【今週はこれを読め! ミステリー編】幻の長篇『生ける屍』が復刊!

文=杉江松恋

  • 生ける屍 (ちくま文庫 て 13-1)
  • 『生ける屍 (ちくま文庫 て 13-1)』
    ピーター・ディキンスン,神鳥 統夫
    筑摩書房
    1,100円(税込)
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 もう、本当にベタなことから言わせてください。サンリオSF文庫『生ける屍』、この原稿を書いている時点でアマゾンの古書価が32,000円だ。高すぎ! でも、ちくま文庫で復刊された同書の巻末に寄稿している佐野史郎のエッセイによれば、彼が原稿を書いていた際には47,748円、コレクター商品に至っては128,880円の値段つけがされていたというから狂気の沙汰である。人の欲望につけこむにしても、文庫本一冊にそれはねえ。

 というわけで今週とりあげるのはピーター・ディキンスンの幻の長篇『生ける屍』である。ディキンスンは最初、英国の警察官ピブル警視が登場するシリーズの著者として日本に紹介された。そのシリーズ第1作『ガラス箱の蟻』(ハヤカワ・ミステリ)は、絶滅寸前のニューギニアの部族が全員ロンドンのアパートメントに移住させられ、そこで無為な暮らしを送っているという舞台設定の謎解きミステリーだ。こうした具合に特異な共同体や閉鎖空間を作り上げ、その中でのみ成立する規律に従う形で主人公が謎や危機と対峙するというシリーズだったのである。

『ガラス箱の蟻』の作中エピソードが示しているように、ディキンスンがこうして対立構造を作り上げた理由の中には、まったく異質なものとの接触によって欧米世界の鏡像を浮かび上がらせようという文化人類学的アプローチを行おうとの意図が含まれていたはずである。自明に見えることへの疑義呈示、二つの文化の差異を対比することによる止揚効果は言うに及ばず、自身の固有文化から外へ一歩踏み出せば不可避に味わうことになる不安を、小説の主題として描きたかったということなのだろう。足元が揺らぎ、崩壊していくような感覚を味わいたくば、ディキンスンを読むべきなのだ。

 Walking Deadという原題が暗示しているとおり、『生ける屍』の舞台となるホッグ島はヴードゥー信仰が根強いハイチをモデルとしている。魔術をカリスマの根拠として恐怖政治を繰り広げたハイチのデュヴァリエ大統領に同定されるべき人物が、この地のトロッター博士だ。医薬品会社の研究員として働く主人公のフォックスは、ホッグ島に誘致された会社の実験施設へ転勤させられる。施設では人間のある能力を賦活する薬品についての研究が進められており、それに関心を抱くトロッター博士の訪問をたびたび受けていた。恋人と別れ、無為な日々を送るフォックスは、島の出来事に好奇心を抱いたことから次第にトラブルの中に巻きこまれていく。トロッター一族によって弾圧を受けている抵抗勢力が島にはまだ残存しており、その検挙のため秘密警察が跋扈していたのである。やがて、研究所で殺人事件が起き、フォックスが死体の第一発見者になってしまう。

「竪穴」と題された第二部が本書の要をなすパートである。そこで描かれるのは権力によって民衆を支配せんとする人間の醜悪な一面だ。「自分を一種の神に祭り上げようと望む」専制君主の姿を、他人事として蔑視できるような余裕を、現代の読者は持てているかどうか。一種の技術官僚のような自我を持つフォックスは、トロッター博士の野蛮な言動を嫌悪し、忌避しようとしたがゆえに大きな騒動の中に巻きこまれていく。その流されるようなありようは「歩く死者=ゾンビ」ではないものの、別の意味で「生ける屍」を思わせる。

各章に「迷路」「竪穴」「山」の語が用いられているのは、「生ける屍」たるフォックスが、その中で自分の歩むべき針路を見出せずにさまようことになるからだ。ただ生きているだけのゾンビは、邪悪な専制君主の前では木偶のように立ちすくむことしかできない。そのことは本書が発表された1977年よりも現在のほうが、より強い恐怖をもって読者に受け止められるはずである。よいタイミングで復刊された。今こそ読むべき小説だ。

(杉江松恋)

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