作家の読書道 第95回:上橋菜穂子さん
大人から子供まで圧倒的な人気を誇る『獣の奏者』を完結させたばかりの上橋菜穂子さん。代表作に「守り人」シリーズや『獣の奏者』がある。ファンタジー作家というイメージがあるかもしれないが、ご自分では、「ファンタジー」を書いているという意識はないという。幼い頃から読んできたもの、感じてきたこと、文化人類学についてのお話を聞くと、それも必ず納得できます。インタビューは現在教授として勤めている川村学園女子大学の研究室で。非常に楽しいひとときとなりました。
その2「イギリスの児童文学の魅惑」 (2/6)
- 『はるかなるわがラスカル (小学館ライブラリー)』
- スターリング ノース
- 小学館
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- 『時の旅人 (岩波少年文庫)』
- アリソン アトリー
- 岩波書店
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- 『新版 指輪物語〈1〉旅の仲間 上1 (評論社文庫)』
- J.R.R. トールキン
- 評論社
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- 『グリーン・ノウの子どもたち (グリーン・ノウ物語 1)』
- ルーシー・M. ボストン
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- 『イシ―二つの世界に生きたインディアンの物語』
- シオドーラ クローバー
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――寝てくれた友達も友達ですねえ(笑)。小説は他にどのようなものを。
上橋 : 海外ものはよく読みました。『はるかなるわがラスカル』はアニメの『あらいぐまラスカル』があったから手に取ったんだけれど、原作も、ものすごく面白いんですよ。私の中ではスターリングノースはアニメの顔でなく、リアルなアメリカの少年のイメージ。
――あ、ここに『はるかなるわがラスカル』の現物が...。って、オビに「アニメ放映中」ってありますよ! アニメ放映は70年代後半だったのではっ? 物持ちがいいー!!
上橋 : ずっと大切にしている本なの。イギリスの児童文学ですごく好きだったのはアーサー・ランサムの『ツバメ号とアマゾン号』のシリーズや、フィリパ・ピアスの『トムは真夜中の庭で』や『ハヤ号セイ川をいく』。ピアスは日本に来たことがあって、講演にも行きましたが、ボートを繋いでいるもやい綱の湿り気や汚れまで感じないと書けない、と言っていて、私もそうなので、その感覚はすごく分かるなあと思いました。あとはアリソン・アトリーの『時の旅人』とか。イギリスお得意のタイムファンタジーなんです。現代のロンドンに住んでいる女の子が農場を訪れた時に、タイムスリップしてメアリ・スチュアートの時代のメイドになるんです。日常生活の中で歴史を見るんですよね。あの感覚がすごく好き。歴史の中で生きている人間のリアルを感じさせると同時に、すべてが流れの中の1点にすぎないんだなと感じさせるものとして面白かった。そして、最高にはまったのが、ローズマリ・サトクリフ。『第九軍団のワシ』『ともしびをかかげて』『運命の騎士』とか。
――イギリスの児童文学には数々の名作がありますね。
上橋 : 私に一番大きな影響を与えてくれたのは、サトクリフとトールキンだと思います。『指輪物語』は本当にビックリ仰天しました。『ゲド戦記』もすごいと思ったんだけれど、作者がどう物語を描いたのかが分かる感じがしたの。でも『指輪物語』は、書いている本人も分かっていないだろうなと思わせる、荒馬を制御できていない感じがあって、そこが好きなんですよ。それと、L・M・ボストン夫人の『グリーン・ノウの子どもたち』が大好きで。高2のときに訪ねていっちゃったの。
――えっ!イギリスに?
上橋 : 幸運だったんですが、当時、高校で英国研修旅行21日間という企画が組まれたんです。で、親に行かしてくれって頼みこんで(笑)、親にとっては大変な出費だったんだろうと思うんだけど、気もちよく行かせてくれました。娘がいかにイギリス児童文学にハマッているか知っていたからだと思うんですけれど。イギリスに行かれることになったので、事前にファンレターを書いたんです。英作文は大の苦手だったんで、帰国子女の優しい友だちに「学食でパンおごるからさー」と頼み込んで、英訳してもらって。「何月何日にその近辺におります」ってことも書いたんですよね。そうしたら返事が来て、「この日は家におりますからぜひいらっしゃい」って。
――うわー!!
上橋 : 作品は13世紀からある家が舞台で、そこで現代の子供がかつての子供たちの暮らしの中に入っていくというタイムファンタジーなんですけど、彼女が住んでいる家が舞台だったんです。60歳を過ぎてから小説を書き始めた人で、当時は80歳を越えていたと思うんですけれど、豪快な方で、家の中を案内してくださりながら、これがルーン文字よ、これが何々よ、と教えてもらって...。物語の世界がすべてそこにあった。ラベンダーの匂い、石鹸の匂い、紅茶の匂い、暖炉の匂い、古い木や石の匂いが交じり合っていて。私は本を読んでいた時に、確かにこれを感じていたなって思った。そうか、時間を行き来するような空想をふくらませた物語であっても、あの物語世界は、ものすごいリアリズムを持って書かれていたんだなって気づいたんです。人には、なんというか、暮らしている世界と自分が繋がっていると感じるツボがあると思うんですけど、彼女はそれを的確にとらえて描写していたんだなって。それは大きな経験でしたね。イギリスの児童文学は本当にたくさん読みました。アーサー・ランサム、アラン・ガーナー、フィリップ・ターナー、スーザン・クーパー...。もちろん児童文学だけでなく『嵐が丘』なんかも読みましたね。連綿と続く人の何か、が好きなものですから。
――イギリス以外の小説はどのようなものを。
上橋 : 考えてみると、私の中学・高校時代って、ヘッセやトーマス・マンなんかを、多くの人が読んでいた気がします。『車輪の下』とか『魔の山』とかね。『ジャン・クリストフ』なんかも全巻読んだなぁ。スタインベックが好きだったし、ドストエフスキーも読みました。『モンテ・クリスト伯』のデュマも。バルトス=ヘップナーの『コサック軍シベリアをいく』と『急げ草原の王のもとへ』を読んだ時の衝撃も忘れられないですね。シベリアを遠征していくコサックの側から書いたのものと、コサックが入ってきたから何とかせねば、というタタール側から書いたもの、両側が見えるんですね。物語の主人公それぞれが、こちら側から見た時は敵になっている。向こう側から見た時にこちら側の見えなさ、他者性というもに、ひざを打つような感覚があって。歴史の出来事というのはこういうものだ、当事者によってまったく違うものになるんだ、と思いました。あとは『ゲド戦記』のル=グウィンのお母さんの、文化人類学者のシオドーラ・クローバーの『イシ――北米最後の野生インディアン』。子供向けのものは『イシ 二つの世界を生きたインディアンの物語』というタイトルになっているんですけど。高校の時に読んで、これも大衝撃でした。ヤヒ族の最後の一人のお話なんです。その言葉を話す最後の一人。最初に「何年も後に、遠い世界に住む人々が、かつてヤヒ族がどんな言葉を話しどんな神々や英雄をあがめてどんな生き方をよしとしていたか、知ることができるように」という言葉があって、今読むとこれはまさに、当時の文化人類学者らしい言葉だなって思います。文化変容の中で、もしも日本語を話す最後の一人になったら、と考えると、むき出しの衝撃を覚えますよね。