【今週はこれを読め! エンタメ編】読者の心を剥き出しにする物語〜須藤古都離『ゴリラ裁判の日』

文=高頭佐和子

 発売前から大きな話題となっていたメフィスト賞受賞作である。主人公の名はローズ。言葉を話すゴリラだ。動物がしゃべると言っても、ほっこりするような場面はほとんどない。荒唐無稽さを楽しむ小説ではないし、SFやファンタジーともちょっと違う。2016年に実際に起きた「ハランベ事件」に着想を得ていると言うこの小説は、いつか起こるかもしれない問題を予感させる物語であり、読む者の心を剥き出しにする力を持っている。

 アメリカのとある動物園で、その事件は起こる。親が目を離した隙に4歳の男の子が柵を越え、ローランドゴリラが住むエリア内に落ちる。近くにいた群れのリーダー・オマリが、子どもの安全のために射殺されたのである。オマリは周囲の騒ぎに混乱したものの、子どもに対する殺意はなかったと思われる。罪のない命がなぜ奪われたのか。オマリの妻であるローズは、納得することができない。特殊なグローブを手にはめて手話をすると、音声になるという仕組みで人間と会話をすることができるローズは、動物園を相手に裁判を起こすが、人間の命が優先という理由で完敗してしまう。判決後、報道陣に囲まれ彼女は言う。「正義は人間に支配されている」と。

 カメルーンのジャングルで育ったローズが、なぜアメリカの動物園で暮らしているのか。どうやって高い知性や手話を身につけ、人間と言葉で交流ができるようになったのか。それは、ぜひ小説を読んで確かめてほしい。ローズは、大自然の摂理の中で群れの仲間に囲まれ、躍動感あふれる日々を過ごす一方で、研究所で人間と交流して様々な情報に触れ、次第に別の世界での生活を夢見るようになる。その心境の変化と、気になる異性への思いやアイデンティティの問題に悩む姿がみずみずしく描かれ、いつの間にかローズは、野生のゴリラでありながら感性豊かな一人の女性として、読者である私の前に存在していた。

 アメリカに渡り新しい世界に馴染む一方で、人間の欲望と野心、偏見と狡猾さに触れ、ローズは戸惑う。そこにただ絶望するのではなく、経験と知性と信頼できる人間の協力を武器に、自分なりに闘おうとする純粋さに心打たれずにはいられない。ゴリラが人間と対峙するという設定を自然に受け入れられたのは、著者のリアリティを追求した描写の素晴らしさと、ローズの怒りが、かつて差別される側にいた人間も味わってきたもの同じであることに気がつかされるからだ。

 人種や身分の違いで、人間が人間を奴隷として扱うことが当然とされていた歴史がある。日本で女性が参政権を持ったのは戦後のことで、男女雇用機会均等法が制定されてからはまだ40年も経っていない。現在は当たり前のものである権利が認められるまでには、たくさんの人々の悔しさと怒りと苦労がある。今も人間の心の中にある根深い差別意識をなくすことは困難だが、世の中は変わっていかなければならないと私自身も思ってきたはずだ。

 では、人間とゴリラの違いとはなんなのか。そもそも人間とはなんなのか。他の動物より本当に優れているのか。優れているという理由で、何をやってもいいのか。突き詰めるほどわからなくなり、自分の中でさまざまな感情がぶつかり合った。フィクションならではのやり方で著者が突きつけてきたいくつもの難しい問いが、私の中に新鮮な葛藤が生んだことに、とても興奮している。このスペシャルな読後感を、ぜひ多くの読者に体験していただきたいと思う。

(高頭佐和子)

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