【今週はこれを読め! ミステリー編】危なっかしい23歳の疑似私立探偵小説〜ルー・バーニー『7月のダークライド』

文=杉江松恋

  • 7月のダークライド (ハーパーBOOKS)
  • 『7月のダークライド (ハーパーBOOKS)』
    ルー バーニー,加賀山 卓朗
    ハーパーコリンズ・ジャパン
    1,230円(税込)
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 ひとはいいことをしようと思う。そして間違う。

 もどかしい心の動きがルー・バーニー『7月のダークライド』(加賀山卓朗訳、ハーパーBOOKS)の根底にある。この小説の主人公は23歳のハードリー・リードだ。本名はハーディなのだがhardly「ほとんど~ない」があだなになっている。「あんたと寝たい女の子なんているわけないじゃない、ほとんど」とか言われかねないあだなだ。

 ハードリーは遊園地で働いて生計を立てている。持ち場は〈呪われた西部開拓地〉、お化け屋敷のようなものか。この〈呪われた西部開拓地〉、「建物の窓という窓は割れ、バルコニーはたわんで傾き、羽目板は裂けている」。寂れた遊園地だから、補修にかける予算もないのだ。だが夜の暗さが忍び寄ってくれば、そのぼろさ加減がいい持ち味になる。「思わぬ加減で影が伸び、闇がこぼれて水たまりのように広がる。明かりはほとんどない」。点ける予算がないから。はっきり言って冴えない職場だが、ハードリーは気にしていない。仲間たちとマリファナの煙に頭を突っ込んでいれば、見たくないものから目を逸らしていられるからだ。23歳は、現実を見ずにいてもまだ許される年齢である。

 しかし運命の日が訪れてしまう。駐車違反の罰金を払う期限が来たので、ハードリーは市庁舎にやってくる。支払いではなく、期限を延ばしてもらうために。そうやってなんでも先送りにしてきたのだ。しかし彼は幼い姉弟を見てしまう。彼らの服の下には黒い何かがある。ハードリーは気づく。煙草の火傷痕だ。誰かがあの子たちに煙草を押しつけたんだ。

 児童虐待である。

 それがおそらくは両親によって行われていること、そして誰もまだ気づいていないということをハードリーは知ってしまう。彼はその事実を保健福祉局に連絡する。だがお役所仕事で、すぐに動いてくれそうにない。思い悩んだ挙句にハードリーは決意する。自分で動いて、虐待の証拠をつかむのだと。姉弟が車で連れていかれるときの映像が彼の網膜にはずっと残っていた。忘れられない。一度見てしまったら見なかったことにはできない。

――ぼくの人生にこういうプロットのひねりは必要ない。ベンチのあの子たちに気づかなきゃよかった。彼らに近づかなけりゃよかった。そして何より、人間の想像力では、燃える煙草の先で子供を傷つけるなんてことが思い浮かばないような多元宇宙のひとつに生きていたかった。

――でもここはそうじゃないし、ぼくもそういうところに生きてない。

 ざっくり言えば疑似私立探偵小説である。しろうとが義憤に駆られて捜査を行い、犯罪の証拠をつかもうとする。当然ハードリーは本職ではないから、やることなすことが出鱈目で、時には危い目にも合う。肚の据わったタフガイではないから、暴力を振るわれれば尻尾を巻いて逃げたくなる。そして何より、報われない探偵仕事よりも楽しいことを目の前にぶらさげられれば、そっちを選んでしまう。たとえば、美女との思いがけないお楽しみとか。

 ハードリーがしろうとでだめなのは、自分の正義だけで動いているからでもある。同世代で市庁舎で働くエレノアも、年上で元は私立探偵として活動していたというフェリスも、彼にしろうと捜査を辞めてその道の専門家に任せるように口を酸っぱくして言う。だがハードリーは聞く耳を持たない。なぜ彼が児童虐待にこだわらざるをえないのかは、実は生い立ちが関係していることがわかる。自分も一歩間違えば同じような目に遭っていたところだった。単に運がよかっただけだ、とハードリーは思っているのである。しかしそれ以上に、彼の中には正義へ向かって進みたい心がある。動きだすまえの自分がだめな人生を送っていたことを彼は理解している。正義の行動が自分を導いてくれている気がしているのだ。

 彼は言う。

「ぼくが人生で有意義なことをしたのは、これが初めてなんです。ぼくが有意義になったのは、人生で初めてです。ぼくはいま、なりたかった人間になってる。(後略)」

 こういうつぶやきをいっぱい、あちこちで見ることができる。誰もが世界に後ろめたい気持ちを抱えている。それを償うことができた、自分はもう今までの自分じゃない。そういう気持ちになっている人がたくさんいるのが、たとえばSNSの中ではないか。ハードリーはそういう、自分で自分を許せない無数の「ぼくたち」の一人なのだ。危なっかしいし、時に間違ったこともする23歳から目を離せなくなるのは、彼に自分の影を見てしまうからだ。

 物語は後半で私立探偵小説の定型を外れる。帯に「青春ノワール」とあるのはそういう展開があるからだろう。だが、黒くはない。むしろハードリーは真っ白でありたいのだ。真っ白でいたいのだけどやり方がわからないから、とりあえず行ける方向に突き進んでしまうのである。もしかするとそっちは間違っているのかもしれないのに。

 ルー・バーニーの作品は、これまで『ガットショット・ストレート』(イースト・プレス)、『11月に去りし者』(ハーパーBOOKS)が翻訳されており、後者で英国推理作家協会(CWA)のイアン・フレミング・スチールダガーを受賞、日本でも同作は翻訳者が選ぶ翻訳ミステリー大賞に輝いた。『ガットショット・ストレート』は刑務所から出てきたばかりの男が頼まれて車をラス・ヴェガスまで届けようとしたら、トランクの中に殺される予定の女が入っていた、という話。『11月に去りし者』はプロの犯罪者が思いがけずケネディ大統領暗殺事件に巻き込まれてしまい、口封じを怖れて逃げる羽目になる。どちらも巻き込まれ型のスリラーで、疾走感が素晴らしかった。最新作である本書は少し毛色が異なり、主人公の青臭さが物語の軸になっている。危ない小説から危なっかしい小説ってことか。あ、今うまいこと言った。新境地のルー・バーニー、ぜひお試しいただきたい。加賀山卓朗の訳文がまた、いいんだ。

(杉江松恋)

  • ガットショット・ストレート
  • 『ガットショット・ストレート』
    ルー・バーニー,細美遙子
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    ルー バーニー,加賀山 卓朗
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