【今週はこれを読め! コミック編】描きたいものを描くために〜史セツキ『日本の月はまるく見える』

文=田中香織

  • 日本の月はまるく見える(1) (モーニング KC)
  • 『日本の月はまるく見える(1) (モーニング KC)』
    史 セツキ
    講談社
    759円(税込)
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10年ほど前、出版社勤務の友人が中国へ転勤したのを機に、北京へ遊びに行った。当時書店に勤めていた私は、他国の出版流通や創作事情に興味があった。だから北京にある書店や問屋を覗くかたわら、友人の紹介で現地の漫画編集者に話を聞く機会をもらった。

驚いたことに中国の出版社で編集者になるには、国家試験を受けて資格を取る必要があった。「出版专业资格」と呼ばれるそれには、初級、中級、高級の三段階があり、作品の責任校了(=責了)をする編集者は、その担当に応じて必要な級が異なる。民間の出版社の場合、責了をしない者は無資格で働くこともあるが、国営の出版社では資格の有無が昇格や昇給に影響するため必須らしい。私にとっては、初めて目にする「言論統制の仕組み」だった。

編集の場にそういった制限があれば、必然、描き手の側にも縛りは生じる。26歳の女性・夢言(ムゲン)はしがない漫画家。今は自宅で、母親のすねをかじりながら細々とBL(ボーイズラブ)漫画を描いている。幼い頃に読んだ作品をきっかけにBL漫画を知った彼女だが、同性同士の恋愛表現に対し規制が厳しくなった今では、自分の思い通りに描くことはできなくなってしまった。

本作のタイトルは中国のことわざに由来する。「外国の月の方が丸い(外國的月亮比較圓)」、日本で言えば「隣の家の芝生は青い」に近いこの言葉は、夢言の心を的確に言い表している。国の規制がまだ緩かったころ、日本の会員制ウェブサイトで、「野火曠夜(のびこうや)」というペンネームで作品を発表していた彼女にとって、描きたいものを描くことができる日本は憧れの地だった。

本作が初連載となる著者は、一人っ子政策をテーマに描いた『嘘をつく人』で、第80回ちばてつや賞一般部門奨励賞を受賞。その後、本作のプロトタイプとなる『往復距離』を発表した。どの作品にも、中国に生きる人々が直面する「今」が描かれている。

それは漫画の話だけでない。たとえば娘の将来を案じた夢言の母が足を運ぶのは、街の公園にある「相親角(ソウシンカク)」と呼ばれる婚活の場だ。そこでは貼り出された釣り書きを確認したり、写真をスマートフォンで見せたりしながら、「子供の結婚を急ぎたい両親たちが情報交換する」という。文化の違いに思わず目を見張るが、夢言の母はそこで、娘の同級生・致遠(チエン)とその親に再会し、娘の結婚相手として彼に白羽の矢を立てる。

BL漫画を描き続けたい夢言と、かつて彼女の描いた作品を激しく嫌悪した致遠。深い溝があるかのように見えた二人の関係性は、日本の編集者から長い時間を経て届いた夢言への連載依頼をきっかけに、少しずつ変わっていく。はたして夢言は、日本で連載にこぎつけることができるのか。そして二人の未来は──。

今までもこれからも誰かに咎められることなく、読みたいものを読み続けたい読者の一人として、彼女の奮闘を他人事とせず「どうか描きたいものが描けますように」と祈りながら、物語の続きを見守っている。

(田中香織)

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