第219回:今村翔吾さん

作家の読書道 第219回:今村翔吾さん

2017年に『火喰鳥 羽州ぼろ鳶組』を刊行してデビュー、翌年『童神』(刊行時に『童の神』と改題)が角川春樹小説賞を受賞し、それが山田風太郎賞や直木賞の候補になり、そして2020年は『八本目の槍』で吉川英治文学新人賞を受賞と、快進撃を続ける今村翔吾さん。新たな時代小説の書き手として注目される今村さんは、いつ時代小説に魅せられ、何を読んできたのか? 軽快な語り口調でたっぷり語ってくださいました。

その6「最近の読書、そして執筆について」 (6/6)

  • 屍人荘の殺人 (創元推理文庫)
  • 『屍人荘の殺人 (創元推理文庫)』
    今村 昌弘
    東京創元社
    814円(税込)
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  • くらまし屋稼業 (時代小説文庫)
  • 『くらまし屋稼業 (時代小説文庫)』
    今村翔吾
    角川春樹事務所
    704円(税込)
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――歴史小説、時代小説以外のものって読まれますか。

今村:あえていうなら直木賞とか芥川賞を受賞して話題になったものはつまんで読むけれど、あまり読まなかったですね。僕はなんか知らんけど、ミステリーを毛嫌いしていて。理由は不明。何か刷り込みがあったのかもしらんけど。

――えっ、でも今村さん、さっき雑談で『屍人荘の殺人』の今村昌弘さんと親交があるっておっしゃってましたよね? めっちゃ本格ミステリ作品の。

今村:そう、同じ苗字で、同じ年のデビューで、こっちは10冊書いてようやくヒット打ったけど、向こうはデビュー作でいきなりホームランでバーンや(笑)。でも仲いいし、LINEもしてるし。ミステリーの人が嫌いなわけでなく、ミステリー作品が嫌いやってん。だから僕、これ言うたらマジでビビられると思うけど、はじめて読んだミステリーが『屍人荘の殺人』なんです。

――へえー! ビビったというか驚きました(笑)。

今村:あれは、亜流なんでしょ? 「ミステリって結構、〇〇とか出てくるん?」って人に訊いたら「いやいや、あれは結構珍しくて」って。ただ、そっから僕、ミステリーって面白いと思って、今さらながらに江戸川乱歩とかも読んで「めっちゃ上手いやん」とか「ようこんなん思いつくな」って言ってます(笑)。最近、ミステリーというジャンルを丸々残しててよかったなあと思ってます。

――これからあんな名作もこんな名作もはじめて読めるんですね。羨ましい。

今村:ただ、読んでなくてよかったのは、僕、「くらまし屋家業シリーズ」でミステリーっぽいことやってんねんけど、もしもいろいろ読んでいたら、自分が考えたトリックとかでも「これ誰々のと似てるな」って思ってしまったはず。読んでないから「これは俺が考えた」って言える。

――他の人と似るかどうかでいえば、歴史や時代ものって、同じ人物や出来事をいろんな人が書いていますが、それは似てしまうかどうか意識しますか。

今村:まったく同年代生きている作家さんと同じネタを書くことは避けるけれど、どうしても書きたかったから書くかも。「まあ見とけよ、俺がもっと上手く書いてみせてやるわ」ぐらいの気持ちで書く。作家はみんな、そう思ってると思うし、そうでないとやっていけへんと思う。
 ただそれがやっぱ、僕が尊敬してしかもお亡くなりになった人になると話は別で、司馬さんが書いたもの、池波さんが書いたものってすごくハードルが高い。かといって逃げていてもしゃあないから、気を引き締めてやるようにはしている。だから新選組とかもいつか書くやろうし。気合を入れて。でも、龍馬はやらん気がする。

――なんでですか。

今村:龍馬あんま好きじゃないからな。なんか知らんけど。それを解き明かすのも面白いんだろうけれど。

――書かれる時代もさまざまですが、どの時代も書けるし書きたいですか。

今村:なんでもいけます。書くものを時代とか武将で決めていないんです。現代に何が必要かというと大げさかもしれんけど、現代の人がどんなものを読みたいかを考えます。必要かどうかじゃなくて、何を欲しているか、何に疲れているかみたいなところを考えますね。そこを真っ向から書ける時代と人物を書きます。
 たとえば、今の時代ってこういうことを忘れ去られているよね、と思ったとします。じゃあそのテーマにいいような時代はどこだろうとウィーンと遡って、「ああ、この時代よさそう」って横軸が見つかったら、次は縦軸というか、どんな人物がいたかを想像して、「ああ、あいつよさそう」というのをピピピッと候補を出して、「じゃあ、こいつらで組んだらどうなるんやろうか」「こいつちょっと駄目」「ああ、こいついいな」となる感じかなあ。だから、「あの人物書きたい」という時もあるけれど、それが理由では書きません。「いつかこの人書いたら面白そうやろうな」ってふわりと候補の一人にとどめておく。
 だからどの時代も書きますよ。文春では鎌倉時代を連載しているし、職人ものも集英社でやってるし、戦国も書く予定だし、幕末も「やれ」って言われたらやるし、やりたいし。まあ、奈良時代とか書いたらめっちゃコメディに書いてしまいそう。『貧窮問答歌』の山上憶良をコメディで書くとか。弥生時代になるとちょっと...。古墳時代は...もうちょっときついかなあ(笑)。面白いけどね。

