第95回:上橋菜穂子さん

作家の読書道 第95回:上橋菜穂子さん

大人から子供まで圧倒的な人気を誇る『獣の奏者』を完結させたばかりの上橋菜穂子さん。代表作に「守り人」シリーズや『獣の奏者』がある。ファンタジー作家というイメージがあるかもしれないが、ご自分では、「ファンタジー」を書いているという意識はないという。幼い頃から読んできたもの、感じてきたこと、文化人類学についてのお話を聞くと、それも必ず納得できます。インタビューは現在教授として勤めている川村学園女子大学の研究室で。非常に楽しいひとときとなりました。

その4「文化人類学を知る」 (4/6)

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――上橋さんは文化人類学者としてアボリジニの研究などもされている。この経緯はどういうものだったのでしょう。

上橋 : 大学に入ったときは、西洋史をやろうと思っていたんです。古代ギリシア史。立教に入ったのも、ギリシア史の有名な先生がおられたから。......しかし。

――しかし?

上橋 : 言語がダメだったんですねえ。例えば古代ギリシア語をやると考えると、気が遠くなっちゃって(笑)。本来の学者としては、ワクワクすべきことなのにあえなく玉砕です。それでゼミをうろうろしていて、文化人類学に出合いました。そのゼミが山口昌男さんの『アフリカの神話的世界』をやっていて、驚いたんですよ。私にとっては「アフリカの神話」というのは盲点だったから。それまでギリシアやケルト、北欧や日本の神話に関する本はよく読んでいたけれど、人が住んでいるところには神話があるはずなのに、アフリカやアジア、南北アメリカ、南太平洋などの神話は、まったく知らなかった。世界はこんなに広いのに、なんて情報が偏っているんだろうと思ったんです。

――それで興味を持った、ということですね。

上橋 : そう。それとね、文化人類学というのは、我が身で経験せよ、という学問なんですよ。本で読んだ知識のみで構築していくのではなく、同時代の生きている人々の文化をいかに考え、いかに書くかということが大切になってくる。ジェイムズ・クリフォードとジョージ・マーカスの『文化を書く』などを読むと、「書く」という行為について人類学者が何を悩んでいるかが感じられると思います。大学院に入りたての頃は、「生活や社会をどう捉えるか」を考えていて、文化人類学以外にも、たとえばアルフレッド・シュッツの『現象学的社会学』とか、エスノメソトロジーとか、様々読みあさりましたね。人類学者は、たったいま生きている人々のことを書く。何かを記述するというのは、書く側の人間のありとあらゆることに関わってしまうものだから、考えなくてはならないことは膨大にあって......。

――しかも現代のこととなると、つねに変化していっているものが研究対象なわけですね。

上橋 : そう。常に変わり続けるものを相手にしている。聞き取り調査をしていても、昨日言ってたことが、今日は変わるかもしれない。融通無礙の中で変容していくものが対象なんです。 研究者の思想は、決して完成はしないんでしょうね。そして私という人間も、未完成なまま消えていく。これは『獣の奏者』にも繋がるかもしれませんが、それでも、完成しないからといって、あきらめてしまえば、何かが見えなくなる。例えばギリシアの哲学者が一生かけて考えたことを、それを研究する人はまた一生かけて考える。そんなことをしていて、それが無駄なのかというと、じゃあ無駄って何なのか、ということですよね。

――具体的には、どんな研究をなさってたんですか?

上橋 : 修士のときは月経不浄観や女性忌避のことを研究してましたね。命を生み出す大切なものなのに、世界の各地で月経を穢れとする意識がある。それをジェンダーの話で論じられることが多かったのだけど、私にはそうかなあという気持ちがあって。私は、きれいな図式で納得することを怖いと思うんです。だからひとつひとつ、個々の事例を見てみようと思ったんですね。それで本土と沖縄、青ヶ島から、血を穢れとしているいろんな事例を出して比べてみたんです。調査は楽しかったですね。沖縄のおじいやおばあが優しくって(笑)。おじいおばあに可愛がられている上橋を見た恩師(指導教官)が、博士でやるなら言葉が通じないところで研究テーマを広げてみてはどうかとおっしゃってくださって。それで、私もやってみようと思いました。それは、作家になるためにも大切かなと。作家になりたいと思いながら、書いていいのかという怖さがあったもんで。

――書いていいのか、というのは。

上橋 : 私にとっては、作家というのは遠い存在だったんですよ。3冊くらい本が出せて、しかもその本が本の世界の人たちに評価されて「こいつは作家と呼んでいいだろう」と、他者から言われてはじめて名乗っていいものだ、と考えていたんです。それまでは作家を目指しているなんてことを言うのはこっ恥ずかしい。だから、よほど親しい人に漏らすくらいならともかく、堂々と「私は作家になりたいんですけど」なんて、絶対に言うまいと思っていました。それにね、当時、自分はまだ作家になれるほどの者ではない、という感覚があったんです。戦争を経験したわけでも、両親が離婚したわけでも、極貧の飢えを経験したわけでもない。私の経験というのは本当に生ぬるい日常の中にあって、こんな人間の書いたものが何ほどのものだろうと思っていたんです。若いですよねえ(笑)。だから、まったくの異文化というものの中に一人で入って、助けてくれる家族や友人や先生のいない中で一から人間関係を作る、という経験はしてみたいな、って思ったんです。 そんな中でアボリジニのことを考えはじめた。狩猟採集民として長い歴史を辿ってきた彼らが、イギリスの植民地となってしまった大陸で、どう生きてきたのか。異文化の「国家」に呑みこまれた先住民の経験と選択、その果ての今を知りたいと思った。でも、アボリジニの暮しの中に、どうやって入ったらいいかわからなかったんですよ。それで、とりあえず、インターンシッププログラムスに参加して、ボランティアで日本文化について教える小学校の先生になりました。西オーストラリアの小さな小学校が唯一、アボリジニの生徒がいて、先生の募集をしていたんです。それが最初ですね。

――博士論文は?

上橋 : 「ヤマジー」という人たちについての研究です。彼らは、長い間白人の牧場で労働者として働いてきながら、隔離政策や差別を受け、しかし半ば同化する機会もあり、という複雑な現象を辿った人たちだったんです。私が入ったのは1990年。去年、今年とは行けなかったんですが、その後毎年行っていました。

――ああ、論文にいろんな写真が掲載されていますね。教え子とか、街の人々とか。

上橋 : (写真の老人を指して)この長老が格好よくて(笑)。もう亡くなってしまったけれど。本当に様々なことを教えてくださいましたよ。
 あ、アボリジニの本では、サリー・モーガンの『マイ・プレイス アボリジナルの愛と真実の物語』もありますね。彼女が自分の祖母から聞いたライフヒストリーなんだけれど、アボリジニが書いたものでベストセラーになった本ですよ。

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