第197回:小野寺史宜さん

作家の読書道 第197回:小野寺史宜さん

2006年に短篇「裏へ走り蹴り込め」でオール讀物新人賞、2008年に『ROCKER』でポプラ社小説大賞優秀賞を受賞してデビューした小野寺史宜さん。「みつばの郵便屋さん」シリーズなどで人気を得、今年は孤独な青年と人々とのつながりを描く『ひと』が話題となった小野寺さん、実は小学生の頃から作家になることを意識していたのだとか。その背景には、どんな読書遍歴があったのでしょう?

その4「あの雑誌のあの欄に投稿!」 (4/6)

  • 城 (新潮文庫)
  • 『城 (新潮文庫)』
    フランツ・カフカ,Franz Kafka,前田 敬作
    新潮社
    1,045円(税込)
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――大学生時代は、はやり英米文学が多かったようですね。

小野寺:そうですね。ちなみに学生の頃、雑誌の「ぴあ」がまだあって、映画を観に行くわけでもないのに毎週買って、それを読むことで東京の街を知るみたいなところがあって。

――都内の映画館の上映スケジュールはもちろん、イベントや美術展などいろんな情報が載ってましたものねえ。

小野寺:その「ぴあ」に、「はみだし」というのがあったのって分かりますか。

――分かりますよ。各ページの左右の欄外に、くすっと笑ってしまうような一文の投稿欄があったんですよね。「はみだしYouとPia」という名前でしたっけ。

小野寺:僕、ハミダシストなんですよ。

――えええっ!

小野寺:わりと後期ですけどね。大学を卒業してからなんですけれど、小説を投稿しても何にも引っかからない暗黒の時代が相当長くて、その頃に何か評価が欲しかったんでしょうね。「ぴあ」に葉書を出すようになって。相当、何回も載りましたよ。その頃は春風亭昇太さんが審査員的なことをやっていて。

――ああ、そういう時期がありましたね!

小野寺:昇太さんの賞に金昇とか銀昇とか銅昇とかあって、僕は全部あわせて20個近く獲っています。

――ちなみに、投稿する際のペンネームは......。

小野寺:「翻る蛭蛙」でした。

――あ、新刊の『夜の側に立つ』にも出てくる名前ですね。

小野寺:あんまり載るから、1年間ずっと続けて載るか試してみたことがあって。葉書にいくつもネタを書けるので、捨てネタも用意して「これは捨てて、こっちに食いつくだろう」というのを考えて(笑)、実際1年1号も空けずに続けて載った時期がありました。でも、最後はなんか面倒くさくなって、「今日で引退、蛭蛙」って書いて送りました。誰もそんなこと意識していなかったと思いますけれど。でも、そういうネタって、無駄を削って削って作っていくじゃないですか。わりと、なんらかの修行にはなっていたと思うんです。

――じゃあ、大学卒業後は、小説と「ぴあ」の投稿生活だったのですか。

小野寺:大学卒業後、一応就職したんですけれど、2年で辞めているんです。会社辞めた次の日に秋葉原に行ってワープロを買って、さすがにもう書き始めようと思いました。
それまではもう、いずれ書くけれど今書いてもたぶんロクなものが書けないなっていう思いがあったんです。でもそろそろやらなきゃダメだろうと思いました。でも、そこから長い暗黒時代が始まるんです。

――本格的に書いたのはそれが初めてでしたか。

小野寺:大学4年の時に僕、ニューオーリンズに行ったんです。卒業旅行みたいなものでした。それこそラニアンとかを読んでいた時期だったので、帰りの飛行機の中で旅のことを一人称小説風にガーッと書きました。それがもしかしたら本当の意味での最初の創作だったかもしれません。まあ、厳密には金髪のルーシーが最初なんですけれど(笑)。

――創作では最初から、現代人が主人公のリアリスティックな話を書かれていたのですか。

小野寺:そうですね。最初の頃は話し言葉を書き言葉に置き換えることに意義があるような気がして、全部そのスタイルで書いていました。勘違いといえば勘違いなんですけれど。無駄なことを長くやってました。でもそれから別の小説をいろいろ読むうちに、「それではダメなんだ」とは分かってきたので。

