【今週はこれを読め! ミステリー編】阿津川辰海の技巧たっぷり短編集『入れ子細工の夜』

文=杉江松恋

 阿津川辰海はミステリーが好きすぎる。

 ミステリー作家にはミステリーが好きな作家がもちろん多いのだが、それにしても阿津川辰海はミステリーが好きすぎる。

 だから『入れ子細工の夜』などという本ができてしまうのである。

 阿津川にはすでに四冊の長篇作品があり、第一短篇集として『透明人間は密室に潜む』(光文社)が刊行されている。それに続く第二短篇集だ。『透明人間は密室に潜む』の表題作は人間を透明にする技術が実用化されたという前提の社会で起きるある犯罪を扱った短篇で、いわゆる倒叙形式が使われていた。「六人の熱狂する日本人」は題名からもわかる通り映画『十二人の怒れる男』のパロディとして書かれた密室劇なのだが、そこにアイドルマニアという要素を加えることで類例を見ない怪作となった。「盗聴された殺人」は音の要素に手がかりを限定するという非常に禁欲的な技法が使われた作品で、最も分量の多い「第13号船室からの脱出」は古典探偵小説のファンなら一目でおわかりの通りジャック・フットレルへのオマージュを捧げると同時に、昨今は日本でも人気のある参加型推理ゲームが劇中劇として加えられた複層的な謎解き小説である。短篇一本に長篇を維持できるアイデア量がいくつも詰め込まれており、なんとも贅沢な作品集となった。

 アイデア量という意味では『入れ子細工の夜』の表題作も負けてはいない。これは密室劇であり、創作に行き詰ったのか頭を抱える小説家の自宅に若い男が押しかけてくることから話が始まる。男は新人の編集者なのだという。小説家は彼に、とっておきの傑作となるであろうミステリーのアイデアがある、それを君の出版社で書いてやろうか、と持ちかける。もちろん編集者でその申し出を断る者はいないだろう。ただし条件があり、その作品の中に描かれる場面を、小説家と編集者の二人で演じてみたいのだという。展開される人間関係に無理がないか、実際に確かめるためだ。小説家の言う通りに役柄を演じ始めた若い男は、意外すぎるものを見ることになる。

 本書には阿津川自身によるあとがきが付されており、それを読むと各篇の着想がどういう形で浮かんできたのかがなんとなくわかる。なのでぜひ本編を読み終えてから目を通していただきたいのだが、私は「入れ子細工の夜」を読みながら二つの作品を連想した。これは書いてもいいだろう。一つはクリスチアナ・ブランド「ジェミニー・クリケット事件」、もう一つは星新一『ノックの音が』である。共通点は密室で限られた数の登場人物による物語が展開すること。これ以上細かく説明するのは野暮だろう。あとがきではこの二作品についての言及はないが、ことに前者に関しては間違いなく阿津川は読んでいるはずだし、こうした形の物語を書く時に意識しないわけがないと思う。つまり、偏執的に一つの状況を引っくり返し続ける展開の短篇なのである。そこまでやるか、やってしまうのか、と感じ入りながら読んだ。

 他のお気に入りは「二〇二一年度入試という題の推理小説」である。本書には全般的に新型コロナウイルス流行の影が落ちている作品が多く収録されているが、最たるものがこれだ。コロナ禍のために学生は登校が制限され、そのために授業進度には大きなばらつきができた。通年のような入試形式では不公平が生じてしまうかもしれない、と考えたK大学は意表をついた手段に出た。犯人当てによって学生の論理的思考を問うのだ。問題用紙に書かれたミステリー小説を読んで、ずばり犯人を言い当てる。これだけだと、なるほどその手もあったか、と感心する読者が出るかもしれないが、提示された「煙の殺人」という小説にはいろいろな問題があった。問題が多すぎる問題篇、というやつである。

 ミステリーの謎解きには余詰めという用語がある。詰将棋から来ている言葉で、正解とされる筋以外に他の答えが存在する可能性はないか。推理を行う側にはその検討を行う必要がある。逆に問題を出す側が思いもよらないところに余詰めの可能性を見出せることもあり、曲芸のような論理はそこから生まれる。その余詰めに関する短篇であり、ミステリーの謎解きに関する深い問題提示が行われているのだが、匿名多数の声によって支えられるネット空間を扱った諷刺喜劇にもなっている点がお見事。

 収録作は他に二篇。「危険な賭け ~私立探偵・若槻晴海~」は一人称私立探偵小説の叙述形式を用いた点に工夫がある作品で、ミステリーの古本に関する強い執着が描かれているのがいかにも阿津川らしい。若竹七海の葉村晶シリーズがお好きな方はぜひ。もう一作の「六人の激昂するマスクマン」は前作の「六人の熱狂する日本人」の趣向を引き継いだ喜劇趣向の作品で二種類のマスクが登場する点がおもしろい。実際に読んで感心してもらいたいのでどんなマスクかは書かない。代わりに書いておくが、冒頭で出てくるマスクマンたちのあれこれは、懐かしや全日本大学ミステリ連合の風景を思わせる。つまり大学サークルの雰囲気を背景に借りた小説なのだ。阿津川自身がかつてそこに身を置いたミステリー者たちの集まりを。

 重層的だったり諷刺的だったり、諧謔と韜晦、自虐の味まで加わって、なんとも賑やかな一冊に仕上がった。感嘆すべき技巧の塊である。

(杉江松恋)

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