研究の軍事利用などの話題が出てくる。
主人公のシリウスは、人間同等の知能を備えた犬だ。科学者トマス・トレローンが遺伝的操作とホルモン投与によって人為的につくりだした。シリウスのほかにも実験的に生まれた犬はいたが、じゅうぶんに知能が発達し、支障なく成長できた個体は彼一頭のみだった。また、シリウスの知能は一代かぎりのもので、彼の子孫に受けつがれることはない。
シリウスがこの世界のなかでどう生きるべきかを模索し、その経験のなかで人間たちの無理解や矛盾に突きあたるというのが、この作品のメインプロットだ。そこでは、自意識を備えた存在としての孤独が重要な意味をもつ。本書の解説で、ヤマザキマリ氏はシリウスを『フランケンシュタイン』の怪物に近いと、的確な指摘をしている。
『フランケンシュタイン』では、怪物が絶望的な孤独を埋めるため、伴侶をつくってくれとフランケンシュタイン博士に願うが、その望みは裏切られてしまう。それに対し、シリウスには子どものころから一緒に育った魂のパートナーとも言える存在があった。トレローンの末娘のプラクシーである。高度な知能を持った動物と人間とのあいだに育まれる、種族を超えた愛情。SFではよくある構図だが、すぐれた哲学者であるステープルドンは、お定まりの展開には落としこまない。
シリウスとプラクシーとのあいだには、余人が入りこめない絆があるいっぽう、それぞれの成長過程にともなう----それは種族的本能の違いによるところもあれば、お互いの内省的な問題に起因するものもあり、社会的な環境が絡む場合もあるのだが----どうしようもない齟齬が発生する。その葛藤に、シリウスは、プラクシーはどのように向きあうか、それがこの物語のひとつのテーマだ。
シリウスとプラクシーのもつれあう関係に重要な要素としてかかわってくるのが、プラクシーの恋人ロバートである。じつは『シリウス』という物語全体の語り手はロバートであり、彼が姿を消したプラクシーの居場所を突きとめ、そこでプラクシーとシリウスとの特別な関係を知り、シリウスの生いたちを書きとめる----という形式なのだ。この枠物語的な小説構造も、『フランケンシュタイン』を彷彿とさせる。
(牧眞司)