――では『じんかん』で松永久秀を描いたのはどうしてだったのですか。

今村:もともと松永久秀は「いつか書きたいな」とは思ってたんですよ。ただこれは、もっと先の自分の集大成みたいになるとも思っていたんです。でも最近のネットとかでの過剰なまでの叩きとかいろいろ見て、なんでこんな人は優しくなれなくなったんだろうとか考えた時に、松永久秀も同時代の人に悪人と叩かれて、資料的にもすでに冤罪とされているのにまだ叩かれている武将やから、題材的にはいいんだろうって思ったんです。
 ただ、70歳まで生きているけれど33歳までの経歴が不明ってことで、今の俺にはちょっときついんかなと思っていたら、講談社が「やれますよー」って言うから。「今村さん、思った時が書く時ですよ」って。絶対に適当に言ってるんですけれど、なんとなく思ったのは、まあこれを虎の子みたいにあっためといたら、一生書かへんかもしれんなって。書けるチャンスがあったら書いたろうと思いました。

――松永久秀のイメージを覆したいという気持ちもありましたか。

今村:いや、世間のイメージの真逆を書こうとかいう気持ちはなかったんですよ。まあ、なぜここまで悪評がついたのかっていうのには興味がありました。悪評がついたにはついたなりの理由もあったはずだから。歴史のとらえ方で最近危険やなと思うのは、『八本目の槍』で書いた石田三成についても思ったんですけれど、昔あんだけ悪もんと言われていたのに、「戦国無双」とかでイケメンになって、「義の武将」みたいなこと言われてむっちゃええ奴になって人気が出ている。そっちも嘘やろうと僕は思っている。過剰ないいもんも、過剰な悪もんも、どっちも本当かもしれないしどっちも嘘かもしれない。僕は『八本目の槍』で人間石田三成を書くためにその原点ってどこにあるんやろって思って青年期まで遡る手法をとったんです。今回も、松永久秀をめっちゃいいもんにして書くとかじゃなくて、なぜ彼が悪く言われるようになったのか、その理由に注目したいと思いました。作中で、一度も会ったことのない人間を、俺はどうしてこんなに憎んでいるんだろうと気づくシーンがありますが、どちらかというとそれが書きたかったことかなと思います。

――最近の読書生活は。

今村:最近はあんまり読まなくなったかな。読む時間がないという物理的なこともあるけれど、僕は人の文章を「食べる」という認識なんですが、あんまり人の文章を食べ過ぎると問題があって。僕は『くらまし屋稼業』で人の技を真似る主人公を書いていますが、僕自身も吸収率がいいと思うんですよ。人の文章を食べて「ああ、いいな」と思うところを取り入れて、変換したりブレンドして自分の文章に活かすのは得意なほうなので、だから人の文章を食いすぎるのも問題なんです。

――人の文章をブレンドして取り入れるというのは。

今村:「この2行は池波さんっぽくいこう」とか、「冒頭は北方先生っぽくパンチ強くいこう」とか、「解説やから、司馬さんみたいなまとめ方がいいな」とか、「この章の締めはきれいな文章で終わりたいから藤沢先生っぽく」とか。それと、僕は結構山本周五郎先生の「細部から引く」というやつが好きなんです。山本先生というのは光っている廊下からがーっと引いていく描写、みたいなことをやるので、そういうことをやるとか。
 語彙に関しても、『八本目の槍』で書いたかな、「屹峭たる断崖」っていうのは山本先生がよく使う言葉だし、「茅舎」というのは司馬先生が好き好んで使う言葉で、僕も使うし。池波先生は若い人の咳は「せき」って読ませるけれど、おじいちゃんの咳は「しわぶき」って読ませる。「切っ先」も「鋒」という一文字で書くとか。いろんな人の文章や語彙が血となり肉となっているのを感じながら書いています。

――一日のタイムテーブルって決まってますか。

今村:朝の8時から夕方6時まで書く。昼飯は食べないですね、食べてもヨーグルトくらい。で、基本6時まで書いて、出前をとるか、事務所の子が作っておいてくれたものを食べてちょっと休憩して、9時くらいから深夜2時から4時、まあ平均して3時くらいまで書いて、寝て、8時に起きる。どこにも行かないでほとんど書いてるわ。普段からそんな生活だから、新型コロナもまったく関係ない。

――そこまで人と接しない生活を送っているのに、なんでそんなにお話上手なんですか。

今村:昔からそうやなあ。ダンスやってた頃もステージのMCとか全部やってたし、単独でフェスティバルのMCの仕事とかもやってたし。もともと喋りは得意ですね。子どもたちにも教えていたしね。遠征とかでバスで移動する時とかも、「みんな、右に丸岡城が見えてきたぞ。丸岡城は日本で一番ちっちゃい天守閣を持つ城で」とか言って、子どもたちの5分の3が無になっていて(笑)、5分の1が「もういいってー」って顔をして、残りの5分の1が「翔吾君、聞いてるよ」みたいな感じで。

――翔吾君って呼ばれていたんですね(笑)。今お城の話が出ましたが、たとえばそういうふうにお城を観に行くとか、出かけたくはならないのですか。

今村:出かけたいですよ。本当は休みたい。別にこんなストイックがいいとは思ってません。休んで、お城にも行きたいし、セブ島とかハワイのような浮ついたところも行きたい(笑)。だけど単純に、時間がないんです。

――確かに、ものすごい勢いで本を出してますよね。今後のご予定も詰まっているのでは。

今村:刊行でいうと次が集英社の『塞王の楯』で、その次が文春の『海を破る者』かな。それから今読売オンラインで連載している『幸村を討て』で、それが終わったら角川春樹事務所かな。それらの連載が終わったら、KADOKAWAと光文社の連載を始めつつ、新聞連載の予定もひとつあって...。編集の人たちに騙されてん。「みんなこれくらいやってますよ」「これ断ったら二度と仕事出せへんよ」的なオーラを出しているから「やります」って言い続けたけれど、周り見渡したら、みんな断る時は断ってるやん。僕は2023年の夏になったら、休みます(笑)。

(了)