【今週はこれを読め! SF編】頽廃の時間に閉じこめられた、砂漠の都市〜エドワード・ブライアント『シナバー 辰砂都市』

文=牧眞司

  • シナバー 辰砂都市 (創元SF文庫)
  • 『シナバー 辰砂都市 (創元SF文庫)』
    エドワード・ブライアント,市田 泉
    東京創元社
    1,320円(税込)
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 その都市の名はシナバー。たったひとつの都市、砂漠、グリーンベルト、大海。世界にはこの四つしかないのだ。そもそもシナバーに暮らす人間は、外側になにがあるか興味を持たない。抗老化治療によって永遠の命を得た彼らは、頽廃と倦怠のなかに暮らしている。

『シナバー 辰砂都市』は1976年に原書単行本が刊行され、日本の海外SFファンのあいだで話題になったが、全八篇からなる収録作品のいくつかが個別に訳出されただけで、まとまったかたちで邦訳されるのはこれがはじめてである。伝説的作品と言ってよかろう。

 エドワード・ブライアントは、J・G・バラードの名作『ヴァーミリオン・サンズ』に影響を受けて、この作品を書いたという。ご存知のとおり、鉱物のシナバー(辰砂)を砕いてつくった顔料がヴァーミリオン(朱赤)だ。

 もっとも、シュルレアリスムやヌーヴェルバーグ映画を思わせるバラードの雰囲気と比べると、ブライアント作品はプロットやアイデアが伝統的なSFに寄っている。たとえば新奇なガジェットを登場させた場合、バラードは読者のイメージを喚起するインスタレーションのような扱いだが、ブライアントはもう少し律儀に合理的説明やストーリー中での小道具らしさを意識している。

 もっとも大仕掛けなアイデアは、町の中心に向かって渦巻き状に時間が加速しているという設定だ。渦の中心には(おそらく)特異点があり、他の時空へとつながっている。シナバーは無限にある可能性世界の交差点、もしくは因果の混沌に浮かんだ泡なのかもしれない。いずれにせよ、現在を単純に延長した先に、未来世界としてシナバーがあるわけではない。

 そうした時間SFの展開がはっきりとあらわれるのは、五番目に収録されているエピソード「ヘイズとヘテロ型女性」である。1963年のデンバー大学に通う十六歳の青年ヴィンスが、タイムマシンの事故に巻きこまれて、シナバーへ飛ばされてしまう。正確に言うと、シナバーではディレッタント的な研究者であるオブレゴンが時間引き網漁(タイム・トローリング)の実験をしていて、その網にヴィンスが引っかかったのである。ちょっとややこしいが、1963年に起こったタイムマシンの事故と、シナバーでのタイム・トローリング実験とは、それぞれ別個のことだ。別個である意味(ストーリー上の整合性)はおいおいわかってくるのだが、そこがたぶん時間SFのパズル的面白さを成立させるうえで、重要な手続きなのだろう。先述したブライアントの「律儀さ」は、そういう部分である。

 もっとも、作品の基軸は時間パズルよりも、現代(といっても1963年だが)の青年が、きわめて進歩的な社会へ入りこみ、自分が知らずしらずのうちに旧弊な規範や偏見にとらわえていたかを知る展開にある。ブライアントの小説構成や文章表現はソフィスティケートされているが、物語の骨格は、H・G・ウエルズの未来瞥見記『睡眠者目覚めるとき(When The Sleeper Wakes)』(『冬眠200年』の題名でジュヴナイル訳がある)と同様の素朴なものである。ちょっと範囲を広げれば、ジョナサン・スウィフト『ガリバー旅行記』的な風刺小説といってもよい。

 スタイルは洗練され、構成も凝っているが、物語の骨子はむしろストレートというのは、ほかのエピソートについてもあてはまる。一番目のエピソード「シナバーへの道」は、フィリップ・K・ディックの初期短篇、もしくはSFドラマ『トワイライト・ゾーン』を彷彿とさせるサスペンス。二番目のエピソード「ジェイド・ブルー」は、時間改変をスパイスのように効かせた、レイ・ブラッドベリ風の子ども部屋小説。七番目のエピソード「シャーキング・ダウン」に至っては、古代の巨大鮫が大暴れする怪獣小説である。

 さて、「ヘイズとヘテロ型女性」に話を戻そう。シナバーでヴィンスの世話をするのは、研究者のオブレゴンとその恋人である芸能人トルマリンである。恋人といってもシナバーの人間関係は開放的であり、相手を束縛するものではない。しかし、そんなシナバーにも狂信的な時代錯誤者の一群が存在し、固定された性のありようや、制度的な母性を他人に強制しようとしてくる。この狂信者が引きおこした騒動に、オブレゴン、トルマリン、ヴィンスが巻きこまれてしまう。ここで意味を持つのは、ヴィンスが元いた時代が1963年だということで、作中でも明示されているように、これはジョン・F・ケネディが暗殺された年だ。つまり、アメリカが社会的進歩と自由へ向かう道が危機にさらされた象徴的事件である。

 翻って考えると、2025年のアメリカがまさに狂信的な時代錯誤にさらされているし、日本もけっして対岸の火事ではなかろう。本書の解説で大野万紀氏が指摘されているように、この作品に先見性を感じずにはいられない。ヴィンスがシナバーでどういう行動をとり、その経験を経ていかなる人生を送ったか? 物語の結末に向かって、個人の自由をめぐる小説的主題と、時間SFとしての妙味がみごとに一体化している。

『シナバー 辰砂都市』は連作集でエピソートごとに主人公が変わるのだが、「ヘイズとヘテロ型女性」で重要な役割を果たしたオブレゴンとトルマリンは他のエピソードにも顔を出す。とくに最後のエピソード「ブレイン・ターミナル」では、滅びへと向かうシナバーの運命を見届けるために、都市の中心(すなわち渦巻き状の時間の極点)へと遠征する。旅の仲間は、オブレゴンとトルマリンを含めて五人。このエピソードの冒頭に、古代の民謡として『オズの魔法使いに会いに行こう』の楽譜が掲げられている(ただし、シナバーでは『オズ』の物語を知る者はいない。それは失われた物語なのだ)。『オズ』のドロシーは、結末で魔法使いの仕掛けたペテンを知るわけだが、オブレゴンとトルマリンは、はたしてシナバーという大きな謎を解けるだろうか?

(牧眞司)

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