第227回:尾崎世界観さん

作家の読書道 第227回:尾崎世界観さん

2001年にロックバンドのクリープハイプを結成、12年にメジャーデビュー。ヴォーカル、ギター、作詞作曲で活躍する一方、16年に小説『祐介』を発表した尾崎世界観さん。最新作『母影』が芥川賞にノミネートされるなど注目を浴びる尾崎さんは、どんな本を求めてきたのか。歌うこと、書くことについて切実な思いが伝わってくるお話です。リモートでインタビューを行いました。

その3「高校時代にバンドを始める」 (3/8)

――読書についてはその後変化はありましたか。授業で太宰治など古典的名作を読む機会があったりしたのでしょうか。

尾崎:読んだかもしれませんが、不真面目だったせいか、憶えていないんですよ。太宰治とか夏目漱石とか、ちゃんと読んだことがないんです。音楽でも、ビートルズをちゃんと聴いたことがない。だから「貯金がある」と思っています。まだ取り入れてないぞ、と。
 でも、太宰治については、ひとつ憶えていることがあります。当時通っていたのは、割と荒れている学校で。国語の先生が胃潰瘍になってしばらく学校を休んだりしていたんですけど、映画好きな先生で、よく二人で映画の話をしていたんです。その先生が最後の授業の時に、「今から全力でやります」と言って太宰治の「走れメロス」の朗読をはじめたんですよ。本当に全力で、恥ずかしいくらいミュージカルっぽく感情を乗せて、1時間かけて最初から最後まで朗読したんです。尋常じゃないテンションで、大人がそんなことをするのを見るのははじめてだったし、みんなバカにして笑っていて。自分も恥ずかしくなって便乗して笑っていたし、今考えてもあれは普通じゃなかったと思う。でもやっぱり、便乗して笑ったのは申し訳なかった。先生も、生徒たちが真面目に聴くわけがないと分かった上でやったんだろうけど、今、「自分だったらあれをやれるだろうか」って考えてしまう。
 自分は今、自分に興味を持った人にしか接していないんだと、つくづく思います。この10年くらい、自分にまったく興味のない人の前で喋っていない。アマチュアの時は自分に興味のない人の前で歌っていたけれど、今、そういう人の前で本気でやれるかと考えると、自分はもう今の状態に慣れてしまっているんですよね。今も、先生のことを話しながら、やっぱりあれはすごいことだったんだなと思っています。

――バンドを組んだのは高校生の時ですか。

尾崎:高校2年生の時にはじめました。学校に軽音楽部もあったんですけど、そこには入らず、地元の友達と組みました。ギター、ベース、ドラムの3人のバンドです。

――最初は誰かのコピーを演奏したり?

尾崎:バンドスコアを読むのが面倒くさくて、オリジナルでやっていました。今まで、コピーをしたことがないんですよ。トリビュートアルバムの企画としてカバーをしたことはありますが。元から弾き語りをやっていたから、そこにベースとドラムを加えればいいだけだし、自分で作ったほうがはやいと思ったんです。

――曲はすぐ作れたんですか。歌詞の参考にするために辞書を引いたり詩集みたいなものを読んだりとかは。

尾崎:作ったメロディがちゃんと曲になっているのか、自分では分からなかったんですよ。何かに似ているんじゃないかと不安で、よく母に「このメロディとこのメロディって似てると思う?」と訊いて「えー、分からないよ」と言いつつ聴いてくれて、「うーん、似てるかも」と言われると「えっ、どこが似てる?」と追及して迷惑をかけていました(笑)。今はもう、そういうことは気にならなくなりました。
 歌詞は、当時はそれなりに思い入れがあったけれど、今思うと言葉を並べただけで意味がなくて恥ずかしいですね。辞書を引いたり何かを読んだりもしたかもしれないけれど、それが実際に歌詞に結びつくことはなかったと思います。
 路上ライブを始めた動機も不純だったんです。ちゃんと曲を作って聴かせたいというより、何かを表現したい、自分を見てほしいという気持ちが先走っていた。バンドを始めてからも、そこから抜け出せずにいました。当時、ヤマハ主催のティーンズミュージックフェスティバルという大会があって、勝ち上がると大きな会場でライブをやれたんです。そういうのに出て、ボコボコに負けて実力を知って落ち込んだりしていました。
 その間は読書から離れていましたね。読んでいたのに、音楽の記憶にかき消されているのかもしれません。映画は邦画ばかり観ていて、岩井俊二監督の「リリィ・シュシュのすべて」がすごく好きでした。

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