【今週はこれを読め! ミステリー編】『気狂いピエロ』原作小説登場!

文=杉江松恋

  • 気狂いピエロ (新潮文庫)
  • 『気狂いピエロ (新潮文庫)』
    ライオネル・ホワイト
    新潮社
    693円(税込)
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 ただ破滅だけが待ち受ける。

 ライオネル・ホワイトが1962年に発表した長篇Obsession(妄執)は犯罪小説史上に特筆すべき作品だ。本作の仏訳版を読んだジャン=リュック・ゴダールにより、ジャン=ポール・ベルモンド、アンナ・カリーナ主演で映画化された。ヌーヴェルヴァーグの名作として知られる『気狂いピエロ』である。映画化作品の人気とは裏腹に、原作はこれまで本邦未紹介のまま残されていたが、ノワール小説翻訳の名手として知られる矢口誠によってこのたび新潮文庫から刊行された。これは必読であろう。巻末ではゴダールと好敵手フランソワ・トリュフォーを視野に入れた映画化作品についての解説を山田宏一が、犯罪小説史上における本作とライオネル・ホワイトの位置づけを吉野仁が解説している。最強の布陣だ。

 物語は主人公のコンラッド・マッデンが、六か月前から現在に至るまでの出来事を回想するという形式で進んでいく。場所は自宅から三千キロも離れた、荒れ果てた牧場のランチハウスだ。コンラッドは十五分前に無線で連絡を入れたという。何を、誰に伝えたのかは定かではないが、彼は待っているのである。「回転草やサボテンしかない砂漠をくねくねと何キロもつづく寂しい道」を走って待っている相手がやってくるまでには時間がかかるだろう。だから彼は「キッチンテーブルの椅子にすわり、罫の入った黄色いノートパッドにこの文章を書いている」。こうしてすべてが終わった時点から始まるという物語の寂寞感が本作の基調を作り出している。何を期待するにしても、すべては手遅れなのである。

 六ヶ月前の出来事は、コンラッドが求職活動に失敗し、妻マータとの約束を破って酒を飲んで帰ったある午後から始まる。コンラッドは広告代理店に勤めていたが、脚本が一つ売れたために仕事を辞めた。その後はまったく脚本は売れず、あっという間に経済的な窮状に立たされることになる。ただでさえ焦燥感に駆られているのに、マータに正論で詰られたために彼はひどい態度を取ってしまった。その夜夫婦で行ったパーティもひどいもので、マータとの関係をさらに悪化させてコンラッドは帰宅する。

 不在の間、ベビーシッターを任せていたアリーという娘を家に送り届けたとき、コンラッドは取り返しのつかない失敗をしてしまう。この小説の中で彼はまずいことしかしないのだが、その中でも最もしてはいけない行為だ。おそらくはティーンエイジャーと思われる娘に唆されるままに酒を飲み、酔いつぶれて眠ってしまったのだ。目を覚ましたとき、隣にはアリーがいた。彼女によれば、家にやってきたマータにその姿を見られているのだという。もう家に帰ってこなくていい、という伝言も残された。さらに最悪なことに、家の中にはもう一人の男がいた。キッチンナイフを体のまんなかから突き出した死体となって。

 ここから始まるコンラッドとアリーの逃亡を描くロード・ノヴェルである。死んだ男はパティ・ドノヴァンというギャングで、アリーことアリスン・オコナーはその情婦だったのだ。ギャングが残した1万数千ドルの金を奪い、とりあえずの逃走資金はある。金がだんだん目減りしていき、それに比例するように二人を巡る状況もどんどん悪化していく、というのがこの手の小説の常道だ。コンラッドはなんとか二人で生き延びる道を探そうとするのだが、アリーが気まぐれな態度を取るためにうまくいかない。

「ピーナッツバターのサンドイッチに牛乳」が好きというこどもっぽさと、コンラッドのような中年男性を狂わせる性的魅力とが同居したちぐはぐさがアリーの個性だ。ファム・ファタル、すなわち運命を狂わせる女の小説なのだが、コンラッドが入れ込んでしまう女がティーンエイジャーという点が滑稽で、かつ哀れな点だ。彼は何も完遂することができない男だが、決して知性を欠いているわけではない。ただ、他の者がするように真っ当には振る舞えない、失敗するように生れついた人間なのだ。旅先から彼は、マータにそれまでの経緯を説明した手紙を書く。もはや事態は取り返しのつかないことになっているのだが、それでもコンラッドは「近い将来にどこかで」「マータとの生活を」「立て直したいと願っているように思わせ」たいと願って文面に知恵を振り絞る。もう絶対に無理なのに。彼は、何事も壊してしまってから、捨ててしまってから後悔を始める男の典型だ。

 アリーと出会う前からコンラッドの人生は行き詰っていた。とどめをさしたのはアリーだが、もう失敗は始まっていたのだ。そうした、決して成功することができない人生の極端なありようを描いた小説とも言える。救いようのないろくでなしなのに、コンラッドの独白が読者の胸を刺すのはだからだろう。誰の中にも少しずつコンラッドは住んでいる。

 コンラッドは言う。

――おれの行動と感情に異常があったとしたら、それは未来を見ていなかった点だけだ。あるのは現在だけだった。未来の可能性や過去の鮮明な記憶は、現在になんの影響もあたえなかった。おれがどんなふうに感じ、どう行動するかにも。

 このように刹那的に、動物的になるまで追い詰められた心性を本作は描く。未来について考えられず、ただ現在、目の前にあるものだけを求めてしまう心。それが原題のObsession、妄執というものだろう。心の中に芽生えた妄執は現在のすべてを食い尽くし、未来を見ることを止めさせ、過去を捨てさせる。その結果生まれた果てしない孤独。コンラッドが手記を書き続ける砂漠の中のランチハウスとは、囚われた心の象徴なのだ。世界の中でただ孤立して、心の中にある妄執を書き綴るしかない男の姿を思い浮かべよ。

(杉江松恋)

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