【今週はこれを読め! エンタメ編】孤独死したある女性の身元を追うノンフィクション『ある行旅死亡人の物語』

文=高頭佐和子

  • ある行旅死亡人の物語
  • 『ある行旅死亡人の物語』
    武田 惇志,伊藤 亜衣
    毎日新聞出版
    1,760円(税込)
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 共同通信に勤める武田は、記者クラブ勤めから遊軍担当に異動したばかりだ。ネタに困ってアクセスした「行旅死亡人データベース」で数行のある死亡記事を見つける。「行旅死亡人」とは、身元不明で引き取り手のない遺体のことだ。尼崎市の自宅アパートで絶命しているところを発見されたその女性は、推定年齢75歳、身長はわずか133センチ。右手の指が全て欠損していて、3400万円を越える現金を所有していたらしい。年金手帳に記された名前は田中千津子。アパートは夫と思われる男性の名前で契約をしており、四十年近くも住んでいたというが、その男性を見たことがある者はいないという。

 役所、警察、弁護士が調査をしたが、彼女の身元を知る人は見つかっていない。部屋に残っていた関係のわからない人物が映った写真、数字のメモが入った星のマークのロケットペンダントなども謎めいている。つつましい暮らしを続けていたようなのに、なぜ大金を所持していたのか。スパイ活動や、何かの事件に絡んでいるのではないか。武田は同僚の伊藤に協力を求め、田中千津子さんの身元を調べ始める。所持品の中にあった珍しい姓の印鑑に目をつけ、同じ名字の人々を訪ねて広島へ行く。少しずつ縁がつながり、調査のプロたちもたどり着けなかった行旅死亡人の身元がついに判明するのだか......。

 まるでミステリのようだが、これはノンフィクションだ。武田記者も伊藤記者も著者であり、もちろん実在している。千津子さんの身元が判明しても、なぜある時点で交友関係や身内とのつながりを絶ったのか、どのように生きてきたのかは、フィクションのように全て明らかにわかるわけではない。

 だけど、フィクションではないからこそわかることがある。人はどんなに静かに生きていても、誰かと関わり、時代に翻弄され、社会になんらかの足跡を残すということだ。家賃を受け取っていた大家さんや幼なじみはもちろん、一度も会ったことのない親族にも、千津子さんが生きて存在していたという記憶や形跡は何らかの形で残っている。そして、彼女の存在に気がつき、ただならない熱意で取材をした記者たちにより、多くの人の心を動かす存在となった。

 見ず知らずの新聞記者が自分の過去を探るなんて、千津子さんは思いもよらなかっただろうし、身元がわかってしまうことは望んでいなかったかもしれない。子どもの頃一緒に学校に通った友達が懐かしく思ってくれていたことも、同じ職場で働いていた人がきれいな人だったと覚えていたことも、知らないままこの世を去ってしまった。でも、それはどんな人も同じなんじゃないかと思う。自分しか知らないことと、自分も知らないことが重なり合って、人生はできている。それが無数に集まって、社会が成り立ち歴史が作られていく。好奇心だけで読み始めたが、意外な感慨に辿り着いてしまった。

 部屋にはベビーベッドがあり、その上には大きな古い犬のぬいぐるみがあったという。きっと長年大事にしていたのだろう。このぬいぐるみが、一番近くで千津子さんを見守っていた存在だったのではないか。誰にも言えない気持ちを打ち明けたりしていたかもしれない。そんなことを考えると、自分には無関係なはずの千津子さんが、とても身近な人のように感じた。

(高頭佐和子)

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