
作家の読書道 第186回:澤村伊智さん
日本ホラー小説大賞を受賞したデビュー作『ぼぎわんが、来る』(「ぼぎわん」を改題)が話題を集め、その後の作品も評判を呼んで日本ホラー小説界期待の新星として熱く注目されている澤村伊智さん。実は幼少の頃から筋金入りの読書家です。愛読してきたレーベル、作品、作家について、がっつりお話くださいました。読み応え満点!
その5「ホラーの大家」 (5/9)
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- 『ミザリー (文春文庫)』
- スティーヴン・キング
- 文藝春秋
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――そして、中学生になる頃は......。
澤村:中学になる前に確か、スティーヴン・キング『ミザリー』を読むんです。ハードカバーが1990年に出てるので、時系列的にも矛盾は無かろうかとも思うんですが。そこから中学に入った頃にはスティーヴン・キングは読んでた気がするんですが、今文庫で出ている『ダークタワー』読んだあたりでいったん飽きてしまったっていうか。今になってみると、読み直したいと思いますね。当時はまだ本の楽しみ方が幼くて、ディテールや心情描写がすごく丁寧なのが退屈に感じられたんでしょうね。でも『ミザリー』は面白かった記憶があります。『デッド・ゾーン』は大人になってから読んだほうがよっぽど楽しいです。他に中学時代は、漫画ぐらいしか読んでなかった記憶が。高校時代のほうがよっぽど憶えています。
――では、高校時代のお話をぜひ。
澤村:高校に入るか入らないぐらいの時に、当時キングと双璧を為していたディーン・R・クーンツ先生の著作を知り、読み漁るわけです。『ストレンジャーズ』『ウォッチャーズ』から。ある意味キングと逆じゃないですか。プロットの面白さで引っ張るというか、物語がぐいぐい展開していくので「ああ、キングより絶対こっちの方が面白いわ」って思って読んでたんですけど、数を重ねるごとに、全部同じ話だって気づくんですよね(笑)。心に傷を負った男が心に傷を負った女性とある事件をきっかけに出会い、事件の解決とともにその傷も癒え。ああ、そうですかって。まあ、いいんですけど、それがサスペンス寄りのものであっても、超常的なものが出てくる話であっても、大体一緒だなって思ってしまって。
――自分がホラーが好きだとか、怖い話が好きだとかいう自覚はあったわけですね。
澤村:ああ、それは何となくありました。学校が薦めてくれるような本は全然興味が無いんだなって(笑)。あと、ドラマでやってるような話は全然興味ないって。そうですね、唯一面白かったのは、小学校の頃にやってた「101回目のプロポーズ」ぐらいじゃないですか。あれは母親に無理に起こされて、兄弟そろって見せられたっていう。
――あはは。怖いものが好きとなると、楳図かずおさんやつのだじろうさんとか、結構怖い漫画の系譜ってあるじゃないですか。
澤村:ああ、子供の頃にたまたま読んで、滅茶苦茶怖かったやつが大人になってから日野日出志だって分かるといったことはいくつかありました。当時、うどん屋とか飲食店とかで普通に置いてあって、それ読んで「うわー、怖い」って夢にまで見たやつが大人になって調べたら日野日出志の『恐怖のモンスター』だったっていう。人造人間というか、深海魚を人造人間化する話ですよね。あと、耳鼻科に行った時に唯一読める漫画雑誌が1冊あって読んでたらそれがホラー系のやつで。女の人がカラスに舌をついばまれるっていうとんでもないえぐいシーンがあって、「うわーっ、すげえもの見ちゃったな」って思ったことがあったんですけれど、30歳を過ぎたあたりで、それが楳図かずお先生の『神の左手悪魔の右手』だったって分かりました。
――中高時代って何か部活はしていましたか。
澤村:中学の時は卓球部でした。そんなに真面目じゃなかった気がするんですけどね。高校の頃はサッカー部やってました。一応部活をやりつつ、部活とか友達と遊ぶ約束の無い日には図書館に行ってクトゥルー神話に出会う、という感じでした。それは高校1年の終わりか2年だったかな。
――お話伺ってると、相当充実した図書館ですよね。
澤村:いやあ、どうなんでしょうね。何かありましたよって感じですよ。宝塚市立図書館です。クトゥルー神話、具体的な書名でいうと、国書刊行会から出ていた、『ク・リトル・リトル神話集』です。クトゥルーもののアンソロジーなんですけど、「こんな世界があるのか」って思って、それから東京創元社さんから出ていた『クトゥルー』っていうそのままのタイトルのアンソロジーや、当然『ラヴクラフト全集』とか、図書館にあるラヴクラフト関係の本を読み漁り、それを読む中で「ああ、小学校の時にポプラ社とかで読んでたあれは、ラヴクラフトだったんだ」と気づいたりして。その過程で、高2の時にこの本に出会うんですが(取り出す)。買い直したやつなんですけど。
