【今週はこれを読め! ミステリー編】白井智之『名探偵のいけにえ』の純度に圧倒される!

文=杉江松恋

  • 名探偵のいけにえ: 人民教会殺人事件
  • 『名探偵のいけにえ: 人民教会殺人事件』
    白井 智之
    新潮社
    2,090円(税込)
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 目のくらむような謎解きの紋様。

 白井智之『名探偵のいけにえ』(新潮社)は、そう表現するしかない小説だ。ミステリには謎解きの密度が存在する。物語を構成するものは中核にある謎であり、それを解くための手がかりが伏線として散りばめられる。一つの手がかりで謎に到達させる作品があれば、複数のそれでわらしべ長者が富に到達するような順送りで読者を結論に導くものもある。白井智之は、この手がかりを多数置くことに執念を燃やす作家だ。最終的な解に通じるのが主な道筋だとする。そこに至るまでにいくつかの脇筋をこしらえて読者を回り道させ、各々の道で論理のパーツを拾い集めながら本筋に合流させる、というようなことをする作家なのだ。

 作品によって道順はさまざまだが、いわゆる多重解決と呼ばれる構成も得意にしている。多重解決とは、一つの謎に対して複数の解が呈示されていくやり方のことである。その弱点は、多重解決のための多重解決になってしまうことだ。どう考えても最後の解が正しいはずなのである。だとすれば、最初に提示される解は捨て駒だと読者に軽視されることになる。無駄な部分、なくてもいい遊びがあるのは小説としてまずいだろう。この構造的な欠陥をどうすれば解消できるか。白井はそのことをずっと考え続けてきたはずである。

 そこで『名探偵のいけにえ』だ。「人民教会殺人事件」という副題がついているのは、本作が1978年11月にガイアナで起きた人民寺院事件をモデルにしているからだ。カルト教団を率いるジム・ジョーンズはアメリカにいられなくなり、信徒と共にガイアナへ移住した。そこで集団自殺を図り、ジョーンズを含む914人が死亡したのである。本作に登場するのはジム・ジョーデン率いる狂信者の集団だ。ジョーデンが奇蹟を起こすと信じるものたちは、欠損した四肢さえも再生するのだと語る。彼らの住むジョーデンタウンが物語の舞台となるのである。

 短い序章のあと「前日譚」「発端」「訪問」と章が続き「一日目」の章になる。「前日譚」は1978年の日本が舞台だ。本編の大部分で視点人物となる大塒宗(おおとやたかし)は私立探偵である。クニオというおじに触発されて、大塒は探偵を志した。探偵だったクニオおじさんは自分の職業をこう説明した。悪いことには二種類ある。やったらいけないことと、見つかったらいけないことで、警察は前者を捕まえ、探偵は後者を見つけるのだと。大塒も長じて探偵になり、見つかったらいけないことをしている者を見つける仕事をしようとした。しかし運命が狂う。有森りり子という東大生が押しかけ助手になったからだ。

 新興宗教に家庭を壊された過去を持つりり子は、教祖に復讐する機会を窺っていた。大塒の助手になることで、それを実行する手段を得たのである。りり子の活躍で探偵として大塒は名前が売れてしまい、やったらいけないことをした者を捕まえる仕事まで舞い込んでくるようになる。

 そのりり子が失踪し、なぜかガイアナ共和国のジョーデンタウンにいることがわかるのが「発端」で、彼女を連れ戻そうとして大塒が行動を起こすのが「訪問」の章である。なぜりり子がジョーデンタウンにいるのか、という細かい説明は省く。以降「一日目」「二日目」「三日目」「四日目」と続く章題は、お察しのとおりカルト信徒の町における滞在日数を示している。これだけは書いていいだろう。そこで連続殺人事件が起きる。すべて、現場が密室であったり、どうやって犠牲者を死に至らしめたかがわからなかったりする不可能状況下における犯行である。大塒とりり子のコンビがこの謎に挑むことになる。あらすじで書けるのは以上。

 これも書いていいかと思うが、謎には複数の解が呈示される。それを読んで感嘆させられた。多重解決であることに大きな意味がある展開だからだ。構造の持つ弱点はこの小説には存在しない。なるほど、こうやって展開していけば多重解決は書けるのか、と膝を打つ思いである。いかなる雲上の楼閣も土台からきちんと積んでいけばやがて頂きに至る。そのことを思い知らされる思いがした。

 もう一つ感心したのが、冒頭に書いた謎解きの密度だ。この小説の中では、手がかりとして使用されない描写は一切ないと言ってもいい。すべてのページに意味があり、すべてが謎を解くために用いられる。たとえば「発端」に、りり子を探し回っている大塒が、安アパートの外階段に吐瀉物が落ちている、というくだりがある。最後まで読むと、この何気ない文章にもきちんと意味があることがわかるのだ。げぼ、という表記を白井智之が使う。ミステリー史上最も意味のあるげぼである。

 密度の高さと共に印象深いのは、この文章による織物がただ謎を精緻に解くということだけを目指している点だ。純度が高いのである。イスラム教は偶像崇拝を許さないため、アラベスク織りが発達した。自然や生物などの姿をパターン化した細密な図柄によって空間を埋め尽くすのである。それに似ている。謎を解くための手がかりだけで構成された文章群、他に何も要らない小説というものを白井は目指したのではないか。職人芸、とこの場合は称賛すべきだろう。ウイスキーCMのコピーではないが、何も足さない、何も引かない美しさがこの小説にはある。技巧に心地よく圧倒された。

(杉江松恋)

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