第210回:町屋良平さん

作家の読書道 第210回:町屋良平さん

今年1月、ボクサーが主人公の『1R1分34秒』で芥川賞を受賞した町屋良平さん。少年時代から「自分は何か書くんじゃないか」と思っていたものの、実は、10代の頃はなかなか本の世界に入り込むことができなかったのだとか。そんな彼が、読書を楽しめるようになった経緯とは? スマホで執筆するなど独特の執筆スタイルにも意外な理由がありました。

その5「小説の中に別世界を見つけた本」 (5/7)

  • 灯台へ (岩波文庫)
  • 『灯台へ (岩波文庫)』
    ヴァージニア ウルフ,Woolf,Virginia,哲也, 御輿
    岩波書店
    1,122円(税込)
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  • 魔の山(上) (新潮文庫)
  • 『魔の山(上) (新潮文庫)』
    トーマス・マン,義孝, 高橋
    新潮社
    1,034円(税込)
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  • 青い脂 (河出文庫)
  • 『青い脂 (河出文庫)』
    ソローキン,ウラジーミル,Sorokin,Vladimir,哲男, 望月,隆志, 松下
    河出書房新社
    1,650円(税込)
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  • 指揮者は何を考えているか:解釈、テクニック、舞台裏の闘い
  • 『指揮者は何を考えているか:解釈、テクニック、舞台裏の闘い』
    ジョン・マウチェリ,松村 哲哉
    白水社
    3,300円(税込)
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――その頃読んでいた本というのは。

町屋:読書に関しては、いわゆる有名なものは読んでいましたが、自分の中で大きかったのはヴァージニア・ウルフの『灯台へ』です。これもすごく衝撃的でした。鴻巣友季子さんが新訳された時に読んだので、だいぶ遅いんですが。これは人物と風景というのがある程度等価というか、フラットに描かれているところが衝撃的だったんです。人物の内面と時間と風景が多重に擦れ合って、この世界と等価にあるべき世界が本の中につまっている感じ。小説の中に出てくる風景ってものの凄さとか尊さみたいなものを学んだ感じがしますね。小説の中に別の世界があるんだってことの大事さを知ったのは、本当にこの小説の存在が大きかったと思います。

――ああ、昔は知らない風景が描かれているのが苦手だったのに。

町屋:そうですね、むしろそのことに救われることになりました。それと、すごく好きだなと思ったのは、トーマス・マンの『魔の山』です。あとは、ラテンアメリカの作家たちを読みました。まあ、ルルフォを早めに読んでいたので、基本的に全部面白くて好きなんですけれど、「好き」って感情になるのはルルフォです。ウルフでいう風景みたいなものに相当する土の感じ、地面がいろんなものに繋がっていて、その時間というのが人の一生や寿命の長さにとどまらず伸びていく感覚というのが、文章にそのまま埋め込まれているのがすごく好きです。日本文学では源氏物語と上田秋成に特別な思いを抱きました。あと、ソローキンも好きです。全作品好きなんですけれど、でも『青い脂』とか。

――ふふふ(笑)。いろいろ物議をかもした本ですね。

町屋:ヤバイ発想系の作家さんっていらっしゃるじゃないですか(笑)。ソローキンも扱われている内容が下品であったり猟奇的であったりするんですけれど、一方ですごく上品だなって思うようなところとか、整っているなっていうところがあったりして、そういうランダム性がすごく好きなんですよね。ソローキンに関しては読めちゃうなっていう部分があります。それと、今思うと好きだなと思うのが、ゼーバルト。『アウステルリッツ』とか『移民たち』とか。ゼーバルトが好きな作家がローベルト・ヴァルザーで、それは全部は読まずに後にとってあるんですよ。

――もったいないからですか?

町屋:はい。鳥影社から作品集が出ているんですけれど、数冊読んであまりに素敵だったので、もう少し落ち着いたら読みたい、みたいな気持ちになって。あとは、30代近くになってからは、ピアニストが書いた本というのに執着が出てきたので、読むようにしています。

――ピアニストの著作って、そんなにたくさんあるのですか?

町屋:結構あります。海外では半生をつづったものなんかが多いですね。思い出深いのは、エレーヌ・グリモーというフランスのピアニストがいるんですけれど、その方が『野生のしらべ』という自伝的な本を出していて。素晴らしいピアニストなんですけれど、同時に狼の生態を研究しながら養育活動をしているんですね。その狼との出会いとかもすごくエキセントリックで。ピアニストってだいたい奇妙なので、他の方もそれに相当するような驚くべきエピソードをたいてい持っていてどの本も面白い。とにかく、考えていることや習慣がすごく面白いですね。ピアニストに対する憧れというか、敬服する気持ちがあるし、自分が小説に向かう気持ちっていうのは、なんとなくピアニストがピアノを練習しているみたいな気持ちかなと勝手にシンパシーを感じるんですよ。だから音楽に関する本は積極的に読むようになりました。

――国内外問わず。

町屋:問わず。中村紘子さんの本も面白かったりし、なんといっても青柳いづみこさんがとにかく素晴らしいですね。青柳さんの本が、ピアニストの本に興味を持ち始めた原体験かもしれないです。
最近、白水社から『指揮者は何を考えているか』という本が翻訳で出て、今途中まで読んでいるんですけれど、すごく面白いです。ピアニストは結構本を読んで分かったことがあるけれど結局分からなくて、指揮者はもっと分からない。技術が職人的に継承されている感じが面白いんですね。弟子から弟子へ、秘伝のナントカという感じがあるらしいんです。その本によると、自分用のスコアにいろいろ書きこんで、それを弟子に教えている。秘伝の書ですよ(笑)。著者のジョン・マウチェリも有名なマエストロだと思いますけど、書くのも結構勇気が要ったようですね。

――身体感覚とか、思考の流れとかに惹かれるところがあるのかもしれませんね。デビュー作の『青が破れる』や芥川賞受賞作の『1R1分34秒』はボクサーの話ですし。

町屋:最近、身体性についてすごく言われるようになったので、逆に「身体性ってなんなのかな」と、考えるようになりました(笑)。『1R~』の時に、確かに身体の動きは細かく書いたなとは思うんですけれど、「徹底して書く」みたいな意識というよりは、普通に書いたので。

――実際にボクシングをされていた、ということでも話題になりましたよね。

町屋:高校生の時にちょっと空手をやって、24歳くらいの時にムエタイをやって、その後にわりと長くボクシングをやっていたという感じです。で、デビューしたくらいの時に、フィジカル的に厳しいなと思って止めました。今はダンスをちょっとだけやっています。

――それがまた小説と結びつく可能性はありますかね。

町屋:あるような気がします。本の話で言うと、舞踏家の本もちょっと読んでいるんです。本当にちょっとなんですけれど、土方巽さん、笠井叡さん、大野一雄さんといった有名どころですよね。三上賀代さんの『増補改訂 器としての身體:土方巽・暗黒舞踏技法へのアプローチ』では土方巽自身が舞踏について取り組む生の思考のような部分が載っていて、刺激的でした。勝手な感覚なのですが、ピアニストの本にすこし似ていて言葉の出どころそのものが分からないのが面白いですね。

  • 増補改訂 器としての身體: 土方巽・暗黒舞踏技法へのアプローチ
  • 『増補改訂 器としての身體: 土方巽・暗黒舞踏技法へのアプローチ』
    三上 賀代
    春風社
    7,890円(税込)
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