【今週はこれを読め! エンタメ編】"家族"の固定観念を打ち砕く〜宇佐美まこと『月の光の届く距離』

文=松井ゆかり

 家族というものについて書かれている小説を読むといつも、自分がどれだけ恵まれていたかを思い知らされる。自分が実家にいる頃にはそこまでとは思わず、むしろ貧乏家庭であるという点で引け目を感じることが多かった。けれど、私は愛情をもって育てられている。外でいやなことがあっても家に帰れば安心できる暮らしがどれだけ得難いものであるか、家庭においての方が緊張や苦痛を強いられる子どもがどんなに多いか、よく考えたことはなかった。

 物語の舞台は、奥多摩にある「グリーンゲイブルズ」というゲストハウス。第一章の主役である高校生の柳田美優は予期せぬ妊娠をするが、そのことを知った交際相手で同級生の准也は彼女を避けるように。産婦人科では、すでに人工中絶はできない週数になっていると告げられる。生まれた子どもは施設に引き取ってもらい出産した事実は隠し通すよう両親に言い渡され、反発した美優は家を出た。池袋のネットカフェで寝泊まりするうち、同年代と思われる曜子という少女と知り合う。生まれてくる子どもを育てるために働きたいと打ち明けると、いい仕事を紹介すると言われる。しかし、風俗店に連れて行かれた美優は、怖じ気づいて面接中に店を飛び出してしまった。思い詰めて准也に電話するも突き放され、歌舞伎町のビルから飛び降りようとしていたところを『ODORIBA』というNPOを運営する野中千沙に助けられる。『ODORIBA』は、家出をしたり家庭の事情で居場所や生活費に不自由したりしている少女たちを支援する団体。美優の事情を聞いた千沙は、「グリーンゲイブルズ」で働けるよう取り計らってくれる。

 「グリーンゲイブルズ」を経営しているのは明良と華南子の兄妹で、『ODORIBA』のスポンサーでもある。家族は他に、高齢の母親・類子と、子どもが3人。中学2年生の久登・小学2年生の未来・4歳の太一だ。3人のうち、久登と太一は里子で、未来だけが華南子と養子縁組をしている。世間的には、複雑な親子関係ということになるだろう。第二章では明良の、第三章では華南子の半生が描かれる。彼らはなぜこのような家族の形を選んだのか...。

 私たちは往々にして、"両親が揃っていて、血のつながった子どもは2人くらい、離婚や児童虐待といったものには縁がない"という枠から大きくはみ出した家庭を、規格外のものだと思い込んでしまう。それでも最近では、そういった先入観や偏見が少しずつでも改められてきているのは、たいへん歓迎すべきことだ。本書においても、家族の形はさまざまであり、従来のイメージには遠い家庭もいくらでも存在するということが繰り返し言及される。"家族なら愛情があって当然""親の言うことには従わなければならない""親は子どもを思い通りにしてよい"といった固定観念のようなものに苦しんでいる人たちが、呪縛から解放されてほしい。いろんな家族のあり方を多くの人が受け入れることで、いじめや心ない言葉の大部分が解消されるのではないだろうか。

 美優が最終的に下した判断には賛否両論あるだろう。私も積極的に推奨していいものか迷いはあるが、それでも支持しようと思う。本書で最も印象的だった場面をあげるよう言われたら、美優が生まれてくる子どもが成長していくことを怖ろしく感じるシーンをあげたい。「生まれた途端に、全身全霊で自分に寄りかかってくる」子どもが、誕生してすぐにははっきりとした自我を表すことがなくてもやがては自分で考えて行動するようになるのを、美優は「ぞっとするほど怖いこと」と感じた。女性は、我が子がおなかに宿った瞬間から母性を要求されがちだが、出産への抵抗感や子どもを育てていくことへの恐怖心があってもまったく不思議ではない。「よき母親であれ」という周りからの視線がさらなるプレッシャーとなり得ること、親としての愛情は産んだ後からゆっくり育つ場合もあることに対して、理解が進むことを願う。

 子どもを捨てる親がいる一方で、見知らぬ少女たちを助ける赤の他人もいる。誰もが他者を思いやれる世の中にしていくために、いろいろな知識が必要であることも、本書を読んで痛感した。望まない妊娠を避けるために、虐待されている子どもを見かけたら適切な相談先を見つけられるように、自分のやりたいことを見つけるために。知識がその人を助け、周囲で起きている問題へ目を向けようという意識につながる。もしも自分が誰かに助けられたら、次は自分が他の誰かの力になることもできるのだと、この物語に教えてもらった。

(松井ゆかり)

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