――その頃、どんな本を読んでいたのですか。

小野寺:さきほど『ひりつく夜の音』にラニアンの名前を出したといいましたが、同じアルゼンチンの作家、フリオ・コルタサルもそうです。岩波書店から出ている短篇集が好きで何回も読みました。これもその小説にちょっと書いているんですけれど、コルタサルは日常の中に急に非日常をポンと落とし込んでくるところがあって。

――いわゆるマジック・リアリズムですよね。別にあえて不思議なことを書いているのではなく、本当にそういうことが起きるのが日常だというふうに書いている。

小野寺:はい、やっぱり本当の日常の中で描かれているところに惹かれましたよね。あとは、カフカでは『城』が好きでした。短篇集が好きだというなかで、あれは唯一、長篇といえば長篇ですよね。

――そうですね。城に雇われてやってきた測量士が、どうしても城にたどり着けないという。

小野寺:あれは未完の長篇ですけれど、あの先が続いたとしても、きっと城にたどり着けない。もし「はい、たどり着いて測量しました。終わり」ってなったら、そっちのほうが度肝抜かれますよね(笑)。
他には、安部公房、中上健次とか。宮沢賢治からはわりと、表現的なことを学びました。学んだというほどではないけれど、「オツベルと象」の「のんのんのんのんやっていた」とか。わざわざ難しいこと書かなくてもいいなという意味で。安部公房は『砂の女』とか『燃えつきた地図』が好きで、『壁』とか『箱男』ほど日常から離れすぎないところがよかった。中上健次も読みましたね。一時期は、自分も中上っぽいものを書いていましたね。なんでだか分からないけれど。
海外小説だと、ジャック・ケルアックや、その流れでチャールズ・ブコウスキーとかポール・オースターも読みました。ケルアックとオースターはちょっと違いますけれど。ラニアンとラードナーみたいな柔らかい感じのものと、コルタサルとカフカみたいな全然違ったものと、両極端なものを読んでいたことになりますね。
カフカとかって、読んでいると常にさわさわする感じで、それがいいですよね。その読んでいる時の感じというのがすごく重要で、それこそラニアンでもコルタサルでもそうなんですけれど。音楽って、すでにどんな演奏がされるか知っているのに好きな曲なら何度でも聴きたくなるじゃないですか。そういう小説を書きたいんですよね。読んでいる瞬間が楽しい、文字を追っている瞬間が楽しい、みたいなものが書きたい。今回、自分が読んできたものを振り返ってみて、読むのもそういうものが好きだったんだなと気づいて、納得しました。

――短篇を繰り返し読む場合は、最初から最後まで読むわけですよね。この部分だけ、というのではなくて。

小野寺:はい。最終行まで読んですぐにまた最初に戻って読んだりします。でも読書記録などもつけていないし、読んだことを忘れる時もありますね。間違ってすでに読んだことのあるものを図書館で借りちゃった、というパターンはよくあります。

――分かります。案外、夢中になって読んだものでも、忘れちゃいますよね。

小野寺:登場人物の名前なんて、本2冊読んだら1冊前のことなんて忘れてしまうじゃないですか。だから、人が僕の作品の登場人物の名前を憶えているわけがないのも分かるので、インタビューなどで登場人物のことを説明したりするのが心苦しいんです。

――いやいやいや、そこは堂々としていてください(笑)。でもそうですか、でしたらこの賞に応募するんだったらどういう作品が受賞しているか過去作を研究する......といった読書はしなかったんですね。

小野寺:そういうことはまったくしなかったですね。対策というものはまったく考えなかった。むしろ「この賞にこういう小説送ってどうするんだ」っていう感じだったと思います。

――ご自身でジャンル的なこだわりや好みはなかったのですか。

小野寺:そこは変な欲というか色気はありました。どうしても書き始めの頃って、多少純文学に対する意識があるんですよね。でも、たしかリング・ラードナーの文庫解説に書かれていたんですけれど、ヴァージニア・ウルフが、野球の小説ばかり書いていたラードナーを評して「自分がシェイクスピアとどんな関係にあるのかをまったく意識していないところがいい」みたいなことを言っていて......うろ覚えなんですけれど。まあ、そういう趣旨のことを言っていたことに非常に助けられました。別にそんなもの意識しなくていいんだな、難しいものを書く必要もないし、って。そもそも純文とエンタメとか分ける必要もないじゃないですか、別に。だから、ヴァージニア・ウルフが良いこと言ってくれて、非常に気が楽になりました。

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