【今週はこれを読め! ミステリー編】 深町秋生〈ヘルドックス〉三部作堂々完結!

文=杉江松恋

  • ヘルドッグス 地獄の犬たち (角川文庫)
  • 『ヘルドッグス 地獄の犬たち (角川文庫)』
    深町 秋生
    KADOKAWA
    924円(税込)
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 深町秋生〈ヘルドックス〉三部作は裏切りの物語だ。

 二つの暴力を書かせたとき、深町は現代日本最高の作家になる。二つの暴力、つまり何かを打破するための暴力、たとえば復讐のための暴力。もう一つは何の意味もない暴力のための暴力。人を傷つけるということが自己目的化した暴力だ。この二つの暴力を深町は巧みに使い分けて物語を綴っていく。根底には、人間は暴力を制御しきれないほどに愚かな存在であるという理解がある。

 間もなく岡田准一・坂口健太郎主演の「ヘルドックス」(原田眞人監督)が公開される。これは2017年に上梓された『地獄の犬たち』の映画化作品だ。同作は角川文庫に入った際に『ヘルドックス 地獄の犬たち』と改題された。続篇として『煉獄の獅子たち』(KADOKAWA)が2020年に発表され、このたび完結篇に当たる『天国の修羅たち』(角川文庫)が刊行された。『天国の修羅たち』単体で読むことも可能だが、時間に余裕がある方は三部作を通して味わってみていただきたい。

 これは東鞘会という広域暴力団組織を描いた作品である。『地獄の犬たち』では、改正暴力団対策法に対して開き直ったように武闘派路線を突き進む東鞘会に対して、警察は思い切った奇策に出る。捜査官を潜入させるのだ。それもうわべだけの偽装ではない。刺青を彫り、汚い仕事にも手を染めさせる。必要とあらば人も殺す。密命を受けた警察官・出月梧郎は兼高昭吾を名乗り、東鞘会の中で地位を上り詰めていく。そして汚辱の極みというべきある秘密を知ってしまうのだ。

『地獄の犬たち』の美点は出月=兼高を引き裂かれた心の持ち主に設定したことである。東鞘会の男たちと交わりながら生きていくうちに、出月の心の中にはヤクザとしての自我が芽生えていく。ヤクザたちに仲間として認められることによって同胞意識も抱くようになる。だが、彼の芯にあるのは警察官としての職務を忠実に行おうとする使命感なのだ。この二つの気持ちが出月の中でせめぎ合いを起こす。一方を取ればもう一方を裏切らざるを得なくなる。互いに矛盾した感情を抱く魅力的な主人公を置いたことで『地獄の犬たち』は犯罪小説としては稀に見るほどの完成度に達した。

 続篇『煉獄の獅子たち』は東鞘会の分裂抗争を軸にしている。ここで描かれるのは仲間と仲間が、そして家族と家族が互いに憎み合い、殺し合う地獄絵図である。東鞘会五代目の氏家必勝が没した後、実子である氏家勝一は跡目抗争に敗れて組織を割り、和鞘連合を作る。この和鞘連合と東鞘会の間で血みどろの抗争が繰り広げられるのだ。昨日まで同じ釜の飯を食べていた者同士が敵となれば殺し合いをしなければならないのがヤクザの掟である。前作との違いはここにある人物の恋愛が絡んでいることで、その脇筋がある点が前作とは異なる。だが、その物語もまた凄惨な裏切りを迎えることになるのだ。ありとあらゆる人間関係が残酷な裏切りの物語になっていく。それが『煉獄の獅子たち』という小説だ。

 さあ、その完結篇である。ここまで書いたようなことは事前情報として小説の冒頭で要約した形で語られる。本作の主人公は警視庁捜査一課の刑事・神野真里亜だ。あるジャーナリストの殺人事件を捜査していた神野は、鑑識が発見した証拠がもみ消されたことを偶然知ってしまう。とうの昔に死亡したと思われていたはずの出月梧郎の指紋が現場に遺されていたというのだ。なにゆえ上層部はこの事実を無視しようとするのか。相棒のマル暴刑事・樺島順治と共に謎を追い始めた神野は、知るべきではない秘密を掘り起こしてしまう。

 暴力団抗争小説が二作連続した後に書かれた完結篇は、視点の方向を変えて警察捜査小説になった。深町には女性捜査官を主人公にしたいくつかのシリーズがある。最も有名なのは、仲間を仲間とも思わない冷血漢と怖れられる八神瑛子が活躍する連作だろう。今年になって最新長篇『ファズイーター』(幻冬舎)が刊行された。深町秋生、強い女性刑事が好きなのだ。『天国の修羅たち』の主人公・神野も、他人の嘘を見抜く鋭い観察眼を備えた、総合格闘技の達人という設定である。かつて姉が非業の死を遂げたという過去があり、それがきっかけで警察官になったのだ。

 バディものの刑事小説か、と思って読んでいると物語の折り返し点でとんでもないことが起きる。やはり〈ヘルドッグス〉は裏切りの物語なのだ。その裏切りによって神野は、警察組織の庇護を受けられない苦境に陥ることになる。何が正義なのか、自分が進むべき道はどこなのかもわからない闇の中、若い刑事は己の道を見つけるために突き進んでいく。

 過去二作で展開されていた事態が一気に回収されていくので、後半にはたまらない疾走感がある。深町はこれを凄絶なアクション場面の連続で描くのである。暴力に淫せず、自分の振るう暴力は法の武器としてのそれであると神野が絶えず言い聞かせるのがいい。彼女が自分を見失うかどうかという点が物語の核になっていくのだ。

 何度も書くように裏切りの物語である。にもかかわらず、ああ、なんということか、本作の結末は実に爽快である。闘いによって傷ついた者たちの心に寄り添うような終わり方をするのだ。暴力に次ぐ暴力で紡がれてきた話であるのに、穏やかな情景が最後には準備されている。これを読者に見せたかったのか深町よ。泣かせるじゃないか。

(杉江松恋)

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