【今週はこれを読め! エンタメ編】現代のヒーロー・済東鉄腸の大冒険〜『千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説家になった話』(左右社)

文=高頭佐和子

  • 千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説家になった話
  • 『千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説家になった話』
    済東鉄腸
    左右社
    1,980円(税込)
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 良い物を読んだ......とひとりしみじみしている。本の感想を滅多に伝えてこない同僚が「これは面白かった」と言っているし、帯コメントが敬愛する岸本佐知子様だしね、と軽い気持ちで手に取ったのだが、想定外に心が動かされ、学ぶことの多い一冊だった。

 著者の済東鉄腸氏は、92年生まれ千葉県在住の引きこもりである。生まれてから今まで、東京と千葉以外のところに出かけたことほとんどない。時々外出したり人に会うこともあるが、現在は難病を抱えていることもあり、せいぜいが近所の図書館やモールだという。そんな彼が、ルーマニア語で小説や詩を書き、現地の文芸誌に発表されたりしているって......、いったい何が起こったのか。その顛末が、味が濃いめのスープのような俺文体で綴られているのが本書である。正直、最初はちょっとくどいと感じた。だが、数ページ読み進めただけで、そこには思っていた以上にさまざまな材料が使われており、初めて味わうんだけどどこか懐かしい芳醇な味わいが広がっていくことに気がついた。この味付けはむしろベストマッチ。最後にはその濃厚さに心が弾んでいた。

 震災、失恋、就活の失敗などを経て、大学を卒業してから本格的に引きこもりとなった著者は、自室で映画を観まくり、映画批評を読みまくるようになる。溢れ出る自意識を、日本未公開の映画を観て自ら批評を書きまくるという行為によって放出させていた。その中でルーマニア映画にハマった彼は、もともと語学オタクだったこともあり、ルーマニア語を習得したいと考えるようになる。とはいえ、日本ではルーマニア語のテキストも少ない状態だし、自分は引きこもりで留学も難しい。普通なら断念するところであるが、彼は決して諦めない。どうすればいいかをひとりで考え、手始めに、Facebookで4000人くらいのルーマニア人に友達リクエストを送るのである。て、手始めに4000人⁉︎

 そこから始まる彼の大冒険と夢の達成については、ぜひ本書をお読みいただきたいが、とにかく恐るべき読書量と映画鑑賞量、そしてコミュニケーションの体当たりぶりに驚くのである。そこまで彼を夢中にさせたルーマニアの文化と受けいれてくれた人々に対する好奇心が芽生えたことはもちろんだが、今の時代に役に立つコミュニケーション術や、語学の習得法、メンタルの鍛え方、目標を設定しモチベーションの高める方法など、学ぶことの多い一冊でもあった。

 何かをすごく好きだという気持ちを、持ったことがある人は多いのではないだろうか。だけど日常に流され、能力や時間や経済力に限りがあることを知って、「ここまで」と線を引いてしまう。限界を見極めず追求する人は、よほどわかりやすく才能があったり恵まれている人を除いては、身のほど知らずのバカなのだとどこかで思っていた。中学生の頃、志賀直哉の「清兵衛と瓢箪」という小説が好きだった。瓢箪を磨くことにやたら熱心な少年を、大人たちは理解せずとりあげてしまう。だが、その瓢箪に実はすごい価値があったという話だ。清兵衛の気持ちで読んでいたはずが、瓢箪をとりあげる側の大人に、いつの間にか自分もなってしまっていたのかもしれない。

 自宅の部屋からほぼ移動することもせず、大切な物を決して手放さず大事に育てた済東鉄腸氏を、現代のヒーローと私は呼びたい。最後の一文には、図らずも心が熱くなってしまった。ストレートで暑苦しい言葉が、心にまっすぐ突き刺さる。

(高頭佐和子)

  • 清兵衛と瓢箪・小僧の神様 (集英社文庫)
  • 『清兵衛と瓢箪・小僧の神様 (集英社文庫)』
    志賀 直哉
    集英社
    627円(税込)
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