【今週はこれを読め! SF編】仮想世界が実社会を侵蝕する、現代的なサタイア〜ナタン・ドゥヴェール『反世界【アンチモンド】』

文=牧眞司

  • 反世界【アンチモンド】
  • 『反世界【アンチモンド】』
    ナタン・ドゥヴェール
    早川書房
    4,070円(税込)
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 ナタン・ドゥヴェールはフランスの現代作家。2020年に小説家デビューし、22年刊行の本書『反世界(アンチモンド)』で、ゴンクール賞候補となった。原題は"Les liens artificiels"。直訳すれば「人工的なつながり」だ。そう言われて、すぐに思い浮かぶのはSNSだろう。

 この作品の〈反世界(アンチモンド)〉はいわばSNSの発展形で、匿名アカウントでログインすると、ビデオゲーム世界が映しだされ、アバターを介して擬似的な生活ができる。会話はキーボードでテキストを打つのだが、目の前の光景が現実をミリ単位で再現したものなので、一人称視点でその場にいる没入感が得られる。金さえかければ、バーチャルリアリティ・ヘッドセットやデジタル・センサーといった拡張現実デバイスで、より生々しい体験が可能だ。

〈反世界〉を構築したのは、アドリアン・ステルネルという起業家である。彼はフランス最高峰の理工系高等教育研究機関を卒業後、ゲーム制作ベンチャー企業を創設し、カリスマ的な経営で事業を発展させていった。ステルネルがビル・ゲイツやイーロン・マスク、マーク・ザッカーバーグやスティーヴ・ジョブズといったシリコンバレーの大物たちと異なっていたのは、未来志向のユートピアではなく、『聖書』を霊感源としていることだ。新しいエルサレムを夢想したのである。とくに物語後半、ステルネルの自意識は、まるで神になったかのように暴走していく。

 いっぽう、物語の主人公となるジュリアン・リベラは、まず一介の存在として読者の前にあらわれる。芽の出ないピアニストで、恋人に捨てられたばかり。生活のために、うんざりするような仕事も引き受けなければならない。おしも世の中はパンデミックで、孤独は深まるばかり。そんなとき、彼の興味を引いたのが〈反世界〉だった。ジュリアンはヴァンジェルというアバターをつくり、擬似現実での活動をはじめる。

〈反世界〉にはあらゆるものがあった。イベント、労働、経済、恋愛、出世、犯罪、政治、暗殺、テロ......。アバターが死ぬと、そのアカウントからは二度とログインができなくなる。

 ジュリアンは酔った勢いで、「プレイモービル!」と題した詩を書きあげ、ヴァンジェルの作として発表する。〈反世界〉に罵声を浴びせるような内容が、かえってステルネルの関心を惹き、彼の後押しによってたちまち名声を博す。もちろん、ヴァンジェルの正体がジュリアンであることは伏せられたままだ。「プレイモービル!」には、いくつか誤字があったのだが、その誤字すら深遠な意味があるように考察に考察が重ねられていく。こうなると、もう引っ込みがつかない。〈反世界〉では、ヴァンジェルへの熱狂と、それに対するアンチとが激しく衝突し、身の危険すら感じるほどだ。

 ヴァンジェルに迫る危機を避けるため、ステルネルは一発逆転の奇策を提案する。しかし、ジュリアンは知るよしもないが、ステルネルにとってヴァンジェルは〈反世界〉を盛りあげるための捨て駒にすぎない。

〈反世界〉での騒動は、実世界へも波及していく。それはわたしたちの日常において、SNSがもはや遊びではないのと同様だ。仮想のゲームだったものが、実際の人生や社会を侵蝕していく。テーマ自体は1950年代にハリイ・ハリスンやフレデリック・ポールが書きそうな社会風刺だが、そこに現代的要素を絡めて苦みと迫真性を増している。ジュリアンの孤独やステルネルの未熟な万能感などキャラクターの滑稽味は、どことなくカート・ヴォネガット作品を彷彿とさせる。なにしろ、この作品にはトランプを信奉する〈反世界〉アメリカの独裁者まで登場するのだ。

(牧眞司)

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