――東雅夫さんの『クトゥルー神話事典』。ホラーや怪奇の評論や編集といえば東さんですよね。
澤村:これは日本も含めて世界中のクトゥルー神話作品のことが載っているインデックスですね。ここで初めて東さんの存在を知るんですよ。読んで、これを手掛かりにまた他の本を読みました。批評も載っていて、ただの辞書ではなくて作品解説にもなってたりするので、面白いんです。
その後大人になっても手に取る本、手に取る本、結構な割合で東さんの名前が出てきて、「東さんって人はすごい人なんだなあ」と思っていたので、最近、リアルで会ったりメールでやり取りしたりしてるんで、すごいことになってきてるなって思ってます。不思議な話だなって思って。というわけで、キングからクーンツを読み飽きてラヴクラフト、クトゥルー神話に行ったっというわけです。
――そこまでクトゥルーにはまったっていうのは、何が良かったんでしょう。
澤村:SFっぽくもあるし、ホラーっぽくもあるしって感じで。少なくとも当時の自分の趣味にはまってましたよね。霊ではない超自然的な存在で、しかも宇宙の果てから来るってかっこいいし、で、何か気持ち悪いし。何冊も読んでるとそのやり口は見えてくるんですけれども、そのお話の作り方とか。最後にフィニッシュストロークをかますタイプの人なんだな、とか分かるんですけど。当時はこの世ならざるものとかがちょろっと立ち現れるだけで人間がギャーってなる、そのさじ加減も好きでした。直接は立ち上がってこないけれど設定としては壮大な物語があるし。いろんな神様の名前も面白いなって思って。
たとえば、オーガスト・ダーレスとかはすぐに飽きちゃうんですよね。何ですか、臆面の無い感じが。宇宙の果てまでぴゅーんと飛んでいって悪い奴をぼーんと倒して帰ってきたぞ、みたいな話をやるんで、そっちよりもラヴクラフトのような「ああ、怖いよ死にたいよ」「ああ、恐ろしい、恐ろしい」みたいな話のほうが好きでした。「私はひょっとして魚人の血を受け継いでいるのではないか。ああ、怖い怖い」みたいな話。クトゥルー神話に乗っかって面白い活劇をやっている話よりは、怖がらせる気満々でやってるやつの方が好きでした。だからラヴクラフトの作品の中でもクトゥルー神話ではないものも結構好きでした。『エーリッヒ・ツァンの音楽』だったかな、頭のおかしくなったバイオリニストの話ですけど、それも結構印象に残ってるし。クトゥルー神話だから何でも好きって話でもなくて、ラヴクラフトの暗い感じとか、しつこい感じとかが好きだったかも知れないですね。でも一回クトゥルーを絵に描いてみようと思って描いたら、すごいダサかった。イカかな、タコ、エビかなっていう。もちろん、自分の画力の問題もあるんですけど、エビとかイカとかタコとかがあんなに気持ち悪く書けるのは逆にすごいなと思って。
――えっと、それが高校生の頃でしたっけ。
澤村:そうですね。それと並行して、東京創元社の本ばかりで申し訳ないんですけど、ジョナサン・キャロルの作品を読むようになりました。ダークファンタジーっていうんですかね、死神が出てきたりする話です。『死者の書』とか、『天使の牙から』、『沈黙のあと』、『黒いカクテル』、『パニックの手』...。とりあえず図書館にあるやつは全部読んだところでちゃんと落ちる話が少ないって分かったんですけれど。翻訳の文章なので原文がどうかは分からないんですけれど、ラヴクラフトはまったりしてるんですけど、ジョナサン・キャロルの翻訳はちょっと吹き替えドラマ調で軽いですよね。体言止めとか使ったりして。比喩表現とかが「ああ、外国のドラマみたいだなあ」って感じで。突飛な比喩が外国っぽいって思いました。会話はすごく軽いんですけど、確か『天使の牙から』と『われらが影の声』はすごいショックを受けた記憶があります。
『天使の牙から』は、癌で余命宣告を受けてるような人たちが死神に連日のように「お前はもうすぐ死ぬぞ。わはははー」って脅される。これは長編なんですけど、最後の最後にその死神をある一言で打ち負かすんですよ。「ええっ」、「そうか」って思うんですよね。決して作品世界だけで完結している話ではなくて、「確かに」って感じなんです。やっぱり鬱屈した人生を送っていると、どうしても生き死にのこと考えたりするんですけど、それを一発で打破するような感じなんです。「いかにして死と向き合うか」みたいな話なんですけど、それがちょうどはまった感じですね。
『われらが影の声』っていうのは、ほぼホラーって言っていいと思います。最後にめっちゃ恐ろしい展開になるんです。どんでん返し的な展開で、「それは辛いわー」となる。あんまり話が落ちないこの人の話の中ではがっつり落ちてる感じの話ですね。