ブックレビュー革命元年の『文学少女図鑑』

文=杉江松恋

 もしかすると2012年は、ブックレビュー革命元年と呼ばれることになるのかもしれない。
 古い殻を打ち破り、「本」を媒介とした新しいコミュニケーションを打ちたてようとする動きが随所で始まりつつある。

 来る8月19日(日)、角川文庫とナマケットのコラボ企画「夏の生書評バトル〜本ヲ表現セヨ〜」(http://www.nicovideo.jp/namaket/kadokawa)が開催される。ナマケットとは、niconico公式の生放送イベントであり、ユーザーが自演動画を投稿することによって成立する。イベントタイトルからもわかるように、8月19日に行われるそれは、角川文庫の100冊について選抜されたユーザーが「書評」動画を投稿し、そのパフォーマンスの優劣で勝者を決定するというものだ。
 これは2007年に谷口忠大(通称・たにちゅー、現・立命館大学情報理工学部知能情報学科准教授)によって始められた「ビブリオバトル」の流れを汲むものだ。そのきっかけは谷口が、自身の運営するゼミの勉強会の参加者に本の紹介を口頭で行わせたことにあった。それが「知的書評合戦」という現在の形へと発展していったのである(詳細は公式ページ。http://www.bibliobattle.jp/へ)。
 ナマケットという「場」を実験的に与えられたことにより、こうした「本を通じたパフォーマンス」が爆発的に拡大していく可能性は十分にある。そのときに従来からいる「文章」主体の「書評家」はどう対応するのか。紙媒体を起源とする書評のありようは変容を強いられることになるのか。現時点では私は、まだその問いに対する答えを見出せずにいる。また、妄動は誉められたことではなく、しっかりと今後の行く末を見極めなければいけない、とも考えている。

 紙媒体でも新たな試みが行われている。
『文学少女図鑑』(ASTRA)は、2011年に編集者・萩原収が制作したミニコミ誌「文学少女」を原型とした本だ。題名通り、これは「文学少女」を紹介する写真集である。51人の若い女性が登場し、それぞれが愛読書を3冊紹介している。その3冊の内容によって分類が行われ、章が編成されているが、どのページを開いても好きな本を携えた女性のスナップが掲載されているという形式は変わらない。帯の紹介文を引用しよう。

「本に夢中になっているところに声をかけられ、ふと目線をあげたときの無防備な表情。好きな本について話す時の、幸せそうな笑顔。総勢51名の、そんな一瞬をカメラに収めました。本読みの彼女らが厳選する、本当にオススメしたい3冊を同時に紹介。一人ひとりの生語りが、未知なる本への好奇心を刺激します!」

 既成のメディア、既存のライターに頼らない、「自分たちの身近な人による」レビューを尊ぶ風潮が存在する。ブログやSNSといった一方向的な情報発信ツールは、そうした流れを作り出した主要因の一つだ。別に『文学少女図鑑』は既存のメディアやライターに喧嘩を売るような本ではない(編集者である少女たちの撮影者である萩原にその意図はないはずだ)。だが少なくとも私は、少女の笑顔、眼差しといった「訴求ツール」を脅威と受け止める必要があると感じた。自分の文章はこれに対抗する効果を上げられているのだろうか。書評ライターとしては、大きな刺激を与えられたのである。

 51人それぞれの愛読書についての紹介コメントにも目を通した。文章についてはおもしろく感じ、もう少し感想を深く聞かせてもらいたいと思ったものもある。たとえばポール・オースター『ムーン・パレス』(新潮文庫)を毎日少しずつ、それこそ2、3ページずつ読んでいったという中嶋貴子には、その速度の理由を聞いてみたい。桜庭一樹『少女七竈と七人の可愛そうな大人』(角川書店)と北方謙三『試みの地平線』(講談社文庫)、林芙美子『放浪記』(新潮文庫)の3冊を選んだ扇谷有紀子には、その選書のわけを(特に「ソープへ行け!」の理由!)。個々の文章は長いものもあるが十分なほどではなく、隔靴掻痒の感が残る。そのもどかしさが、読者をして彼女たちの選書を買いに書店へと走らせる原動力になるのだとすれば、「書評」本としては誠に正しいありようではあるのだが。

 もちろん、中森明夫が寄稿して言っているように文学少女を愛でるための本としてこれを読むこともできる。ただ私は、彼女たちよりも、彼女たちが携えている本のほうに強い興味を抱いた。どちらの読み方をしてもいいだろう。ご自由にどうぞ。

(杉江松恋)

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