第210回:町屋良平さん

作家の読書道 第210回:町屋良平さん

今年1月、ボクサーが主人公の『1R1分34秒』で芥川賞を受賞した町屋良平さん。少年時代から「自分は何か書くんじゃないか」と思っていたものの、実は、10代の頃はなかなか本の世界に入り込むことができなかったのだとか。そんな彼が、読書を楽しめるようになった経緯とは? スマホで執筆するなど独特の執筆スタイルにも意外な理由がありました。

その4「小説の投稿を始める」 (4/7)

――大学に行かなかったというのは、選択として、何か決断みたいなものがあったのですか。

町屋:すごく漫然と生きていたので、高校時代にもう勉強したくないと思ってしまって(笑)。小学生時代に中学受験をして落ちて、小学校のときの塾の勉強で高校受験くらいまでは貯金があったというか、それで高校まで行けたものの、高校で全然勉強しなくて。なんにもやる気を出さないままなんとなく生きていたという感じですね。「大学に行ったほうがいい」という気持ちすら持っていなかった。「世間の人はわりと大学に行くもんだ」というぐらいの認識はあったんですけど、なにか自分なりの意志とか拘りがあって大学に行かなかったわけではなく、そこはかとない絶望だけで毎日をやり過ごしていました。でもバイトは楽しかったです。休憩室で本を読んでいると、みんな優しかったけど、自分も本を読んでいるという人はまわりにいなかった。

――心では「いつか作家になる」と思いながら?

町屋:なれるのかなあ、なれたらいいなって思いながら。子どもの頃から常に、根底的なところでやる気がないというか、自分はどうせ世の中に馴染めないだろうみたいな決めつけがあって、「どうせ無理だし」みたいな気持ちで、その時その時でその場しのぎで生きていたというのが20代前半ですね。

――就職したのはいくつだったのですか。

町屋:21歳です。その時も世の中の人がこれくらいの年齢で会社に入るから自分も入ったほうがいいかもしれないと思ってなんとなく入ったんです。まだ恵まれた時代だったと思います。その後の就職活動が激化して、苦労している人たちの話を聞くと、そんなに若くして自我みたいなものを求められるなんて辛いと思いました。この時代で就職活動をしている人たちは本当にすごいと思っています。

――その時に就職した会社に今もお勤めなんですか。

町屋:いえ、その会社は倒産しまして、転職して今の会社です。無事転職できてラッキーでした。

――20代はどのように過ごされたのでしょう。読書生活だけでなく、小説の執筆についても。

町屋:それまでも書いてはいたんですが、20代前半の頃に、自分が書くものがお話主体のものから、いわゆる文学志向になったと気づいた瞬間がありました。いまだにその小説のことは憶えているんですけれど、そこから文芸誌の存在も知っていたので、応募してみようかなという気持ちが始まりました。

――「あ、変わったな」と思う瞬間があったのですか。

町屋:一番あったのは、それまでは読んできた本とか物語とか、それまでにもあったストーリーとかに則ったものをただ書いているだけみたいな認識があって、「自分なりのもの」なんか別にないと分かっていたんです。でも、その小説を書いた時に、自分から何か、まだこの世界に無いものをちょっとだけ見つけなければいけないんだみたいな認識があったんです。なるべく新しい認識とか、新しい価値観への志向性みたいなものを考えられるようになったのが大きかった。その作品は自費出版系の出版社の賞に応募して、まあ、途中まで残ったんですが、普通に落選しました。それが21歳とかでした。文芸誌などに応募するまではその後3年くらいありました。24、5歳の頃はもう応募していたと思います。文芸誌だと「文藝」が作家特集をやっていたりしたし、綿矢りささんや羽田圭介さんといった自分と同年代の人が受賞されていたので、なんとなく文藝賞に応募しようかなという感じで。他の文芸誌に馴染みを持つまではもうちょっと時間がかかります。文學界新人賞だけは読んだりしていたんですが、「文學界」には僕が幼少期に挫折していた『路傍の石』や『一握の砂』みたいなイメージを勝手に持っていて。文藝賞は同世代の人のほかに、やっぱり山田詠美さんがお獲りになったんで、現代小説的なイメージを持っていました。

――それで、主に文藝賞に応募を。

町屋:最初のうちは年1回文藝賞とかに応募して。小さな賞は別なんですけれど、27歳で突然最終候補に残るまでは、全部一次落ちだったんです。32歳で『青が破れる』で文藝賞を獲るまでに、文藝賞で最終選考に残ったり、いくつかは途中まで残ったり...ちょっとエンタメの賞で最終選考に残ったりとかしましたが、大体は一次選考で落ちています。
デビューする2年前くらいに、インターネットで「小説を書いています」という人と少し出会うようになって、お互いに書いたものを読んで感想を述べあったりした時に、すごく学びがありました。その流れで同じように小説を書いてたり、ロシア文学を研究している人とも出会って助言をもらったりして、それはすごく助けになりました。

――今おっしゃった、エンタメの賞に応募したというのが、すごく意外です。

町屋:それ、今まで言ったことがなかったんですけれど。『青が破れる』で文藝賞を頂く直前です。ペンネームは変えて出しています。ずっと選考途中で落ちていたんで、「自分はもう文学では駄目なんだ」と思って、ちょっとエンターテインメント性みたいなものを意識して応募してみたんです。推してくれた選考委員もいらっしゃったんですけれど、最終的には「エンターテインメントとしてダメ」ということだったそうです。

――ああ、作品はいいけれど賞の方向性に合わないということで落ちることはありますよね。

町屋:その時は「ああ、自分は文学でもエンタメでも駄目なんだー」と思いました。「どっちも駄目だけど、小説家になれなくても小説を書いていこう」という気持ちで小説を書いていて、でもその後に文藝賞を頂いたことを考えると、「まあ結果的によかった!」みたいな、全部諦めて絶望したときになんとかなるという、皮肉な感じになってしまったなと複雑な思いがあります。

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